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崩れた城

投稿日:

By: senov

先日、いつものニュースサイトを見て回っていると、
このような見出しの記事があった。

「[香川から伝えたい]築城400年、
  名城の石垣は何故崩れた
  実は多くの予兆、豪雨被害の丸亀城の行方」

記事には写真が貼付されていたのだが、その写真がすごかった。
小山のような城の一画が大きく崩れ、まさに「崩壊」としか
言いようのない様子である。

丸亀城」については、かつてこのブログでも取り上げたことがある。
友人と四国八十八カ所霊場巡り(最初の3カ所だけ)をやったあと、
徳島ラーメンを食べての帰り道に香川県によった際、観光してきた城である。
「日本一の石垣の城」というのが「丸亀城」のウリ文句であり、
実際に60mの高さを誇る石垣はかなりの大迫力であった。
それもあって、姫路城のような大きな天守閣が無いにも関わらず、
十分な威容を備えた城である。

そんな思い出深い「丸亀城」が、いつのまにやら
大きな災害にあっていたらしい。
写真に映っている「丸亀城」の崩落現場は、
まさに大崩落としか言いようが無く、大きく崩れた崩落現場には
申し訳程度にブルーシートがかぶせられているのだが、
その崩落現場とブルーシートの大きさの対比が、
余計に崩落現場の巨大さを際立たせている。

ニュースを読み、さらに関連のニュースを検索しながら
ドンドンと時間を遡っていった所、
丸亀城の石垣が最初に崩れたのは今年の7月のことで、
どうやらあの西日本豪雨の影響も大きかったらしい。
西日本豪雨といえば、ちょうど瀬戸内海を隔てた
岡山県の真備市の被害が大きく取り上げられることが多かったが、
どうやら香川県にもそれなりの被害をもたらしていたようだ。
その後、相次いだ台風の影響もあり、10月の上旬ごろに第2の崩壊、
続けざまに特に大規模な第3の崩壊が発生し、現在に至っているようだ。

崩落現場の写真は、元の丸亀城の様子を知っている人からすれば
かなりのショッキングな姿で、どうしてこんな大ニュースを
年末近くになるまで知らなかったのかと忸怩たる想いだったのだが、
ニュースを辿っていくうちに、その原因が分かった。
自分が利用しているニュースサイトで、
「丸亀城の石垣崩落」のニュースを報道していたのは
地元香川県のKBS瀬戸内放送だけで、他の局は
一切このニュースを取り上げていなかったのである。
これでは、どこまでいっても地方ニュース扱いで、
地元以外の人間がこのニュースに触れるのが難しいわけだ。
現に、自分自身を例にとってみても、たまたまこのニュースに目をやったから
「丸亀城の石垣崩壊」を知ったものの、そうでなければ
全くこのニュースを知ることはなかっただろう。
一通りのニュースに目を通し、分かった石垣崩壊の流れはこうだ。

今年、7月7日。
西日本豪雨によって、城の南西部にある
「帯曲輪」と呼ばれる石垣の南側が崩れた。
丸亀城は4層の石垣構造になっており、このとき崩れたのは、
もっとも下層の石垣だったように見受けられる。
その後、瀬戸内地方を4つの台風が通過した影響で、
10月8日、同じ部分の西面角の部分が崩れ、
さらにその翌日には、8日に崩れた部分の上の3層目の角部分、
「三の丸櫓跡」が大きく崩れ落ちた。
7月に最初の石垣崩壊が起こり、ちょうど3ヶ月ほど後に
その近くで第2、第3の石垣崩壊が起こっている。
7月7日の石垣崩壊の後、後に崩れた部分の石垣は大きく変形し始めており、
ひどいときには1日で5㎝もの変形が見られる箇所もあったという。
丸亀市民の中には、この石垣の様子を毎日写真に収めている人もおり、
その人の撮った写真を見る限りでは、崩落直前の石垣の様子など
もう、つつけば崩れそうなほどに石垣はガタガタになっていた。
そんな状況であったためか、丸亀市は問題の箇所一帯を
立ち入り禁止にしており、そのおかげで石垣崩落に
人が巻き込まれるようなことはなかったようだ。
まさに、不幸中の幸いであろうか。

一連のニュースを見た所では、石垣崩壊のメカニズムはこんな感じだ。

・西日本豪雨などによって降った大雨が、石垣の内側の地面に染み込む。
・やがて石垣の中にたまった水は、石垣内部の容量を増やし、
 石垣を中から外へと押し出すようにして、石垣を変形させる。
・さらに石垣の内側から水が出て行く際、一緒に石垣内部の土や砂を
 排出してしまうために、石垣の裏側が空洞になる。
・出来た空洞によって石垣は支えを失いさらに変形、やがて崩壊する。

ただ、これらのメカニズムを見ている限りでは、
はたして石垣崩壊の原因を西日本豪雨と台風に限定してしまっていいのか
ちょっと疑問符がつく。
雨が降って、水が土に染み込むというのは、程度の差こそあれ、
ずっと昔から日常的に起こっている事である。
さらにいえば、今回の西日本豪雨ほどの大雨は無いかも知れないが、
それに近いくらいの大雨であれば、これまでにも何度も降っているはずである。
だとすれば、今年の西日本豪雨や連発した台風というのは、
石垣崩壊の引き金になったかも知れないが、
それまでの長い期間に降った雨によって、徐々にではあるものの
崩壊の下準備が進行していたということになるのではないだろうか?

では丸亀城には、そういった「雨水」対策がなされていなかったのだろうか?
実は、もともと丸亀城には、降った雨を石垣の外に排出する
「蛇口」と呼ばれる排水設備があった。
パッと見た目には、石垣の中からU字ブロックが
飛び出しているように見えるのだが、これが問題の「蛇口」で、
城に降った雨は、この「蛇口」によって石垣の外に排出され、
石垣内部に染み込んでいかない構造になっていたらしい。
しかし今回、この「蛇口」は機能していなかった。
実は丸亀城は戦時中に土木工事を施されており、
その際、この「蛇口」へと繋がる水路が埋められてしまったらしい。
そのため、それ以降は大雨が降ると、本来なら石垣の外へ
排出されるはずだった水が石垣内部に浸透するようになった。
そうして先に述べたような石垣崩壊へのメカニズムが働くようになり、
今回の西日本豪雨、台風などを引き金にして「崩落」という事態となった。
こうしてみれば、戦時中の土木工事が、
いかにいい加減なものだったかが分かる。
はっきりいって、そのとき行なわれた工事は、
江戸時代のそれにも劣る程度でしか行なわれていないからだ。
そしてこのときのマズい処理が、戦後何十年という時間をかけて
石垣内部を蝕ませ、今回の崩落の原因を作り上げたのである。

よくよく考えてみれば、おかしな話だ。
もともと設置されていた排水設備を戦時中に埋めてしまった、
というのはともかく、どうして戦後、
これを掘り返して活用しようということにならなかったのか?
もともとあったものを掘り起こして使うだけなのだから、
素人考えなのかも知れないが、それほど手間も費用もかかりそうにない。
それどころか、江戸時代からの石垣用排水設備ということになれば、
それはそれで1つの観光資源の見所になったのではないか?
丸亀城のような建造物の場合、雨天の日には自然と観光客の足も遠のくだろうが、
この「蛇口」が水をバンバン排水しているのであれば、
それで十分に観光客にアピールでき、雨の日の観光客誘致に
一役買ったかも知れない。
そして何より、キッチリと排水設備である「蛇口」を復活させておけば、
今回のような石垣崩落も未然に防げたかも知れないのである。

ニュースによると、今回崩落した石垣を修復するには、
なんと20年という時間がかかるという。
丸亀城は丸亀市のシンボルで、なによりかけがえのない観光資源だ。
その丸亀城の「顔」ともいうべき石垣が崩れたままというのは、
市民にとって辛いであろうし、観光的にもダメージ大だろう。
それに気になるのは、丸亀城の石垣の他の部分である。
冷静になって考えてみれば、今回、崩落した箇所以外にも、
その危険性をはらんでいる場所はあるのではないか?

そう考えた場合、迅速に何らかの抜本的対策をとらなければ、
さらに第4、第5の石垣崩落ということにもなりかねない。

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