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歴史

前世紀〜その2

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By: f59t8y

前回、第1次世界大戦後、空前の好景気に沸くアメリカが
1929年、10月24日の暗黒の木曜日を迎えた所まで書いた。

今回は時計の針を少し戻し、第1次世界大戦終了後の
「パリ講和会議」からスタートする。
この会議は、各国の首脳が集まり、戦後の処理を話し合った会議である。
戦勝側である連合国の各国の思惑が入り混じり、
激しい議論が繰り広げられた。
その焦点は、敗戦国となったドイツに
どれほどの賠償を科すか?ということであった。
後々のことを考え、
あまり重い賠償を科すべきではないという意見もあったが、
結局は、ドイツに重い賠償金が科せられることになった。
4年に渡る長い戦いで、疲弊し切った国の内情を立て直すには、
それだけの賠償金を必要とした、ということもあるし、
連合国各国ともに、莫大な戦費を
アメリカの金融機関・JPモルガンから借りており、
その返済のために賠償金が必要だったということもある。

第1次世界大戦末期、ドイツ革命によってドイツ皇帝は国を追われ、
ドイツ帝国は崩壊してしまった。
ドイツは民主主義国家として生まれ変わったが、
それと同時に、ドイツ帝国の戦争責任をそっくりそのまま受け継ぎ、
過酷な賠償金に喘ぐ、辛い新国家のスタートであった。

この過酷な状況下のドイツにおいて、
1919年、1つの政党が誕生した。
「ドイツ労働者党」。
翌1920年には、名称を「国家社会主義ドイツ労働者党」と変えた
この政党は、アドルフ・ヒトラーを擁し、1933年に政権を獲得。
そのわずか2ヶ月後には「全権委任法」を成立させ、
ドイツにおいて、独裁政権を誕生させることになった。
そう、「ナチス」の名前で知られる組織は、ここから始まった。
「ナチス」といえば、後に独裁の代名詞のように知られるが、
少なくとも、1919年に誕生し、1933年に政権を獲得するまでは、
民主主義の原則に従い、地道に支持者を増やし、
選挙によって議席を獲得し、その力を伸ばしていったのである。
現代では考えにくいことであるが、ヒトラーが独裁政権を作り上げると、
当時のドイツ国民はこれを歓迎した。
それもそのはず、「ナチス」は政権を獲得した後、
国民を裏切って独裁を始めたわけではなく、
はじめから一党独裁を掲げて選挙戦を戦い、これに勝利したからだ。
こんなことが起こった背景には、それまでの全く何も決められず、
停滞していたドイツの政治に、国民が失望していたからである。
そう、「ナチス」の独裁は、民主主義によって認められた
独裁だったのである。

だが、独裁者となったヒトラーの前にも、大きな問題があった。
それが国内に溢れている大量の失業者問題であった。
その数なんと600万人。
すでにアメリカで発生した「世界恐慌」は世界中に影響を及ぼし、
ドイツもまた、厳しい不景気に喘いでいた。
何とかして、彼らに仕事を与え、
生活が成り立つようにしなければならない。
ヒトラーは経済学者の力を借り、独裁者の強権で
大胆な経済政策を行ない、なんとわずか4年で
失業者を実質ゼロにしてしまうことに成功した。
現在でもドイツ全土を走る高速道路・アウトバーンは、
このとき、失業者対策の一環として行なわれた公共工事によって
作られたものである。
また、ヒトラーは国民生活の向上も図った。
週休二日制の導入、週40時間労働を企業に求め、
大企業には社員食堂などをはじめとする福利厚生施設を作らせた。
ドイツの工業生産は5年で倍になり、税収は3倍になった。
これらの政策によって、ドイツの景気は好転し、
いち早く「世界恐慌」から抜け出していくことになる。
これでヒトラーの人気が出なければ嘘である。
ドイツにおける彼の人気・支持率はパーフェクトなものとなり、
その独裁政権は、まさに順風満帆であった。

これだけで終わっておけば、ヒトラーは希代の英雄として
永遠にドイツで語り継がれることになっただろう。
ひょっとすると、独裁(ファシズム)こそ、
もっとも優れた政治体制なんていうことになり、
世界中の国が独裁国家へと変貌していったかも知れない。
だが、ヒトラーとナチスは、やがて国外に牙をむける。
彼らはヴェルサイユ条約を無視して、かつての領土を取り戻し始めた。
1939年、ドイツはポーランドへと侵攻を開始。
これが、人類史上最大の戦争の始まりとなった。

「第三帝国」を自称したドイツは、勢いに乗り、
次々とその領土を広げていく。
1940年にはフランス北部を占領下においたが、
それ以降はイギリス攻略に失敗、対ソ連戦で敗北を重ねていく。
また、地球の裏側では1941年、
日本も真珠湾攻撃によってこの戦争に加わっていた。
だが、日本もまた、1942年のミッドウェー海戦において
大敗北を喫したのを機に、一気に敗色が濃厚になっていく。

そしてその裏では1935年、
ドイツにおいてニュルンベルク法が制定された。
これは、ユダヤ人の公民権を剥奪する法律で、
この法律の制定以降、ユダヤ人とドイツ人の結婚は禁止された。
「ナチス」による、ユダヤ人迫害が始まったのである。
最初は、これに反対していた市民も、急激な景気回復による
ヒトラー人気に流されるようにして、これに賛同するようになった。
「ナチス」はユダヤ人を、1000カ所以上の強制収容所へ連行し、
彼らを虐殺していった。
その際、使われた毒ガスこそが「チクロンB」。
かつて第1次世界大戦のおり、
ユダヤ人科学者・ハーバー博士の開発した化学兵器である。
第2次世界大戦中、ドイツの強制収容所では
1000万人の人間が虐殺され、
そのうちの600万人がユダヤ人であった。

1944年、ノルマンディー上陸作戦が開始され、
そのわずか2ヶ月後には、ドイツはパリからの撤退を余儀なくされる。
1945年にはソ連がドイツ領へ進撃を開始し、
同年4月30日、ヒトラーは愛人とともに命を絶ち、
ほどなく、ドイツは降伏することとなった。
ドイツが降伏した後、枢軸国側で残っていたのは日本だけであり、
その日本にしてもすでに、まともな戦力は残存しておらず、
東京大空襲、沖縄戦、広島と長崎への原爆投下を経て8月、
ついに日本も降伏して、第2次世界大戦は終結した。

この後、世界規模の戦争こそ行なわれることはなかったが、
世界は米ソを中心とした2大陣営に分かれ、「冷戦」の時代に突入していく。

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