比叡山に登りにいったついでに、安土城にまわった。
その際、国道1号線で京都市東区から山科区を抜けて、
大津市に入ったのだが、その道沿いに某牛丼チェーン店があった。
明言は避けるが、「S」で始まるイニシャルのチェーン店だ。
ネットニュースなどでは、過酷な労働がたたり、人がいなくなり、
「パワーアップ工事中」との張り紙をして、休業している店舗があるという。
幸い、というか地元の「S」では、そういうことも起こっていないようなので、
どこか遠い所の話だっただのだが、今回、京都・滋賀で見た「S」では
3つの店舗で「パワーアップ工事中」の張り紙が出ていた。
最初のひとつを見た時には、おお、これが噂の……くらいの気持ちだったのだが、
さすがに3つも続けて休業中なのを見ると、なんともいえない気持ちになった。
いわばブラック企業の行き着く先、というのを見たような気になった。
今回はこの「ブラック企業」というものについて、書いていく。
ブラック企業、ブラック会社とも言う。
この言葉が使われるようになったのは、比較的最近のことだ。
しかし言葉自体はなかったものの、ブラック企業と呼ばれる企業と同じように、
労働者を扱っている企業は、昔からあった。
もともとの意味は、暴力団などの反社会団体とつながりをもつなど、
違法行為を常態化させた会社のことをさしていた。
しかし最近使われている意味としては、過重労働、違法労働によって、
労働者を使いつぶす企業のことをさしている。
2008年、「ブラック会社に勤めているんだが、もう俺は限界かもしれない」
という書籍が発売され、翌2009年、映画化された。
このあたりが、現在の意味で「ブラック企業」という言葉が使われはじめた、
最初だったのではないか?
元はインターネット掲示板への書き込みであった。
そういう意味では、この話はノンフィクションであった可能性もある。
それから5年。
2013年には、新語・流行語大賞に、「ブラック企業」が選ばれるなど、
ますます「ブラック企業」は身近な言葉になってきた。
さらには「ブラック企業大賞」などが選ばれたり、
週刊誌などでは「ブラック企業ランキング」が発表されたりしている。
まさに「ブラック企業」全盛期、とでもいいたくなる状況だ。
しかし、ここ最近、「ブラック企業」がおかしなことになりはじめた。
先に述べたように牛丼チェーンの「S」は、
いくつも店舗を閉めるはめに陥っているし、
「ブラック企業」の代名詞のようにいわれている「W」は、
経営が悪化して赤字に転落した。
すでに労働者を使いつぶす勢いで使っていた「S」や「W」には、
これ以上、打つべき手があるのだろうか?
この「ブラック企業」の様子を見ていると、どうも第2次世界大戦時の
日本の軍隊を思い浮かべてしまう。
「S」は無茶な計画で、経営そのものをおかしくしてしまったし、
「W」は精神論をぶち上げて、部下を動かそうとしている。
歴史に学ぶのであれば、これは負けパターンだ。
それもいい負けではなく、ぼろぼろになってしまう負けだ。
現在、まだ「ブラック企業」のいう精神論を、正しいものとしている
人が少なからずいる。
こういう人たちは、すがるように持論を強弁する。
しかし第2次世界大戦の歴史を見返してみると、
終戦を迎えたとたん、この手の人たちは、手のひらを返したように
自分の意見を変えている。
これはもう、なんというか、日本人の特質なのかもしれない。
何かひとつ、ことが起こると、それこそコインが裏返るように
一気に世論が変わってしまう。
近い所では、某作曲家と、某科学者の例がある。
こういう企業活動の場合、何が終戦にあたるのだろうか。
その時、世論は恐ろしいほどに一色となって、彼らをこき下ろすのではないか?
それこそ世の不景気も、年金問題も、国の借金も、原発問題も、
果てはポストの色や、隣の犬の鳴き声がうるさいのまでひとまとめにして
「ブラック企業」のせいにしてしまうのではないか?
……さすがにそれはないか。
苦しくなれば、無理をして。
苦しくなれば、精神論で。
これは戦時中からの日本人のパターンだった。
考えてみれば、戦後何十年もたっていながら、日本人というのは
自分たちが思っているほどには、成長していないのかもしれない。