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加藤文太郎

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前に登山家、ジョージ・マロリーについて書いたことがある。

彼はまさに世界レベルで有名な登山家であり、

世界最高峰の初登頂に挑み、そして雪山に姿を消すという

ミステリアスな最期を遂げた。

彼がいつまでも人々の心に残っているのは、ひとつには

この最期も大きく関係している。

登山家というのは、レベルの低いうちは死亡率はそれほど高くない。

逆に登山家としてのレベルが上がってくると、死亡率は上がっていくという

極めて奇妙な宿命を持っている。

つまり登山家としてのレベルが上がれば、それに比例して

難しい山に登るようになるからだ。

難しい山というのは、実に簡単に登山家の命を奪っていく。

しかも百戦錬磨の登山家の命を、やすやすと奪ってしまう。

それだけレベルの高い山というのは、危険な場所なのだ。

ジョージ・マロリー、エドモンド・ヒラリー、テンジン・ノルゲイ、

ラインホルト・メスナー。

ここに挙げた登山家は、まさに伝説的な登山家だ。

世界中の人々が名前を知っていて、尊敬を受ける登山界のレジェンドだ。

ここから話の規模は急に小さくなる。

国内規模の登山家の話だ。

が、彼もまた伝説的登山家として、その名を語り継がれている。

それが今回紹介する、兵庫県の生んだ偉大な登山家、加藤文太郎だ。

彼もまた、日本登山界で尊敬を受ける偉大なレジェンドだ。

登山のスタイルのひとつに「単独行」というのがある。

パーティーを組まず、たった一人で山頂を目指すスタイルだ。

今でも、単独行を忌み嫌う風潮は、一部に残っている。

しかし現在では、多くの登山者がこのスタイルで登山している。

仲間と容易に都合を合わせにくい現代においては、

単独行は必須スタイルともいえる。

この「単独行」という登山スタイル、

これを日本において最初にやってのけた登山家、それが加藤文太郎だった。

加藤文太郎が生まれたのは1905年、明治38年だ。

兵庫県美方郡浜坂町、現代の新温泉町だ。

後に就職のため神戸に出た加藤文太郎は、まず神戸市のシンボル六甲山に登る。

現在、当たり前のように行なわれている六甲全山縦走は

加藤文太郎がはじめたことである。

彼の足の速さは驚異的で、一日のうちに須磨から六甲全山を縦走し宝塚に出て、

そのまま歩いて須磨まで帰ったと言う。

六甲全山縦走は50km以上ある。

もちろん全て未舗装の山道だ。

一日に歩いた距離は、山道、一般道を含めて100kmを超える。

フルマラソン2回分でも足りない距離だ。

一般人の歩行速度、時速4kmで歩いていては、24時間歩き続けても

歩き切ることのできない距離だ。

ほとんど走っていたのではないか、と思われる速度だ。

もちろんこれも単独行でだ。

というより、このスピードについていける人間はそうはいない。

これを考えれば、加藤文太郎の単独行は必然だったのかもしれない。

しかし当時、登山とはパーティーを組んで行うものであり、

充分な装備と案内人をつれていく、カネのかかる趣味だった。

そんな中、単独行で次々と記録を打ち立てていく加藤文太郎は

装備も自分で考案した在り合せのもので、案内人もつれてはいなかった。

そんな彼の登山スタイルは、賛否両論を巻き起こした。

だが加藤文太郎は、そんな声など気にもかけず、

槍ヶ岳冬期単独登頂、冬期北アルプス単独縦走など、

単独行にて新記録を打ち立て続けた。

やがて人々は彼を「不死身の加藤」と呼ぶようになった。

……と彼のこのようなエピソードを聞くと、まるで加藤文太郎が

鋼の身体と鉄の心を持つ、超人登山家のように思える。

実はそうではなかった。

彼は、確かに鋼の身体を持っていたかもしれない。

しかし彼の心は、鉄ではなかったのだ。

それは彼のたったひとつの遺稿集、『単独行』を読めばわかる。

『単独行』は彼が書き残した文章をまとめたものだ。

加藤文太郎自身の言葉で語られているのは、この本だけだ。

この本には超人加藤文太郎ではない、人間加藤文太郎の苦悩が綴られている。

パーティーを組んでいる他の登山者から、冷たく突き放される加藤文太郎。

全ては対人関係の苦手な彼の性格からきている。

伝えたいことを、うまく伝えられず誤解され、拒絶され苦悩する。

時に雪山で山小屋を追われる。

しかしそれによって彼は生き残り、彼を追い出したパーティーは、

小屋ごと雪崩に流され全滅する。

彼はそんな自分に責任のないことにさえ、動揺し苦悩する。

1週間、誰にも会わず冬山を歩きながら、人恋しさに苦悩する。

弱気になる自分を、必死で鼓舞する加藤文太郎。

読んでいるこちらが悲しくなってくるほどに、『単独行』の中の加藤文太郎は

弱くおびえているように思える。

しかし、彼はそんな自分の弱さを知っていて、必死でそれと戦っている。

そんな彼の必死の叫びこそが、「単独行者よ、強くあれ」という言葉なのだろう。

自分の弱さを認め、それに必死で抗い、単独行を続けた彼は、

どこまでも人間加藤文太郎だった。

そして人間加藤文太郎は、鉄の心ではなく、ただ強い心を持っていた。

そんな彼にあっけない最期がやってくる。

1936年、槍ヶ岳北鎌尾根で遭難し、帰らぬ人となった。

わずか30歳での最期だった。

「単独行」で名を馳せた彼が、「単独行」ではない山行で命を落としたのは

皮肉なことである。

「単独行」は登山者にとって、究極の登山だ。

登山は自己責任のレジャーだが、「単独行」はまさに全ての責任を背負う。

1人で計画し、1人で準備し、1人で判断し、1人で危機を乗り越える。

山中では常に1人、誰の力も頼めない。

「単独行」をするためには加藤文太郎の言葉通り「強さ」が必要だ。

その「強さ」はガムシャラに突き進む「強さ」ではなく、

進むべき時に進み、引くべき時には引ける、本当の「強さ」だ。

これのできない人間は「単独行」をすべきではない。

新田次郎が、彼を主人公にした小説「孤高の人」を書いている。

これはあくまでも創作なので、事実と違う所もあるが、

加藤文太郎の人生を、小説という形で読みたい方は是非。

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