かつて、「日本の県民性」という本を読んだことがある。
たとえば、「日本で一番、米を食べている県は?」というようなテーマで、
各県の統計を取り、そのベスト3とワースト3が書いてある本だった。
こういう本を読むと、自然と自分の住んでいる県が出ている所を、
特によく読んでしまう。
自分の場合は兵庫県だ。
記憶に残っているものは、次の3つだ。
まず、ベストの方では、「日本一パンを購入している」と、
「日本一牛肉を購入している」というのがあった。
そしてワーストの方で気になったのは、「日本一、長寿な県は?」だった。
こちらはワーストだから、兵庫県民の寿命は短いということになる。
ワースト1ではなく、ワースト2だったが、大して変わらない。
あまり短絡的なことを書くのは、差し障りもあるだろうが、
「日本一、パンと牛肉を購入している」というのは、兵庫県民の食生活は、
日本で一番洋風化している、と言えるのではないか?
その洋風化のシンボルともいえる、牛肉のやってきたルーツについて、
今回は書いていきたい。
すき焼きの回で書いたように、日本人の獣肉食の歴史は古い。
牛については、弥生時代の遺跡から、牛の骨が出土している。
すでにこの頃には、日本に牛が入ってきていた。
もっとも食用だったのか、役牛として使われていたものか、
どちらとも言い切れない。
675年には、肉食禁止令が発令され、牛・馬・犬・猿・鶏を
食べることが禁止される。
少なくともこれ以前、古墳時代には牛肉を食べていたのは間違いない。
おそらく、渡来人によって、牛肉食の文化が入ってきたのではないだろうか。
この頃、日本にいた牛は、現在ではほとんど残っていない。
鹿児島県と、山口県にわずかに残っているだけである。
現在、「和牛」と呼ばれているものは、
黒毛和種・褐毛和種・日本短角種・無角和種の4種類だ。
この中で、外国種と配合されていない純国内種は、黒毛和種のみだ。
そして現存する黒毛和種は、そのほぼ全てが但馬牛から出ている。
では、その但馬牛は、いつ、どこからやってきたのか?
一説によれば、古墳時代か奈良時代、百済から食肉用の子牛を乗せた船が、
但馬海岸に流れ着いたことから始まる。
もともとこの船は、平安京へと食肉牛を運ぶために、
敦賀の港を目指していたという。
だが、ここでいくつか疑問が生まれる。
まずひとつ、この但馬海岸漂着事件が、古墳時代か奈良時代のことならば、
時代的にまだ平安京はない。
平安京へ運ぶ、ということ自体が、すでに矛盾を含んでいる。
もうひとつ、奈良・平安時代であるならば、肉食禁止令が発令された後であり、
すでに肉食が禁止になっていた点。
ただ、どの時代でも、厳密に肉食禁止令が守られていたわけではないので、
本当に食肉用として持ち込まれたか、あるいは役牛用ということで、
カモフラージュして持ち込んだのかもしれない。
但馬海岸で、現地の人たちに親切にしてもらった百済人達は、
子牛の飼育を懇願したと言い伝えられている。
797年に完成した「続日本書紀」に、但馬牛についての記述がある。
それによれば、「耕運、輓用、食用に適す」と書かれている。
「続日本書紀」は、奈良時代を記録した歴史書だ。
ということは、すでに奈良時代には但馬牛がいたことになる。
少なくとも、国家編纂の歴史書に、食味が記されていることからも、
この当時、但馬地方では牛肉食の慣習が、あったことになる。
では、この牛肉食、一体いつから始まったのだろう?
但馬地方を語る上で、欠かすことができないのが、天日鉾である。
以前、野見宿禰の話で、新羅から来たこの人物に触れた。
彼は、まず播磨に上陸し、そこで播磨の支配者であった伊和大神と対立。
長尾市の仲裁によって、大和に赴き垂仁天皇に謁見。
その後、各地を転々とし、やがて但馬の地に落ち着く。
但馬地方では、天日鉾は神社に祀られるほどに、崇拝されている。
但馬地方の牛肉食文化の伝達者として、
この人物ほど適任なのはいないのではないだろうか?
天日鉾によって、大陸文化をもたらされた但馬地方の人々は、
彼を但馬の支配者としてまつりあげ、後に神として崇拝した。
そういう歴史的下地があった所に、百済からの難破船がやってくる。
天日鉾を崇拝していた人々は、遭難者達を天日鉾と同じ渡来人として、
丁重に遇した。
これに感謝した百済人達は、但馬地方の人々に但馬牛の子牛を託す。
もちろん、食肉文化を持っていた彼らは、但馬牛を役牛として用いるだけでなく
その肉を食用として用いた。
その証拠が、「続日本書紀」における、但馬牛の食味の記載ではないだろうか?
この後、但馬という閉ざされた地域の中で、
但馬牛は絶えることなく、生き続けた。
やがて1000年以上の時を経て、肉食禁止令が撤廃される。
そう、明治維新だ。
神戸に住み着いた外国人によって、但馬牛はその美味を見いだされる。
一時、外国産牛との交配も試みられたが、良い結果は残せず、
但馬牛はその純血を頑に守りながら、改良されていく。
そしてついに現在の黒毛和種の元祖ともいうべき、「田尻号」を生み出した。
この「田尻号」は、人工授精のない時代に1463頭もの子供を残した。
そしてその子孫は40万頭にも達し、日本のあらゆる名牛の元となった。
神戸牛、近江牛、松坂牛など日本最高峰の牛肉は、
すべてこの「田尻号」が元になっている。
さらに前沢牛、仙台牛、飛騨牛、佐賀牛も「田尻号」の血を引く但馬牛を、
掛け合わせることによって生み出されている。
そう、日本で売られている高級牛肉は、今から1300年以上前に、
但馬のひなびた海岸から、のっそりと上陸してきたのだ。
そして、彼らは但馬の地でひっそりと生き続けてきた彼らは、
今や世界で最も高価な牛肉になってしまった。
そのせいか「日本一牛肉を食べている」兵庫県民である自分は、
いつも輸入牛肉をパクパクと食べている。
これもこれで美味しいので。
……ひがんでないよ?