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播州皿屋敷

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世の中には怪談話が多々ある。

その定番のひとつとして、「皿屋敷」ものがある。

女中が家宝の皿を割り、それを主に責められて命を落とす。

その後、殺された女中の無念の想いが、怨霊となって復讐するのである。

その際に皿を数えるというのが、この怪談話のクライマックスと言っていい。

実はこの「皿屋敷伝説」、日本全国に点在している。

共通点として多いのは、女中の名前が「菊」であること。

割った皿が家宝であること。

皿が10枚組、もしくは数枚組であること。

等々である。

この「皿屋敷伝説」の中でもっとも有名なものが

「播州皿屋敷」と「番町皿屋敷」である。

この2つ、言葉の響きが非常に似通っている。

恐らくはどちらかが、どちらかの話をモデルにしているのだと思う。

播州龍野に住んでいる自分としては、これは「播州」が元祖である

という予断を持ってしまっていることは、認めざるを得ない。

今回はそれをあらかじめ断っておいた上で、

「播州皿屋敷」について分析していきたい。

時代は姫路城主小寺豊職がなくなって、

小寺則職が18歳で城主を継いだ頃の話である。

小寺家の執権、青山鉄山が町坪弾四郎と謀り、則職を殺し、

家を乗っ取ろうと計画を立てた。

青山鉄山の息子小五郎は、則職の妹白妙姫と恋仲であったため、

この計画を止めようとしたが、父鉄山によって幽閉されてしまう。

一方、則職の家来、衣笠元信も鉄山を怪しいとにらみ、自分の妾であったお菊を

鉄山の家にスパイとして送り込み、様子を探らせる。

お菊は幽閉されている小五郎から鉄山の企みを聞き出し、元信に知らせた。

元信と則職は鉄山を殺そうとするが失敗し、逆に姫路城を乗っ取られてしまう。

姫路城を自分のものにした鉄山は、味方の者を集め、

小寺家家宝の皿「こもがえのぐそく皿」で、蕎麦をごちそうした。

この皿は10枚1組の皿で、どんなものでもこの皿に盛って食べると

その毒に当たらないという不思議な皿だ。

それどころか、どんな毒に当たっても、この皿をなめれば

たちまち回復するという。

この皿を洗い清めていたお菊だったが、途中席を外した隙に、

町坪弾四郎に皿を1枚隠されてしまう。

鉄山は怒りお菊を斬り殺そうとするが、弾四郎がとりなし、

お菊を自宅へ連れ帰る。

実は弾四郎はお菊に懸想しており、彼女の弱みを握り、

自分の思い通りにしようと企んでいたのだ。

自宅にお菊を連れ帰った弾四郎は、お菊を自分に従わせるために彼女を

庭の木にくくりつけ、青竹で叩きながら自分に従うように迫る。

しかしお菊はどう責められても、弾四郎にはなびかず、

ついに怒った弾四郎はお菊を斬り殺し、井戸の中に投げ捨ててしまう。

やがてその井戸の中から、お菊が皿を数える声が聞こえてくるようになる。

しかし9枚まで数えた所で、お菊は皿が足りないことを嘆き、

皿の割れる音がする。

人々は恐れおののき、この屋敷を「皿屋敷」と呼ぶようになる。

やがて則職と元信は鉄山を倒し、姫路城を取り返す。

鉄山の息子小五郎は父の罪を恥じて切腹し、その恋人であった白妙姫は

尼になって一生を過ごすことになる。

町坪弾四郎は隠していた皿を返し、謝罪したが許されず、

室津で遊女をしていたお菊の2人の妹によって仇討ちされてしまう。

小寺家ではお菊を十二所神社の中に祀り、お菊神社とした。

以上が一般に知られている、「播州皿屋敷」のストーリーである。

ひとつひとつ、分析していってみよう。

まず、一番最初に出てくる小寺豊職と小寺則職。

この2人は実在の人物である。

小寺則職は永正16年(1519年)に姫路城城主になっている。

大河ドラマ「軍師官兵衛」で片岡鶴太郎が演じている小寺政職は、

この小寺則職の息子だ。

豊職と則職は、実際には親子ではなく祖父・孫の関係だったようだ。

この「播州皿屋敷」で書かれている、小寺家のお家騒動も創作で、

実際にそういう事件があったという記録はない。

ただ永良竹叟が1577年に記した「竹叟夜話」に、この「皿屋敷」事件に

似た事件が書かれている。

それによると、皿は鮑貝の杯、「お菊」は「花野」と言う名前の女性に、

責め殺されたあと井戸に捨てられるという部分がない、などの違いがある。

もちろんお家騒動などはなく、ただ女性が殺され、その怨霊が出たというだけの

話である。

永良竹叟は市川町の人で、この話が日本中の皿屋敷伝説の中で、

最古のものとなっている。

恐らくはこの「竹叟夜話」に出ているエピソードをもとに、

「播州皿屋敷」が作られ、さらにそれをもとにして「番長皿屋敷」が

作られたのではないだろうか?

それによって定番になった「皿屋敷」は、全国各地に広まっていく。

伊藤篤氏の著作「日本の皿屋敷伝説」によれば、じつに日本には50以上の

「皿屋敷伝説」があると言う。

興味のある方は、ぜひご一読を。

青山鉄山が「こもがえのぐそく皿」で饗した蕎麦であるが、

この永正年間である16世紀初頭には、現在の麺形態の蕎麦は作られていない。

恐らくはそばがきか、そば粉を水で溶き薄く焼いたそば焼きだったと思われる。

蕎麦は荒れた土地でも育つ、救荒植物である。

当時は蕎麦自体、米や麦に劣る雑穀扱いであったことを考えると、

かなり豊かだったはずの播磨で、身分ある人の饗応の宴に蕎麦が出される

というのもいささか不自然に感じる。

これは「播州皿屋敷」を書いた人が、そばを好んで食べた江戸の人物だった

からではないだろうか?

さらにそばがきともそば焼きとも書かず、ただ「そば」とだけ書いているのは、

麺形態のそばが当たり前になった時代に書かれたのだろうと推測できる。

後は、全く歴史的ではない検証になるが、弾四郎のお菊に対する扱いである。

弾四郎はお菊を自分に従わせるために、庭の木にくくりつけ青竹で叩く。

そしてお菊が自分に従わないことに腹を立て、斬り殺す。

現代人の感覚からすれば、疑問が残る。

はっきり言えば、いや、アンタお菊とエロいことしたかったんじゃないの?

従わせるもクソも、さっさとやることやっちまえばよかったんじゃないの?

と言う、身もフタもない疑問を持たざるを得ない。

それを青竹で叩いて従わせようとするとは、

弾四郎はかなりアブナい純情男だったのだろうか?

それとも女性を縛り上げて、叩きまくることでエクスタシーでも

感じていたのだろうか?

どちらにしても町坪弾四郎については、アブノーマルの疑惑が濃い。

この点に関しては、我ながらかなりひどい検証だ。

さて、つらつらと「播州皿屋敷」について分析してみた。

やや堅苦しい分析になったが、勘弁してほしい。

……で、今回あえて触れなかった箇所がある。

皿屋敷における、最重要アイテム「皿」に関しての検証である。

これはこれだけでも結構長くなりそうなので、次回にまわすことにする。

次回、播州皿屋敷~番外編~にて。

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