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シイタケ〜その1

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世の中には、様々な「乾燥食品」がある。

「乾燥食品」などと書くと、ちょっと身構えてしまうが、
早い話、乾物といわれる品々のことである。
様々な食品が天日、あるいは機械で乾燥されている。
肉を乾燥させたものには
「ビーフジャーキー」などがあるし、
魚介類を乾燥させたものは、「干物」の他にも
「煮干し」や「スルメ」、「鰹節」などがある。
果物では「干し柿」、「レーズン」などがあるし、
野菜では「千切り大根」や「干し芋」などがある。

こうして各種「乾燥製品」を並べてみると、
そのどれもが「保存」を目的としていることがわかる。
生の肉はあっという間に腐敗するし、
生の魚介類も同じである。
野菜や果物は、肉や魚ほど、
すぐには傷まないものもあるが、
大方のものは常温で保存すると、
1週間も持たないものばかりである。
ところがこれらの食品を乾燥させると、
長期間、常温で保存がきくようになる。
(もちろん、湿気に触れさせないようにするなど、
 気をつけないといけないこともあるが……)

食品を乾燥させると、一般的には格が落ちるとされる。
「ビーフジャーキー」よりは「生の牛肉」の方が、
価値があると思われているし、
「干物」や「スルメ」よりは「生魚」「生のイカ」の方が、
価値があると思われている。
果物にしても、野菜にしても、
より新鮮で瑞々しいものの方が、有り難がられている。
概ね、「乾燥食品」は「生」の物に比べると、
格が落ちると考えられているようである。

しかし、世の中には乾燥することによって
「生」のもの以上の味わいになるものがある。
先に書いたものの中では「鰹節」などがまさにそれで、
カツオの身を蒸した後、固くなるまで乾燥させた「鰹節」は
生のカツオよりも、旨味が凝縮されており、
和食においては欠かせない、「出汁」の元になっている。
これと同じく「シイタケ」もまた、
乾燥させることによって、
「生」以上の味わいになる食品のひとつである。

シイタケはキシメジ科シイタケ属に属する、キノコである。
日本、中国、韓国などの
東アジアを中心として食されており、
英語やフランス語でも「シイタケ」というのは、
そのまま通用する。
こういう風に書くと、シイタケって日本原産なの?
という風に思ってしまうが、
シイタケの原産地はニューギニアといわれている。
ニューギニアはオーストラリアの北に位置する島国で、
赤道よりわずかに南側に位置している。
このニューギニアから、シイタケの胞子が
台風によって太平洋を渡り、
日本までやってきたと考えられている。
シイタケを漢字で書くと「椎茸」となるが、
これは読んで字のごとく
「椎の木に生えるキノコ」という意味である。
が、シイタケが生えるのは、
別に椎の木に限ったことではなく、
椎以外にも、クヌギやコナラ、ミズナラ、
クリなどの枯れ木に生える。
非常に稀な話ではあるが、スギに生えたという話もある。
意外に節操のないキノコである。

シイタケが日本で最初に食用として名前が挙がるのは、
室町時代の国語辞書「節用集」(1450年)で、
当時はかなり貴重な食物とされていたようである。
ただ、それ以前にも食用にはされていたようで、
禅宗の「典座教訓」には、
「日本の僧が中国に留学した際、
 地元の老僧が干し椎茸を買いにきた」
という逸話が記されている。
禅宗が日本に伝わったのは
平安時代末期から鎌倉時代初期のころなので、
このころにはすでに「シイタケ」は
日本の僧侶に知られていたということになる。
室町時代には、
シイタケを将軍に献上したという記録もあるので、
かなり身分の高い者にしか、
食べられないキノコだったのだろう。
どうして、そんなにシイタケが貴重だったのだろうか?

実はシイタケが栽培できるようになったのは、
それほど古いことではない。
江戸時代には、すでにシイタケ栽培は始まっていたのだが、
その当時のシイタケ栽培は、
シイやクヌギのホダ木に、鉈で切り込みを入れて
山影などにおいておき、菌が自然に付着するのを
待っているという方法であった。
このころ(江戸時代)は、
胞子が風にのって飛んでくるということはわかっておらず、
ただ自然に生えてくるものと信じられており、
置いたホダ木にシイタケが生えてくるかどうかは、
全くの運任せだったのである。
そのため、シイタケ栽培は
成功すれば高い収益を得ることが出来たが、
失敗すれば全財産を失ってしまうほどの痛手を被るという、
非常に博打性の高いものでもあった。
それだけリスクが高いのだから、
その結果作られる「シイタケ」が貴重なのは当然だろう。

ただ、ちょっと気になるのは
そのリスクの取り方である。
要は広葉樹の丸太に傷を付けて、
それを放置しておくだけなのだから、
これを100~1000本単位で
大掛かりにやるというのならともかく、
1~2本だけの非常に小さな単位で、
いわば「副業的」に行なうのであれば
リスクをかなり小さくすることも出来たのではないか?
どうして全財産を失ってしまうほどの、
無茶な規模での栽培を行なったのか?
それともその規模で行なわないと、
全くシイタケが生えてこないほど
効率の悪いやり方なのだろうか?
この辺りのことについては、
触れられている資料が見つからなかった。

明治の終わりごろになって、
ようやく「胞子」が
シイタケの発生に関わっていることが明らかになった。
しかし、それがわかった所で、
これがシイタケ栽培に生かされることはなかった。
シイタケ栽培が画期的に変わったのは、
昭和18年(1943年)に菌糸を培養した種駒を
ホダ木に打ち込む方法が編み出されてからのことである。
これによって、シイタケは安定して栽培されるようになり、
価格も庶民の手に届くレベルに落ち着いてきたのである。

さて、ここまで「シイタケ」と一言ですませてきたが、
ここまで取り上げてきたシイタケのほとんど全てが、
「干しシイタケ」であった。
キノコは生の状態ではほとんど日持ちがしないので、
長距離の輸送をするためには、これを乾燥させることが
必須事項であった。
現在のように「生シイタケ」が流通するようになったのは、
低温輸送が始まって以降のことなのである。

今回、シイタケの歴史を中心として書いてみた。
次回は、シイタケを干した「干しシイタケ」を中心にして
書いていく。

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