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年賀状〜その2

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前回、年賀状のお年玉くじが全部スカだったことをきっかけにして
年賀状そのものの歴史を遡ってみた。

「年賀状」が成立するための3つの条件。
すなわち

・「文字」が発明されている
・何かに書き付けた文字を運搬する手段がある
・「暦」が発明されている

ということになるのだが、
日本においてこれらの条件が全て満たされたのは7世紀。
このころに、大和朝廷で大陸からもたらされた「暦」が用いられ始め、
また朝廷の命令を畿内に伝達するための「飛駅使」制度も整備されたため、
「年賀状」が誕生するための条件が揃ったということになる。
実際に、日本で初めての「年賀状」がいつごろ出されたのか?
という点については、ハッキリとしたことは分かっていないのだが、
後の平安時代の手紙文例集によれば、すでにそのころには
「年賀の書状」を離れた場所の人に送る風習が誕生していたようである。

時代は下り江戸時代。
日本全国で街道が整備され「飛脚」制度も発達し、
それまでは貴族や武士階級のものであった「年賀の書状」の風習が
一般庶民の間にも広まっていった。
そしてさらに時代が下り明治時代。
イギリスの最先端の郵便事業を学んできた前島密が
日本において郵便事業を開始し、開始わずか2年後には、
まだ西洋でも新しかったポストカードをモデルにして、
「郵便はがき」を作り出したのであった。

「郵便はがき」は、1枚の紙片の裏に文章をしたため、
表に宛先を書くという、現在のものに近いシステムであったが、
どうも当初は、書いてある内容が他人に見られてしまうということに
抵抗があったらしく、これを二つ折りにして
その内側に文章を書くというものであった。
もちろん、二つ折りにしてあるとはいえ、糊などでしっかりと
くっつけているわけではないので、
見ようと思えば内容を見るのは簡単であったが、
「他人に見られる可能性はあるが、そのぶん値段が安い」というのが
このころの「郵便はがき」の1つのウリであった。
そしてこの「郵便はがき」が「年賀状」にはピッタリであった。
「年賀状」に書かれているものは、簡単な時候の挨拶程度のもので
そんなものであれば、他人に見られようと何ほどのことも無い。
「郵便はがき」が普及してくると、「年賀状」の主流は封書から
この「郵便はがき」へと移行していった。
そして、この安価な「郵便はがき」を「年賀状」として送るという風習が
爆発的に「郵便はがき」の需要を伸ばした結果、
1つの大きな問題を引き起こしてしまうことになる。

明治20年、このころにはすでに「年賀状」を出すというのは
1つの年中行事として、しっかりと定着していた。
だが、1つ大きな問題が起こっていた。
毎年、年末年始にかけて郵便局には「年賀状」が大量に集まり、
その時期、郵便局の仕事量が何倍にも膨れ上がることになったのである。
郵便局員の数は決まっているのだから、突然仕事量が何十倍にもなれば
当然、その仕事は滞ることになる。
必然的にこの時期の郵便物は、通常時よりも配達が大幅に遅れることが
多くなってしまった。
由々しき問題である。
この時期に配達される郵便物は「年賀状」だけ、というわけではない。
一般の郵便物も平時と同じくらい、
いや、年末年始は商売上の締めの時期にもあたるため、
それらに関わる重要な郵便物も、この遅れに巻き込まれることになったのだ。

この重大な問題を解決するために行なわれた対策が、
「年賀状」を通常郵便物とは「別枠」で処理するというものであった。
「年賀状」を出す多くの人々は、「年賀状」に1月1日の消印が
押されることを狙い、年末の26〜28日あたりに郵便局に「年賀状」を
出していたのだが、これが郵便物の爆発的な増大の原因にもなっていた。
そのため、12月20日〜30日の間に指定された郵便局に
「年賀状」を持ち込めば、1月1日の消印を押した上で
新年あけてから配達するという仕組みを作ったわけである。
(それまでは、早く出しすぎると年が明ける前に
 「年賀状」が届いてしまうということも起こっていた)
この指定局は毎年徐々に増えていき、6年後には全国全ての郵便局で
「年賀状」の取り扱いが可能となり、さらに翌年には
ハガキの表に「年賀」であることを表記しておけば、
郵便ポストへの投函も可能、ということになったのである。

こうしてみると、この時点で
システム的にかなり現在のものに近くなっている。
もちろん細かいことを言えば、まだまだ違っている所も多いのだが、
「年賀状」を通常郵便とは全くの別枠で扱い、
それを新年あけてから配達するという基本的な骨子は
現在のものと全く同一であるといっていい。

こうして基本的な制度の整った「年賀状」は、
明治時代から昭和初期にかけて、ますます取扱量を増やしていくことになる。
この時期は、日本の産業発展も著しく、
地方から都市部へ仕事を求めて移り住む人々が増えたことや、
満州へ開拓団として移住する人も増加していたため、
これらの人々と、その郷里の人たちとの間で
「年賀状」がかわされることが多くなったことも、その原因と思われる。
昭和10年ごろには、「年賀状」の取り扱い量は7億通を超え、
そのピークを迎えることになった。
昭和10年の日本の総人口はおおよそ7000万人ほどであるから、
国民1人当たり、10通は「年賀状」を出していた計算になる。

だが、その数年後、「年賀状」の取り扱い数量は急激に減っていくことになる。
戦争が始まったのである。

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