最近、日本全国で大雨やら、猛暑やらで大騒ぎだ。
やれ、大雨で冠水したとか、土砂崩れで孤立したとか、
かと思えば、猛暑で38度や39度という、地獄のような気温を記録したり……。
そんな中、地元たつの市は、実に過ごしやすいことになっている。
大雨の影響で雲は多いのだが、雨はほとんど降らない。
空が雲に覆われているため、気温もそれほど上がらない。
かなり過ごしやすい状況になっているのだ。
結構、風もふいているので、かなり涼しい夏を過ごしている。
そんな中、ひときわ清涼感を際立たせてくれるのは、風鈴だ。
小さな風鈴を窓際にぶら下げているのだが、これが風に吹かれて、
チリンチリンと、よい音色を出している。
今回はこの「風鈴」について書いていく。
風鈴は釣鐘型をした鈴の下に糸を垂らし、その糸に短冊などを結びつけたものだ。
この短冊が、風に吹かれると鐘の中に仕込まれた「舌」と呼ばれる部品が、
鐘の中にぶつかり音を鳴らす。
風鐸(ふうたく)と呼ばれることもある。
鉄製の風鈴が多いが、他にも陶磁器製やガラス製のものもある。
日本の民家の軒先に吊るす「風鈴」が、いつごろから用いられているのかは、
明らかではない。
少なくとも江戸時代には、夏の風物詩のひとつとして、親しまれていたようだ。
寺では、お堂の四隅の軒下に、青銅製の「風鐸」をぶら下げている。
これは強い風が吹くと、鈍い音をたてて鳴る。
強い風は、流行病や悪い神を運んでくると信じられていたことから、
一種の邪気除けとして、とりつけられているようだ。
中国では、唐の時代、竹林の東西南北に風鐸を吊るし、
物事の吉兆を占う、「占風鐸」と呼ばれるものがあった。
それが仏教文化とともに、日本に伝来したものと思われる。
平安時代後期になると、貴族の屋敷などでも同じように風鐸を吊るし、
魔除けとした。
少なくともこのころの「風鐸」は、現在の風鈴と違い、
音色を楽しむものではなかった。
ガラス製の風鈴が作られ始めたのは、1700年ごろのことである。
当時、長崎のガラス職人が、ガラスを「見せ物」として、
京都・大阪・江戸をまわった。
この「見せ物」の中で、ガラス製の風鈴が作られたらしい。
当時のガラス製風鈴は大変高価で、
現在の価格で200万円~300万円もしたという。
このころのガラスはポルトガル語で「ビードロ」、
オランダ語で「ギヤマン」と呼ばれた。
すでにポルトガルが日本に来なくなって、かなりの年月が経っていたが、
ポルトガル語の「ビードロ」が使われ続けていたあたり、
戦国時代から安土桃山時代にかけて、相当量のガラス製品を、
輸入していたのだろう。
ガラス製品が一般的になったのは、江戸の終わりから明治にかけてである。
明治20年代になり、ようやくガラス製の風鈴が一般的になる。
明治24年刊行の「風俗画報」には、東京郊外の長屋の軒下に、
ガラス製の風鈴が下げてある挿絵がある。
ガラス製の風鈴は明治時代まで、一般的ではなかった。
では江戸庶民が使っていた風鈴は、どのようなものだったのか?
ガラス製ではないということは、鉄製か陶磁器製だったはずである。
陶磁器製であったとすれば、恐らくは磁器製のものだと思われる。
磁器は、鳴らすと金属的な音がする。
その音色には、いかにも風鈴的な風情がある。
しかし、磁器が大量生産されるようになったのは、
産地が機械化されてからのことだ。
そうなって初めて、庶民の手に磁器が届くようになった。
具体的に、大量生産が始まったのは、明治時代に入ってからである。
と、なると磁器製の風鈴が市場に出回るようになったのは、
ガラス製の風鈴と同じ、明治時代に入ってからであろう。
そうなってくると江戸時代、庶民の間で使われていた風鈴は、
鉄製のものであったことになる。
現在では、日本各地で様々な材料を用いた風鈴が作られている。
その材料を見てみると、鉄、銅、ガラス、陶器など、昔ながらのものの他に、
木、木炭、水晶などがある。
金属製のものであれば、岩手県の南部鉄器製の風鈴、
神奈川県の小田原砂張製の小田原風鈴、
富山県の真鍮製の高岡風鈴、
兵庫県姫路市の明珍火箸をつるして、風鈴に仕立てたものなどがある。
ガラス製のものでは、江戸風鈴、琉球ガラス製の風鈴、
諏訪ガラスでも風鈴が作られている。
各地へ出かけるようなことがあれば、土産物屋の中で探してみてはどうだろうか?
風鈴は一度ぶら下げると、ついつい取り外すのが面倒になって、
つけっぱなしにしてしまう。
結果、一年中風鈴の音が鳴り響く。
春~秋の間は、風鈴が鳴っていてもそれほど気にならないが、
さすがに冷たい北風の中で風鈴が鳴っていると、興ざめである。
そういう場合、軒下ではなく、部屋の中に吊るすといい。
春~秋の間は窓を開けるので、風が入ってきた時に風鈴が鳴る。
冬場は風を取り込むために、窓を開け放つこともないので、
風鈴は鳴らない。
全く、ものぐさの極致である。