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「自己責任」というもの

投稿日:

ここの所、TVやネット上では「自己責任」という言葉が飛び交っている。

あるジャーナリストが、テロリスト(?)から
3年ぶりに解放されたことが、そのきっかけとなった。
彼は3年前、政府から危険地域への立ち入りを警告されていながら、
それを敢えて無視し、「自己責任」で、という言葉を残して
シリアの危険地域に入り、そして拘束された。
その期間、何度か映像メッセージで、彼がテロリストと思わしき集団に
拘束されている姿や、そこで彼が助けを求めるメッセージを手にしている姿が
公開されたりした。
果たしてまだ生きているのか?
もう、殺されてしまったのではないのか?
などと噂されながらも、彼は生かされており、
今回の解放となったわけである。

生還した彼に対し、世間からは非難の声が浴びせられた。
まず、何より政府の警告を無視して危険地域に入っていったというのが、
槍玉にあがった。
まあ、危ないから行くなという警告を無視している以上、
その結果、危険な目にあって、警告をしていた政府に助けを求めたら
一連の行動について非難されるのは仕様のないことである。
さらに解放されたジャーナリストが、
「政府に救出されたと思われたくない」
などという発言をはじめとする、不遜な態度を取っていたことも
非難を呼ぶこととなった。
「政府に救出されたと思われたくない」
という言葉は、今回の解放劇が政府の尽力によるものだったことを
暗に示している。
彼は危険地帯に入る前、政府について散々悪態をついていたのだから
その政府に救出されて、全く格好がつかないというのは
分からないでもないが、この状態で政府に悪態をつけば
これはその態度を非難されるのもやむなし、という所だろう。

さて、今回連呼されている「自己責任」という言葉。
実は自分にとっても、そう無縁というわけでもない。
というのも、自分の趣味の1つである「登山」についても
半ば日常的に、この「自己責任」という言葉が語られるからである。

「登山は自己責任」

これは、世間一般のみならず、登山者の間でも
度々言われる言葉である。
「登山」の場合、この言葉には様々な意味が込められている。

まず、山という危険があるかもしれない場所に赴くのだから、
何があっても、自分の力でこれを切り抜けなければならないということ。
最悪、命を落とすようなことがあっても、文句をいわぬこと。
(まあ、死んでしまった身では、文句なぞ言えないのだが……)
そういう場所へ行くのだから、自分自身の命や体を守るため、
十分な準備・用意、下調べをしておくこと。
一度、山の中に入ってしまえば、同じ登山者同士であっても
決して他人の力をアテにはしないこと。
ダメだと思った時は、自分の頭で判断して撤退し、
必ず生きて帰ってくること。

これらを果たせず、不幸にして亡くなってしまったり、
あるいは事故等で動けなくなり、救助隊に救助されたということになれば、
これは当然、叩かれることになる。
だが、これらは「自己責任」を掲げている登山者にとっては
当然甘んじて受けるべき非難であり、
その非難を受け、「自己責任」を果たせなかったことを
謝罪することによって初めて、その登山者の「自己責任」が
まぎれもない本物であったことが証明されるのである。

さて、そういうことを踏まえた上で、今回の一件を見ると
どういうことになるのか?

無論、戦場という危険があるかもしれない場所へ赴くのだから、
何があっても、自分の力でこれを切り抜けなければならない、
ということについては、完全にアウトである。

最悪、命を落とすようなことにあっても、文句をいわぬこと、
ということについては、幸いにも本人が死んでいないため、
今回は関係無しということになる。

そういう場所へ行くのだから、自分自身の命や体を守るため、
十分な準備・用意、下調べをしておくこと、
ということについて、果たして彼は十分な準備をしていたのだろうか?
もし、それを行なっていなかったというのであれば、
それはいわゆる無謀登山と同じで、一般人のみならず、
同じ登山者、この場合はジャーナリストたちからも総スカンを食らうだろう。

一度、山の中に入ってしまったら、同じ登山者同士であっても
決して他人をアテにしないというのは、
そのまま登山者がジャーナリストに置き代えられることになるが、
今回の拘束では、彼が誰かに頼ったという事実は聞こえてこない。

ダメだと思った時は、自分の頭で判断して撤退し、
必ず生きて帰ってくること、についてもアウトである。
確かに彼は生きて帰ってきたが、それは彼自身の判断に基づいた
「撤退」によるものではないからだ。

こうして1つ1つ、いつも「自己責任」を求められている
登山者の視点から、彼の「自己責任」を検証してみると、
これは全くのアウトということになってしまう。
彼の行動が「自己責任」で、と口にした上でのことである以上、
そこについてまわる非難は、甘んじて受けるしかない。

さて、少し話は変わるが、ネット上などでは
「彼は本当に3年間の間、テロリストに拘束されていたのか?」
という疑問の声もあがっているという。
この手の事件で拘束された被害者の多くは、
わずかな期間であったとしても、かなりボロボロの状態になるのにも関わらず、
3年間も拘束されていたという彼は、かなり健康そうだというのが
その根拠となっている。
確かに、身代金などを正式に要求するでもなく、
人質をずっと連れ回すというのは不可解であるし、
そもそも3年間という拘束期間は、長過ぎるようにも思える。

だが、テロリストに拘束されていなかったのであれば、
途中、テロリストから発せられたメッセージなどは
一体、誰が発したというのか?

彼もジャーナリストであるわけだし、
今回、3年もの間、テロリストに拘束されていた間に、
彼らの情報を何も掴むことが出来なかった、というようなことはあるまい。
出来なかったというのなら、彼はジャーナリストの面汚しと言われても
仕様が無い。
確実に、この3年間の記録を文書なりにして、発表することになるだろう。
どんな人間たちが彼を拘束していたのか?
どのような組織だったのか?
彼自身の、また彼を拘束していた組織の生活は、どんなものだったのか?
どんなものを食べたのか?どんな1日を過ごしていたのか?
彼らの主張を聞くようなことはなかったのか?
彼がジャーナリストとして、書くべきこと、知らせるべきことは
山のようにある。
彼の拘束が事実だったのかどうか?というような声も、
それを発表することによって、自ずからハッキリとしてくるだろう。
正直、テロリストと過ごした3年間の生活というのは、
それほど興味を引く体験である。

今は、彼の発表するであろう、その「体験談」を待ちたい。

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