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雑感、考察

能楽 ~その1~

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よく雑誌やウェブで、「女性受けの良い、男の趣味」などいうアンケートを

やっていることがある。

自分は山の記事を結構書いていることからもわかるように、登山が趣味である。

が、大方の場合、登山というのは女性受けしない方の趣味になっている。

世間では「山ガール」などという言葉もでき、女性層にも登山は受け入れられつつ

あるようだが、恋愛対象としては山男はNGということらしい。

で、その女性受けがいい方の趣味を見ていると、「能楽鑑賞」というのがあった。

他に書き連ねられている趣味と比べると、この「能楽鑑賞」はあまりに異質だ。

なぜここに「能楽鑑賞」?

そんな気持ちが隠せなかった。

今までに2回、能楽を観に行ったことがある。

1回目は姫路市の市民会館で行なわれていた、姫路能楽会主催のもので

2回目は宍粟市山崎町が主催で行なわれた、山崎八幡神社の薪能だ。

少なくともどちらの会場にも、若い女性の姿はなく、それどころか若い男の

姿すらなかった。

周りを見渡せば、シルバー世代ばかりで自分の姿は完全に浮いていた。

……本当に「能楽鑑賞」が女性に受けのいい趣味なのだろうか?

今回は疑惑の趣味、「能楽」について書いてみたいと思う。

能楽は平安時代から続く、といわれる伝統芸能である。

といわれる、という曖昧な表現をしたのは、実際にはどれくらい古くから

伝わっているのか、はっきりとはわからないからである。

一説には世界で現存している仮面劇の中で、もっとも古いものだとも言われる。

これが現代に伝わっている「能楽」の形になったのは、室町時代、

観阿弥、世阿弥親子の手によってである。

現存している能楽の演目は、この2人の作によるものが多い。

現代能楽の大家「観世流」は、この親子の流れを組む流派だ。

基本的には5番、5本の能を、間に狂言を挟みながら演じていくのが

普通の番組なのだが、現代ではこの形態をとっている所は少ない。

と、いうのも能は1本、1本、が結構な長さがあり、それを狂言と一緒に5本、

ということになると上演時間が膨大なものになってしまう。

もともと能は丸1日かけて上演されるものだったらしいのだが、

さすがにこの形態では、演じる方も見る方もたまらないということで、

2本の能と、1本の狂言という番組が多いようである。

さて、余程の好事家でもない限り、現代人が能楽を見て全てを理解することは

まず不可能だ。

ズバリと言い切ってしまったが、一般人の場合、演者が何を言っているのか

9割方理解できないと思っていい。

能のバックコーラスである地謡にいたっては、下手をすれば全くわからない。

なぜか。

簡単である。

台詞が全て古文だからだ。

それをさらに独特の節でしゃべるものだから、もう手に負えない。

ではどうするか。

何の予備知識もないまま能を見ては、それこそチンプンカンプンだ。

だから観客がほとんど素人であるような場合、

能が始まる前にちゃんと説明が入る。

この説明によって、どういうストーリーか、どのような登場人物がでるのか、

それぞれどういう裏設定があるのか、大方語られる。

場所によっては、ストーリーをくわしく説明したパンフレットを配る所もある。

観客はこれらによって、今から目の前でどういうストーリーが繰り広げられるのか

あらかじめわかった状態で、能を観ることになるのである。

だがしかしである。

ここまでわかって能を見ていても、細かい所はよくわからない。

下手をすればストーリーがどこまで進んでいるのか、

理解できないことも多々ある。

目の前のキャラクターが、今歩いているのか、それとも踊っているのか、

はたまた戦っているのかすら、わからない時がある。

何故なら演者の動きが、非常に少ないからだ。

ひとつひとつの所作を洗練し続けていった結果、ひどく単純で緩慢なものに

なっているからだ。

昔の能の上演時間は、現在のものに比べるとかなり短かったという。

動きも謡も、芸術性を高めていった結果、現在のスピードになったという。

つまり現在の能は、昔の能をビデオのスロー再生で見せられているといっても

いいのかもしれない。

ここまで能について、ずいぶんなマイナスなことを書いてきたと思う。

ひょっとしてアンタ、能、嫌いなんじゃないの?

などと思われているかもしれない。

ここからはそれでも観に行ってしまう、能の魅力について書いていこう。

能を観に行った人が、まず間違いなく感じるのは、凄まじいまでの緊張感だ。

能の音響係、囃子方、地謡が作り出す音は澄み切っていて、迫力満点だ。

生演奏、生歌が能舞台の構造によってか、会場中に響き渡る。

この囃子と地謡が始まると、会場の空気が一変するのを肌で感じることができる。

空気が一変した会場に、入場してくる演者の衣装も見所のひとつだ。

我々現代人の日常とはかけ離れた衣装だが、その美しさは現代人である我々に

とっても充分にセンスを感じさせる。

そして何よりも、能舞台そのものが、洗練された美意識で造られている。

舞台において装飾といえるものは、背後の壁に描かれている老松ひとつで、

後は橋懸かりの前に植えられた、3本の若松である。

この装飾とも言い難いようなシンプルなデザインが、スッキリと決まり、

問答無用の「和」の空間を演出している。

この美しい「和」の空間の中で、現代人の感覚でも古くささを全く感じさせない

豪奢な衣装をまとい、緊迫感あふれる迫力満点の音響の中で能は演じられる。

それはストーリーがわかりにくいだとか、何を言っているのかわからない

などといった点をさし引いても、圧倒される空間なのだ。

よく能楽において「幽玄」という言葉が言われるが、

この空気こそが「幽玄」なのかという思いすらする。(違うかもしれないが)

確かに能楽は、他の演劇と比べると娯楽性という点においては

強烈に異質な所がある。

しかしそれは他のものに比べて、決して劣っているというわけではない。

その点を理解しておかないと、恐らく能楽の面白さには気づけない。

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