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シン・ゴジラ

更新日:

人には、その原初ともいうべき「ゴジラ」映画がある。

ナニいってんだ、こいつ?と、思わないでほしい。
「ゴジラ」シリーズは、第1作「ゴジラ」が
1954年に上映されたため、
実に60年以上の歴史を持っている。
これだけ長い歴史を持つ作品だと、
生まれて初めて見た「ゴジラ」映画が、
全く違ってくる、なんていうことが、ごく普通に起こる。
生まれて初めてみた「ゴジラ」が、
第1作の「ゴジラ」だという人もいるだろうし、
ゴジラがシェーッをするあれが、
初めての「ゴジラ」だったという人もいるだろう。
メカキングギドラと戦っていた「ゴジラ」が最初だったという人も、
軽快なステップで、マグロを食べていた「ゴジラ」が、
人生初「ゴジラ」であるという人も、当然、いるに違いない。

もちろん自分にも、初「ゴジラ」がある。
それが「ゴジラ」である。
……。
こう書くと、え?アンタ、第1作を最初に見たの?
そんな歳だったの?と、驚かれるかも知れないが、
もちろん、自分が初めて見たのは、第1作の「ゴジラ」ではない。
実は、国内で製作された「ゴジラ」シリーズは、
全部で28作品あり、この28の作品の中に、
全く同じ「ゴジラ」というタイトルが、2つあるのである。
1つはもちろん、第1作「ゴジラ」である。
先にも書いた、1954年に上映された、初めての「ゴジラ」だ。
そしてもう1つは、1984年に上映された、
第16作「ゴジラ」である。
一般的には、「ゴジラ84」などといわれることもある。
自分が初めてみた「ゴジラ」というのは、
この1984年版の「ゴジラ」だったワケである。

自分が初めて見た、この1984年版「ゴジラ」によって、
「ゴジラ」シリーズは、一大転換点を迎えた。
と、いうのも、第1作「ゴジラ」から
第15作「メカゴジラの逆襲」まで、
すべて1つの時間軸で描かれていたのだが、
この1984年版「ゴジラ」によって、この設定が壊された。
1954年の「ゴジラ」のあと、
第2作「ゴジラの逆襲」から第15作「メカゴジラの逆襲」までが、
全く無かったことになり、第1作以降、30年ぶりに
日本にゴジラがやってきたという設定になってしまったのである。
早い話、シェーッをしたゴジラも、放射能で空を飛んだゴジラも、
ミニラという出来が悪く、不細工な息子も、
全て無かったことにされたのである。

そんなわけで、この1984年版「ゴジラ」は、
原点回帰ということの他に、
現代(1984年)にゴジラが出現したら、どうなるか?
という視点の元に描かれた映画だった。
当然、ライバル怪獣などは一切出てこず、
登場する怪獣はゴジラのみであった。
(一応、ゴジラの影響で巨大化したフナムシなんかも出てきたが、
 ゴジラと戦ったり、ストーリーの本筋に絡むこともなかった)
1984年という時代。
世界は米ソの冷戦状態が続いており、
日本に現れた「ゴジラ」という脅威に対し、
両国が日本に「核」の使用を求める、なんていうシーンも描かれ、
かなり大人向けの「ゴジラ」であった。

当時、小学生だった自分は、家族と一緒に、
姫路の映画館まで、コレを見に行った。
それまでにも「ゴジラ」という映画があるのは知っていたが、
当時はまだレンタルビデオですら一般的でない時代、
興味はあっても、それを見ることは出来なかった。
それが、いきなり劇場の大画面での「ゴジラ」である。
当然、あっという間にファンになってしまった。

30年前に東京を襲ったゴジラが再び現れ、
(第1作「ゴジラ」があったということは、
 当然、そのラストでゴジラは
 オキシジェンデストロイヤーによって、
 退治されてしまっているはずである。
 そう考えれば、この1984年版「ゴジラ」に出てきたゴジラは、
 第2作~第15作で活躍したゴジラと同じく、
 2匹目の個体、ということになる)
ただ、本能の赴くままに町を破壊する、というのは、
まさに第1作「ゴジラ」の焼き直しである。
つまり自分にとって「ゴジラ」とは、
第1作と同じく、災害か何かと同格のもので、
そこに「反核」というメッセージを含んだ、
「恐怖の破壊獣」という風に刷り込まれたわけである。 

第1作「ゴジラ」では、ゴジラは兵器によって倒すことは出来ず、
オキシジェンデストロイヤーという、化学薬品によって、
退治されてしまう。
この1984年版「ゴジラ」においても、
自衛隊の兵器、首都防衛戦闘機スーパーXなどの兵器では倒せず、
ゴジラの帰巣本能を利用することにより、ゴジラを誘導、
火山の火口に突き落とすことによって、これを退治する。
どちらの場合も、力に力で対抗してもかなわず、
知恵を使うことによってゴジラを撃退している。
つまり、絶対的な力を持つゴジラに、
同じように力を持って対抗しても、結局は対抗できず、
力とは全く違う、知恵をもって、これを制しているわけである。

そういうストーリーが、初めてのゴジラとして、
強烈に刷り込まれている以上、
この後に続く「VSシリーズ」というのは、
心のどこかで、違和感を感じるストーリーであった。

第16作以降続く「ゴジラ」では、
毎回のようにライバル怪獣が出現し、
(もっとも、人類の作ったメカゴジラやモゲラ、
 メカキングギドラのように、人間の操る兵器もあった)
ゴジラはこれらと戦った後、何となく海に帰っていく、
という展開がほとんどであったのだが、
そんな映画のラストを見るたびに、
なんでライバル怪獣を倒し、邪魔者がいなくなった町で
大暴れせずに海に帰っていくのかと、
不思議に思わずにはいられなかった。
16作目以降のシリーズでは、
ゴジラは決して正義の味方として描かれているわけではなく、
あくまでも人類の「敵」としての立場を固持している。
で、あるならば、ライバル怪獣がいなくなったとしても、
ゴジラにとって本来的な「敵」、人間がまだいるのだから、
ここで戦いをやめてしまうのはおかしい。
あくまでも、人類が倒されるか、
ゴジラが倒されるかという決着を付けなくては、
物語は終わらない。
だが、16作目以降の「VS」シリーズでは、
そこの所が、かなりいい加減である。
ライバル怪獣との戦いでダメージを受けた、といっても、
毎回、ゴジラはしゃんと背筋を伸ばし、
しっかりとした足取りで海に帰っていく。
「VSキングギドラ」などでは、ろくにダメージも受けず、
メカキングギドラに拘束されて、海に運ばれただけである。
これではゴジラはあっという間に拘束を振りほどき、
再び日本に上陸してくるであろう。
ところが、このシリーズでは、ある程度暴れて海に帰ったら、
しばらくの間、ゴジラはおとなしくしているという、
ワケのわからない不文律があったため、
何ともいえない違和感があったのである。

「ゴジラ」シリーズの中で、
ゴジラが悪役として描かれているものは少なくないが、
これをしっかりと「殺して」終わっているものは少ない。
第1作「ゴジラ」がオキシジェンデストロイヤーによって
溶け殺されてしまったのと、
第22作「VSデストロイア」で、
メルトダウンして溶けてしまったもの、
さらに第25作「大怪獣総攻撃」で、
体内から攻撃され、粉々になってしまったものだけである。
このうち、人間が殺したといえるのは、
第1作と第25作だけで、さらに第25作では、
ラストでゴジラの心臓と思わしき物体が動き始めるので、
ひょっとしたら「死んでいない」可能性もある。
と、なると、ゴジラを人類が殺せたのは、
第1作のみということになる。

現在、第29作目の「シン・ゴジラ」が、上映されている。
この「シン・ゴジラ」では、ゴジラ以外の怪獣は出てこず、
それどころか、今までのシリーズでは欠かせなかった、
第1作「ゴジラ」ですら、なかったという前提の元に作られている。
つまり、全く未知の巨大生物「ゴジラ」と、
人間の戦いが描かれるワケである。
1984年版「ゴジラ」によって、
ゴジラ観の出来上がった自分にとっては、
もっとも期待感をそそられる設定の作品である。

果たして人の「知恵」は、
再び「ゴジラ」を殺すことが出来るのだろうか?

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