仏壇に供えるお菓子を、仏菓子という。
お彼岸のおはぎなどが、その一例だ。
その中で、落雁の立場は弱い。
何が弱いかとって、子供からの人気が、特に弱い。
子供たちはこれを、ただ砂糖を固めただけのものと思っている。
現在の子供は、落雁を貰っても全く喜ばない。
がっかりしたような顔をする。
それだけではない。
仏壇用の落雁に似せた、ビニールパック入りの砂糖も販売されている。
仏壇に供え終わった後、普通の砂糖として使える。
いかに落雁が不人気であるかを、物語るような商品だ。
今回は、この不人気仏壇菓子、落雁について書いていく。
さて冒頭で、子供たちは落雁を「砂糖を固めただけのもの」だと思っている、
と書いた。
確かにパッと見た感じ、砂糖を固めているだけのように見える。
しかし、本当に砂糖を固めただけの角砂糖を食べてみると、
明らかに落雁とは、別物であることがわかる。
では落雁には、砂糖の他に何が入っているというのだろう。
落雁はコメなどから作ったデンプン質の粉に、水飴と砂糖を混ぜ、
さらに着色した後、型に押し込んで形を作ったものである。
この製法から一般的に「押し物」と呼ばれる。
着色前に型抜きし、形を整えてから着色することもある。
ことにひとつの落雁に複数の色をつけるような場合、
こちらの着色方法をとることが多い。
菓子の分類状では、干菓子とされる。
さらに型に押し込む際、生地の中に餡、小豆、栗などを入れることもある。
兵庫県赤穂市の銘菓、塩味饅頭もこのようにして作られている。
コメなどから作ったデンプン質の粉、と書いたが、
これは一般的に「寒梅粉」と呼ばれる。
製法は、餅米を蒸して餅につき、これを焼いて乾燥させた後、砕いたものだ。
「微塵粉」ともいう。
この「微塵粉」を、まだ寒さの残る梅花のころに作ることから、
「寒梅粉」とよんだ。
もっとも作られた時期の問題ではなく、関西では「寒梅粉」、
関東では「微塵粉」と呼ぶという説もある。
さらに「微塵粉」をふるいにかけ、さらに微小な粒を選りすぐったのが
「寒梅粉」である、という説もある。
諸説あるが、成分的には「微塵粉」も「寒梅粉」もかわらない。
主に和菓子材料として使われる。
変わった使い方として、釣り餌の粘着力を増すために入れることもある。
さて、落雁はいつから作られていたのか?
実は落雁の歴史を遡っていくと、日本から飛び出してしまう。
落雁は日本発祥の菓子ではないのだ。
日本に入ってきたのは室町時代、日明貿易によってであり、
後の茶道の勃興により、広まっていった。
といっても、当時はまだ砂糖は国産品がなく、全て輸入品であったため、
それを使った落雁も、高価な菓子であったに違いない。
では、中国ではいつから作られていたのか?
実は、落雁は中国で発明されたものでもない。
元の時代、西~中央アジアからもたらされたものだ。
このころの落雁は、小麦粉・米粉を水飴や脂肪で練って固めたものだった。
水飴はともかく、脂肪というのは日本のものとはかけ離れている。
しかも砂糖が入っていない。
小麦粉・米粉と水飴ならば、現代のものに近い落雁が出来上がるだろうが、
小麦粉・米粉を脂肪で練ってみても、味わいは全くの別物になるだろう。
これに砂糖を加え、天火で焼けば、原始的なビスケットが出来上がる。
そう考えてみると、中国にもたらされた時点での落雁は、菓子ではなく
一種の保存食だったのではないか?
西~中央アジアから中国まで旅する際に携帯した、一種の保存食。
これを中国で、菓子として作り替えたのではないか?
中国での落雁は「軟酪甘」と書いた。
読みは「なんらくがん」だろう。
漢字の持っている意味から考えると、軟らかい、牛などの脂肪、
あるいはバター?などで練り合わせた甘いかたまり、というところだろうか。
ひょっとしたら「甘」という字は、水飴が使われていたために、
甘い味がしたということを、表しているのかもしれない。
これが日本に入ってきた際、牛の脂肪、あるいはバターが無いため、
水飴のみで小麦粉・米粉を練ることになったのだろう。
「軟酪甘」から「軟」を落とせば、そのまま「酪甘(らくがん)」となる。
これが日本で「落雁」となったのではないか、というのがひとつの説である。
どうして「軟」の字が無くなったのか?
どうして「酪甘」が「落雁」になったのか?
ここの所が、どうもはっきりしない。
脂肪を使わなくなったことで、軟らかさが無くなったので、
「軟」の字がなくなった。
そして脂肪を使っていないので、「酪」の字を使いたくなかった。
そのため、同じ響きの字をあてて「落雁」とした。
そういう風に考えることもできる。
実はもうひとつ「落雁」の名前の発祥説がある。
近江八景の「堅田の落雁」にちなんでいる、という説だ。
堅田というのは琵琶湖の南部の西岸、琵琶湖大橋の西詰め辺りの地名だ。
ここに現在でも観光名所となっている、満月寺浮御堂がある。
明応9年(1500年)、近衛政家が読んだ8首の和歌の中で、
「峯あまた 越えて越路に まづ近き 堅田になびき 落つる雁がね」
と、この浮御堂の風景を題材にした。
この和歌から「堅田の落雁」という、言葉が生まれた。
たしかに「落雁」とまったく同じ字を使っている。
しかしこの近江八景の「堅田の落雁」と、
菓子「落雁」との共通点は皆無といっていい。
だからもし、あるとすれば、「酪甘」にかわる「らくがん」の字を
探していた者が、この近江八景の「堅田の落雁」の中から「落雁」の字だけを
拝借したのではないだろうか?
元ネタが元ネタだけに、なかなか雅な雰囲気が漂ってくるではないか。
和菓子に、雅やかな名前をつけたがるのは、現在も変わらない。
こうして「酪甘」が「落雁」に、置き換わったのではないだろうか。
現在、菓子は風味豊かで軟らかいことが求められている。
落雁は、この風潮に全くそぐわない菓子だ。
風味乏しく、石のように堅い。
様々な甘味があふれている現在、その魅力はなかなかわかってもらえない。
しかしティータイム、コーヒータイムにおいて、
香り高い紅茶、緑茶、コーヒーを飲む時、その風味を充分に味わうには、
昨今の風味の強い菓子では、邪魔になる。
その場合、お茶請けは落雁くらい素朴な方がよいのかもしれない。
これが、落雁が生き残るための、道ではないだろうか。