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eスポーツ

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By: MiNe

自分は、いわゆる「スポーツ」といわれるものに縁がない。

自分の人生で「スポーツ」というものに関わりあったのは、
学校の体育の授業の他では、小学校のころに習っていた「剣道」、
あと1週間ほどお試しで通った「スイミングスクール」くらいのものである。
どちらも「モノ」になるそぶりもないままに終わってしまったために、
剣道の段位は4級のままだし、水泳に関してはそういうレベル的なものを
獲得する前の状態であるといえる。

もっとも「泳ぐ」ということに関しては、自分はそれなりに自信を持っている。
これは誰かに教わった正統なものではなく、
全く自分自身で身に付けた我流のものなのだが、
これのおかげで、自分は「泳ぎ」が達者であるという
一定の評価を得ることが出来ている。
しかし、なんといっても自分の「泳ぎ」は、海や川など
大自然の中で身に付けたものなので、
いざ、プールなどでそのスピードを競うなどということになれば、
正直、あまり「水泳」としてのレベルは高いとはいえないと思う。
自分の「泳ぐ」という技術は、あくまでもスポーツとしてのそれではなく、
大自然の中で生き抜くための、1つの技術だということである。

もう1つ、現在の自分は山に登るということについて、
ある程度の技術をもっている。
しかしこれについても、自分のそれはいわゆる「登山技術」といわれる
系統だった知識・技術ではなく、あくまでも我流で作り上げた
ムダな力を使わない、疲れない歩き方」というだけに過ぎない。
世の中には「登山」をスポーツとして捉え、
タイムを競ったりするような競技もあるようだが、
やはり自分が身につけている技術は、これとは全く趣を異にするものである。

さらにもう1つ、自分は「釣り」をするのだが、
世の中にはスポーツフィッシングを標榜して、
「釣り」をスポーツとして捉えている人種がいる。
ひところでは、ルアーを使ったバスフィッシングなどで
そういう傾向が強かったようだが、自分の釣りはどこまで行っても
魚を捕まえる、一種の「遊び」としての面が強く、
スポーツ感などというものは、全くの皆無といっても良いだろう。

そういうようなわけで、自分という人間は
全くスポーツというものに縁の無い人間として、現在を生きているわけだ。

そういう自分が、「スポーツ」というものに持っているイメージを
もっとも分かりやすく言葉にすると「運動競技」ということになる。
実際に「スポーツ」という言葉の意味をネットを使って調べてみると、

・一定のルールに則って勝敗を競ったり、
 楽しみを求めたりする身体運動の総称

という風に出てくる。
自分の持っているイメージと微妙にニュアンスは違うものの、
全体的な方向としては、ほぼ同じような向きを持った意味といえるだろう。

さて、「スポーツ」について、そういうイメージを持ち合わせている
自分からすると、「eスポーツ」と呼ばれる新しい種類のスポーツに関しては、
果たしてそれは、本当に「スポーツ」なのか?と首をひねりたくなるワケだ。

「eスポーツ」。
正式には「エレクトロニック・スポーツ」というらしいが、
これは複数のプレイヤーで対戦されるコンピュータゲームを
スポーツ・競技として捉える場合の名称らしい。
わかりやすくいえば、「eスポーツ」=「対戦ゲーム」としてもいいだろう。
子供のころ、家の中で友だちとファミコンで遊んでいると、
親などから「外で遊んでこい」と追い立てを食らうようなこともあったのだが、
そのころにこの「eスポーツ」という概念があれば、
賢しくも「これは『eスポーツ』というスポーツだよ」と反論し、
さらに大人たちを怒らせていたであろうことは、想像に難くない。

この「eスポーツ」は、もともと個人個人がそれぞれに
ゲームコンピュータを持ち寄って、それらを有線・または無線で繋ぎ、
ともにプレイするようになったことが、その始まりとされている。
こういう風に書けば、色々と小難しそうに感じるが、
早い話、DSやPSPを持ち寄って、子供たちが遊んでいたあの状態のことだ。
そういうプレイが初めて行なわれるようになったのは、
これらよりもはるか以前、携帯ゲーム機ではゲームボーイ、
コンピューター通信(インターネットの前身のようなもの)を使った
コンピュータゲームの対戦プレイ、などということになるのだろうが、
よくよく考えてみれば「ゲーム」というもの自体が、
もともと複数人の人間が集まって行なわれる「遊び」だったことを考えれば、
コンピュータゲームが、本来のゲームとしての形を取り戻したという風に
考えても良いのかも知れない。
(コンピュータゲームは、当初、その多くが1人用のものであったが、
 これは見方を変えれば、人が受け持っていた「対戦相手」という役割を
 コンピュータが引き受けていたともいえる。
 そういう意味では、コンピュータから「対戦相手」としての役割が無くなり、
 純粋なゲームマスター(進行役)のみとしての形になったのが
 「eスポーツ」の姿といえるかも知れない)
有線、無線、パソコン通信という手段で繋がっていたゲームマシン同士が、
新たにインターネットとという媒体によって繋がることによって、
より広く、多くのプレイヤー同士を繋げることが可能になったわけだ。

それでも、自分たちのような古い「スポーツ」の観念が
いまだに色濃く残っている様な人間からしてみると、
「スポーツ」=「運動」=「体を動かす」というイメージが強く、
やはりコンピュータゲームを「スポーツ」の範疇に加えるといういことに
関しては一定の抵抗感を感じることもある。
ただ、現在の「スポーツ」の中には、「体力」的な要素が低く、
むしろ高度な肉体的技術、あるいは精神的な技術(集中力)などが、
その本質を形成しているような種目がある。
射撃やアーチェリー、ボーリングやゲートボールなどは、
その技術の向上において体力的な要素は小さく、
むしろテクニックや、それを支えるための集中力などが
プレイのキモとなっている。
さらに「スポーツ」の中には、体力的、技術的なものの他に、
戦略的な部分が大きいものも存在している。
いわば頭脳的なプレイを要求される種目というものだ。
近年では、この部分だけに特化した「マインドスポーツ」として、
ボードゲームやカードゲームなどが「スポーツ」とされることもある。
この辺りになってくると、いよいよ古いタイプの人間にとっては、
違和感を強く感じざるを得ないことになるのだが、
「頭脳」という「肉体」を酷使しているスポーツだ、といわれれば、
たしかに「頭脳」もまた肉体の一部には違いがないので、
それを使っているこれもまた、「スポーツ」には違いないのかな?
ということになるわけだ。
この「マインドスポーツ」に比べてみれば、
コンピュータゲームで競う「eスポーツ」は、
まだ肉体的な技術(指先のテクニック)、精神的な技術(集中力)という
部分が大きいだけ、「スポーツ」として受け入れるのには
抵抗感が少ないかも知れない。

日本は、この「eスポーツ」についての理解がまだまだ低い状態だ。
何せ、これを書いている自分自身にも、コンピュータゲームを「スポーツ」と
することに、ある種の「抵抗感」が残っているくらいなのだ。
子供のころから、ファミコンを始めとするゲーム機で育った世代の自分でさえ、
そんな状態なのだから、自分たちの親の世代、
つまり「ゲームばかりしてないで、外で遊んでこい」と
子供を追い立てていた世代には、「ゲーム」=「スポーツ」とする
価値観など噴飯物であるに違いない。
しかし、世界の「価値観」は変わってきつつある。
「eスポーツ」はすっかり定着し、オリンピック競技の1つとして
メダル種目に追加されることも決定されているのだ。
いわば日本は、この世界的な「価値観」の変化に、
全くついていけていない状態であるといっても良いだろう。
この「eスポーツ」に対する、国際的な時代遅れ感覚の元にあるのは、
やはり、自分たちが子供のころにいわれた
「ゲームばっかりしてないで、外で遊んでこい」と言われた
あの考え方だろうと思う。
あれが、当時の大人たちばかりでなく、それを聞いていた子供たちにさえ、
「運動(外遊び)」>「ゲーム」という価値観を刷り込んだのである。

はたして、そんな我が国が「eスポーツ」で他国に追いつけるのは
いつのことになるのであろうか?

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