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ケチャップ

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トマトケチャップというのは、
存外に色々と使える調味料である。

我が家では、ハンバーグ(マルシン)といえば、
トマトケチャップをかけて食べるものだったし、
とんかつには、ケチャップにウスターソースを混ぜた
母親オリジナルソースをつけて食べていた。
スーパーの総菜コーナーで買ったアメリカンドッグにも
たっぷりのケチャップをかけていたし、
オムレツを作ってもらった日には、
これにケチャップで文字や絵を描くのが定番であった。

不思議なことに、ある程度大人になると
ケチャップの使用率は、グッと下がってしまった。
ハンバーグは塩・胡椒を振っただけで食べるようになったし、
オムレツには醤油をかけて食べるようになった。
アメリカンドッグはほとんど食べなくなったが、
たまに食べるときにも、何も付けずに食べるようになった。
とんかつだけは、母親のオリジナルソース以外の調味料が
付いてくることがなかったので、
このソースで食べていたが、トマトケチャップの摂取量は
年齢とともに下がっていったのは、確実であった。

なぜ、歳とともにケチャップの摂取量が減っていったのかを
考えてみたのだが、どうやらその原因は、
結構な甘味を含んだ、その「味」にあるようである。
カレーであれ、なんであれ、
子供というのは「甘味」を含んだものを好む。
自分が子供のころにケチャップをよく使っていたのは、
その「甘味」による所が多かったのではないだろうか。
成長とともに味覚が変わり、
それほど「甘味」を求めないようになったため、
次第にケチャップから離れていったのだろう。
完熟したトマトが含んでいる「甘味」。
原材料の1つとして含まれている「砂糖」。
これらが作り出す、ケチャップの中の「甘味」が、
子供を惹き付ける要素なのではないだろうか?

ケチャップ、ケチャップと、気軽に書いているが、
自分が書いているケチャップとは、
「トマトケチャップ」のことである。
トマトケチャップ以外のケチャップなんてあるの?
と、思う人もいるかも知れないが、
元々のケチャップには、
トマトは全く使われていなかったのである。
では、元々のケチャップとはどういうもので、
一体、どこで作り始められたというのか?

実は「ケチャップ」の歴史を遡っていくと、中国にたどり着く。
え?ケチャップって中国で生まれたの?と、
驚く人もいるだろうが、
中国の塩漬けにした魚の汁「コエチアプ」が東南アジアに伝わり、
「ケチョプ」と呼ばれるようになり、
これがさらにイギリスに伝わった際に、「ケチャップ」となった。
まるで、男塾の民明書房のような話だが、
アレとは違い、こちらは事実である。
その原料と加工法などから見て、
もともと「ケチャップ」というのは、魚醤のことだったのである。
現在でも、東南アジア各地には、
これに似た発音で呼ばれる醤油やソースは多い。
17世紀ごろにこれがイギリスに渡り、
ヨーロッパで採れる材料を使って、
オリジナルケチャップが作られる。
このとき使われた材料は、
海産物としては、牡蠣やロブスター、
さらにキノコやフルーツなどを使ったケチャップが作られた。
そんな中で、もっとも人気を得たのが
マッシュルームを主体として作った、
「マッシュルーム・ケチャップ」である。
これはマッシュルームに塩をふり、出てきた汁に香辛料を加え
煮詰めたもので、現在でも調味料としてイギリスで使われている。

イギリスに伝わった「ケチャップ」は、
さらに移民たちの手によって新大陸・アメリカにもたらされる。
そしてそこで、「ケチャップ」は運命的な出会いを果たす。
そう、トマトとの出会いだ。
元々トマトは、アステカ帝国で食べられていた野菜で、
1519年にはその種がヨーロッパにも持ち込まれていた。
つまり、イギリスに「ケチャップ」が伝わったとき、
すでにヨーロッパにはトマトがあったのである。
どうして、そのときトマトが使われなかったのだろうか?
実はトマトは毒草であるベラドンナと非常に似ていたことと、
実の他に、毒を持っている葉も一緒に食べていたために、
長い間、「トマト」=「毒」とみなされ、
観賞用としてのみ栽培されていたのである。
同じような偏見は、ヨーロッパを経て持ち込まれた
日本でも存在しており、日本も長く、トマトを食べなかった。

この「トマト」に対する偏見を払拭したのが、
アメリカ独立の父と呼ばれる、トマス・ジェファーソンである。
彼が、トマトは赤い実だけを食べれば毒がなく、
これが優れた野菜であることを知らしめると、
トマトは、瞬く間に食べられるようになり、
その中で、トマトを使ったケチャップ、
「トマトケチャップ」が作り出されたのである。
このトマトケチャップも、アメリカの家庭に広まっていったが、
当時のそれは、トマトの皮を剥き、種を取り除いた後に
何時間もかけてこれを煮込んで作る、手間のかかるものだった。
これに目を付けた、ドイツ系アメリカ人、ヘンリー・ハインツは
世界で初めての瓶詰めの「トマトケチャップ」を発売した。
この「トマトケチャップ」は大ヒットし、
彼の会社は急成長していった。
これが、現在も続くハインツの始まりである。

この「トマトケチャップ」が日本に入ってきたのは、
明治時代に入ってからのことである。
だが、中国の魚醤から
「ケチャップ」の歴史が始まったことを考えると、
当時、日本で広く使われていた醤油なども、
ある意味では「ケチャップ」といえるかも知れないが、
今回は、そういう視点でものを見ないことにする。
日本でこれが広がっていったのは、
当時、トマトを栽培していた蟹江一太郎が、
大豊作になったトマトの保存方法として、
これを「トマトケチャップ」に加工し、
売り出したのが始まりである。
もちろん、これ以前にも
「トマトケチャップ」を製造販売している人間はいたのだが、
日本でこれが本格的に売れるようになっていくのは、
蟹江がカゴメを設立し、改良を続けた後のことである。
発売当初のカゴメ「トマトケチャップ」はほとんど売れず、
その後、アメリカから技師を呼ぶなどして品質を向上させ、
ようやく売れるようになったのは、
昭和の時代に入ってからのことであった。

現在、日本では料理にかける調味料として使う他に、
チキンライスやナポリタンを作る際に、
1つの原材料としても使う。
逆に、世界のトマトケチャップの
約半分を消費しているアメリカでは、
料理の原材料として使われることはまず無く、
ほぼ、卓上調味料として使われるのみである。
それだけの使い方で、これだけの消費量を上げているわけだから、
彼らにとって「トマトケチャップ」がどれだけ重要な
調味料であるかが、伺い知れる。

さて、自分も歳をとり、1人で色々料理もするようになると、
他の様々な調味料と一緒に「トマトケチャップ」も
使うようになった。
現在では、ハンバーグやオムレツなどに使うことも無いが、
トーストなどに塗って、食べるようになった。
こんがりと焼いた後に塗ってもいいし、
しっかりと塗ってから焼いてもいい。
どことなく、ピザソースを塗って焼いたようでもあり、
とろけるチーズなどをのせて焼くと、まさにピザトーストだ。

日頃、油のとり過ぎを気にしている人は、
バターやマーガリンの代わりに、
「ケチャップ」を使うのがオススメである。

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