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胡椒〜その2

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前回、価値の高かった「長胡椒」(実は胡椒ではない)が
それまで安価(比較的)であった「黒胡椒」に取って代わられ、
スパイスの歴史の檜舞台から、降りた所までを書いた。
今回は、それ以降、「黒胡椒」を求め海に出た人々と、
その後の物語である。

12〜14世紀にかけて、「長胡椒」に取って代わった
「黒胡椒」は、ますますその価値を高めていった。
ヨーロッパの国の中には、「胡椒」が通貨の代わりをしたり、
税金を「胡椒」で収めたり、
役人の給料を「胡椒」で支払った、なんていう話もあった。
食物が通貨の代わりとして通用したというと、
古代中南米の「カカオ」か、古代ローマの「塩」を思い出す。
中世のヨーロッパ文明も、システム的にはそれらの文明と
大差がなかったのだろう。

長い間、インドから陸路を経て、
ヨーロッパにもたらされていた「胡椒」だが、
1453年に起こった出来事によって、大きな転換点を迎える。
地中海沿岸を広く支配していた東ローマ帝国が、
オスマントルコによって滅ぼされてしまったのである。
その当時、「胡椒」はインドからシルクロードを運ばれて、
ヨーロッパへともたらされていたのだが、
そのシルクロードが、トルコによって
分断されてしまった。
ヨーロッパ諸国はシルクロードに代わる、
新たな輸送ルートを確立する必要に迫られたのである。
ここでヨーロッパ諸国が目を付けたのが、
海上ルートであった。
巨大なアフリカ大陸をまわり、大西洋からインド洋へと抜け、
インドとヨーロッパの海上輸送ルートを、
確立させようとしたのだ。
「大航海時代」の始まりである。
アフリカ周りのインド・ヨーロッパルートは、
バスコ・ダ・ガマによって発見され、
彼がインドから持ち帰った香辛料は、
60倍もの値段で売れたという。
ヨーロッパ諸国は、それぞれアフリカ周りの輸送路を確立させ、
香辛料などの貿易によって、莫大な利益を上げた。
こうして運ばれた「胡椒」は、
当時のヨーロッパ貴族にとっては、まさに「富」の象徴であり、
胡椒をタップリと使った料理を作ることは、
彼らの「権力」と「財力」を
アピールすることに他ならなかった。
……。
そう、古代ローマ人たちがやったのと全く同じことを、
中世ヨーロッパ人たちもやったことになる。
古代ローマ人たちが、料理のみならず
ワインや魚醤にまで「胡椒」を入れたのと同じように、
彼らは、それこそ素材の味がなくなるほど
料理に「胡椒」を使い、そういう料理こそが
高級な料理であるという考え方を持っていた。
海原雄山が聞いたら、泡を吹いて卒倒しそうな話だ。
実はこの考え方は、現在でも「宮廷料理」の影響を
色濃く残している高級レストランなどでは、
残っていたりする。
ヨーロッパ旅行をする際、ガイドブックに
「宮廷料理」の影響を色濃く残している、
なんてことを書いてあれば、
それは「美味しい」料理ではなく、
「胡椒まみれ」の料理である可能性があるということだ。

さて、ここで大航海時代の始まりまで、時を戻そう。
多くの船乗りたちは、アフリカ大陸を大きく迂回し、
U字形の航路でインドを目指そうとした。
しかし、船乗りたちの中には、大西洋をひたすら西に進めば、
インドへ辿り着くのではないか?と考えた者たちがいた。
この代表的な人物が、コロンブスである。
彼らは、世界は丸く、西へ、西へ、と進んでいけば
世界の東の果てに辿り着くと信じ、
大西洋をひたすら西へと進んでいったのである。
これは恐ろしく勇気が必要で、また無謀な航海だった。
後にマゼラン率いる船団が、
世界を1周する航海を成し遂げるまでは、
本当に世界が丸いという保証は、何もなかったのである。
もし大西洋の先に何もなかったら?
行けども、行けども、海が広がっているだけだとしたら?
そういう恐怖を、「胡椒」欲しい、という欲望で押し隠し、
彼らは大西洋へと飛び出していったのである。
そして37日後、5700kmの航海の果てに
アメリカへと辿り着いた。
これを皮切りにして、白人による
インディオ・インディアン虐殺の歴史が幕を開けるのだが、
今回はそれを語る話ではない。
彼らは、ようやく辿り着いた陸地をインドと思い込み、
そこから1つの香辛料を持ち帰る。
「レッドペッパー」、つまり「赤い胡椒」と名付けられたそれは、
これをきっかけにして世界中に広まっていくことになる。
そう、「トウガラシ」である。
トウガラシは、胡椒にはない大きな利点が1つあった。
それは冷涼な気候のヨーロッパでも、
栽培することが出来たのである。
自らの土地で栽培することが出来れば、
胡椒に比べ、価格はずっと安くなる。
「胡椒」を求める人間の大航海は、
「胡椒」に匹敵する、新たな香辛料を見つけ出したのである。

さて、再び時を戻そう。
原産地・インドからシルクロードを通って
西へと伝わった「胡椒」。
実はこれに前後するようにして、同じようにシルクロードを伝い、
東へも伝わっていったのである。
中国に伝わり、シルクロードを表す「胡」、
ひりひりと辛いものという意味の「椒」の字を合わせ、
「胡椒」という名前が誕生したのである。
ヨーロッパと違い、中国の南部では「胡椒」を栽培することが
出来たため、ヨーロッパほどの価格の高騰は
起こらなかったようである。

この中国から、日本へと「胡椒」が伝わったのは
8世紀以前のことであるとされている。
東大寺正倉院の御物の中に、クローブやシナモンとともに
「胡椒」の粒も収められており、
かなり早い時期に日本に伝わっていたことがわかる。
当初、「胡椒」は薬として日本に持ち込まれ、
その後も継続的に輸入されていたようである。
平安時代に入ると、調味料として使われるようになった。
ただ、このころの「胡椒」はかなり高価で、
これを調味料として使うことが出来たのは、
貴族など、一部の富裕層のみだったと考えられる。
これが、一般的になったのは、江戸時代の初期のころである。
「胡椒」の価格が安定し、気軽に使える調味料となり、
現在よりもはるかに多用されていたらしい。
(トウガラシが一般化するまでは、うどんに胡椒を振ったり、
 胡椒茶漬けなども食べられていたらしい)
だが、トウガラシの台頭により、
次第に「胡椒」は使われなくなっていき、
歴史の上から一旦姿を消す。
「胡椒」が再び、日本人の前に姿を現すのは、
明治維新後、肉食の解禁された日本で
肉用の香辛料としてであった。

どうして「胡椒」は、トウガラシによって
駆逐されてしまったのか?
恐らくは、日本人の食生活がその原因だろう。
現在でもそうだが、「胡椒」がもっともよく使われるのは
肉類に対してである。
江戸時代、肉食の習慣の無かった日本では、
肉によく合う「胡椒」は、
その真価を発揮出来なかったのではないだろうか?
それに引き換えトウガラシは、
うどんにかける「七味唐辛子」や、
韓国の「キムチ」などを見てもわかるように、
穀物や野菜類との相性が良い。
穀物や野菜を中心とした食生活を送っていた
江戸時代の日本において、「胡椒」よりも「トウガラシ」の方が
受け入れられたというのも、
ある意味では当然のことだったのかも知れない。

明治時代になり、肉食が解禁されると同時に、
「胡椒」もまた、日本人の食生活の中に帰ってきた。
実は「トウガラシ」よりもはるか以前から、
日本人に使われてきた「胡椒」。
それは一部地域で、トウガラシのことを「胡椒」と呼ぶことでも、
明らかである。

シルクロードの果てから海を越え、
世界の東の果てにまで伝えられた「胡椒」。
もてはやされたり、忘れられたりしたその歴史には、
「胡椒」よりも辛い、辛酸の記憶があったのである。

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