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鷹狩り

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先日、インターネットのニュースサイトを見ていると、
こんな記事があった。

「タカ、姫路城背に大空舞う 鷹狩り復活へ「放鷹術」」

兵庫県姫路市では、江戸時代に盛んだった「鷹狩り」の文化を復活させ、
観光の目玉にしようというプロジェクトを進めている。
市は昨年、中南米原産のハリスホーク1羽を購入。
姫路動物園の若手飼育員たちが訓練を重ね、
今月13日、姫路城でその技が披露された、ということらしい。

時代小説などを読んでいると、
この「鷹狩り」というのは度々登場する。
身分の高い殿様などが、愛用の鷹を連れて狩り場に行き、
これを放って獲物を捕らえさせる。
話によっては、これを軍事訓練の1つとして捉えているものもある。
鷹に得物を捕まえさせていて、一体、何の軍事訓練になるのか?と、
疑問を感じないでもないが、勢子などを指示して自分の思い通りに動かし、
獲物を狙った場所に追いつめていく行程が、
団体指揮の練習になるということらしい。

ともあれ、鷹を飼いならして訓練し、
これに獲物を捕まえさせるというのが
「鷹狩り」という、狩猟の一種である。
「鷹野」「放鷹」などとも呼ばれる。
主に、タカ科のイヌワシ、オオタカ、ハイタカ、
およびハヤブサ科のハヤブサなどが訓練され、使用される。
マンガなどで「鷹狩り」が描かれる場合、
タカが獲物を捕らえて、主人のもとに運んでくるというような
描写がなされることが多いが、実際にはそのようなことは無く、
その場で取り押さえるだけである。
(似た様な形をしているタカ、トビ、ワシの中でも
 タカはもっとも小型であり、ワシがもっとも大型、
 トビはその中間に当たる。
 タカとワシは、主に生きた獲物を狩って食べているのに対し、
 トビは死体の肉やゴミなどを頻繁にあさってエサとしているため、
 タカやワシと比べ、一段、落ちる鳥と見なされている)
タカは、トビやワシなど、同じタカ科の鳥と比べてみても
その体はもっとも小さく、鶏などに近いサイズである。
このサイズでは、そうそう獲物を掴んで飛翔することは出来ない。
(ネズミや昆虫など、獲物が小さい場合はそれも可能だろうが、
 小型のほ乳類や鳥などが相手では、体格的に厳しい)
だから、彼らはその場で獲物を押さえ込んでおき、
遅れてやって来た主人にこれを引き渡し、
その代わりにエサを貰うのである。
このようにしてタカを扱う人間は、鷹匠(たかしょう)と呼ばれる。
また、鷹を訓練する場所については、鷹場と称されている。

このタカを使った狩りの歴史は古く、
これが始まったのは、紀元前3000年から
2000年ごろのことだと考えられている。
場所については、中央アジアともモンゴル高原ともいわれているが、
ハッキリとしたことについては、分かっていない。
ただ、この「鷹狩り」が、アジア発祥であることは間違いないようだ。
紀元前700年ごろになると、各地で「鷹狩り」が行なわれていたと
断定できる証拠が残っている。
これがヨーロッパに伝わったのは西暦400年ごろで、
ヨーロッパにフン族とアラン人が侵入した際、一緒に持ち込まれた。
中世貴族の間では、「鷹狩り」は娯楽にして権威の象徴でもあり、
これを行なえるのは、貴族階級や富裕層に限定されていた。

日本での歴史も古く、大陸からタカと共に「鷹狩り」が伝わったのは、
西暦355年、仁徳天皇の時代のことだという。
こちらもヨーロッパと同じように、朝廷を中心とした
貴族の遊びとして楽しまれて来たが、
貴族自身がタカを飼育、訓練する様なことはなく、
それ専門の鷹甘部や鷹司、鷹飼などという職がおかれた。
ただ、大陸から仏教が持ち込まれ、これが広まるにつれ、
「殺生禁止」の思想も広まっていくことになり、
これが「鷹狩り」に影響を及ぼすこともあった。
時代によって、規制と緩和が繰り返されていたが、
結局、これが完全に禁止されてしまうことはなかったようだ。
やがて武士が台頭し始めると、「鷹狩り」は武士階級の間で
広まっていくことになる。
鎌倉時代、室町時代を経て、安土桃山時代になると
諸国の戦国大名の中にも、これを愛好するものが多かった。
特に織田信長などは、特に「鷹狩り」を好んだため、
彼の機嫌を取りたい大名たちは、こぞって彼にタカを献上したという。
江戸幕府を開いた徳川家康もまた、この「鷹狩り」の熱心な愛好者で、
彼は天下統一を成し遂げた後も、熱心に「鷹狩り」に勤しんだ。
彼は「鷹狩り」が、上記したように他人に指示を出し、
自分の思い通りにいかに素早く動かすか、獲物を敵と見立て、
これをいかに追いつめるかなど、戦闘の訓練として役に立つと見ていた。
さらに「鷹狩り」にことよせて、領地内を視察し、
その実態を把握するのにも最適であり、
また、「鷹狩り」で山野を駆け回ることは、
健康維持に役立つと考えていた。
正直にいえば、少々「鷹狩り」を持ち上げすぎている感もあり、
その実態はどうであったか、いまいち腑に落ちない所もあるが、
家康もまた、「鷹狩り」を人並み以上に好きであったことは、
容易に見て取れる。
彼の血を受け継いだのか、徳川将軍の中にも「鷹狩り」を好んだ者は多く、
特に3代家光と8代吉宗は、かなり入れ込んでいたようである。
唯一の例外は5代綱吉で、「生類憐れみの令」で知られる彼は、
「鷹狩り」を廃止してしまっている。
(もっとも、8代吉宗の代になって復活しているが)

江戸時代は、ほぼ将軍家や大名によって独占されていた「鷹狩り」だが、
明治維新を経て、これらは一般にも開放された。
だが、銃による狩猟が一般的に広まるにつれて、
タカを使った「鷹狩り」は次第に衰退していき、
現在では、ごく一部の人間によって、行なわれているだけである。
ここ最近では、ハトやカラスといった害鳥をタカで脅かし、
これを追い払う目的で、タカが放たれることもあるようだ。
これなどは、獲物を狩る純粋な意味での「鷹狩り」ではないため、
「放鷹」と表現した方が、しっくり来るかも知れない。

今回、姫路市は文化としての「鷹狩り」を復活させ、
これを観光の目玉の1つにしようとしている。
最初、この話を聞いたとき、
「鷹狩り」はいいが、一体、何を狩らせるつもりなんだろう?と、
疑問が浮かんで来たが、記事を読む限りでは獲物を狩らせるというよりは、
タカを使った一種のショーであろうか?

調べてみた所、どうも「鷹狩り」というのは国が定めた罠や猟銃などの
法定猟具ではなく、自由猟具という扱いになるらしい。
つまり、期間や場所、狩りの対象となる動物さえ間違えなければ、
特に許可を取る必要はない、ということだそうだ。
そういうことになると、興味があるからちょっとやってみたいな、と
考える人も出てきそうであるが、前述してある通り、
「鷹狩り」に使用する鳥を入手するには、
それなりにお金もかかってくることになる。
さらにタカを手に入れても、そこからタカを調教して
狩りを教え込まねばならない。
また、タカは生き物なので、猟期以外でも世話は欠かせず、
なおかつ、遠からず寿命がやってくる。
そこまで考えれば、「鷹狩り」というのは手間も金もかかる趣味であり、
多くの狩猟者がタカではなく、銃を猟具に選ぶのも理解できる。

今回の姫路市の試みは、その手間と金の部分を公的な部分でカバーし、
「鷹狩り」をひとつの観光資源にするというものだ。
これまでは、ほぼ個人の趣味によって受け継がれていた「鷹狩り」を
公的に行なっていこうという取り組みは、面白い発想である。

姫路市の「鷹狩り」は成功するのか否か?
興味はつきない。

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