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泡盛〜その3

更新日:

ここまで2回にわたって、沖縄の地酒「泡盛」について書いてきた。

第1回は、友人から沖縄土産として「泡盛」を貰った話、
第2回は、「泡盛」の製法や性質、特徴などについて書いた。
今回は「泡盛」を歴史的な視点から書いていく。

実は「泡盛」がいつごろから作り始められたか?
ということについては、はっきりとしたことは分かっていない。
本場・琉球王国の史書の中からは、「泡盛」の始まりを示す記述が
いまだに見つかっていないからである。
その代わり、というワケでもないが、
九州薩摩・島津家に残る1575年の記録には、
琉球から「泡盛」らしき酒が届けられたという記述が見つかっている。
当時の琉球は、「あや船」と呼ばれる交易船で薩摩と交易しており、
そのときの使者が
「60年前のときと同じ贈り物を持ってきました」
といって、唐焼酎一瓶、老酒一瓶、焼酎一瓶を
携えていたというのである。
「唐焼酎」と「老酒」は中国の酒なので、
最後の「焼酎」というのが、沖縄産の「泡盛」だろうと
考えられたのである。
1575年の時点で
「60年前と同じ」というフレーズを使っていることから、
1515年にも同じように「あや船」があり、
そのときの贈り物の中にも、同じように「泡盛」があったのだろう。
ただ、60年前の話が出てくる辺り、
ひょっとしたら沖縄と琉球は、それほど密な交易は
していなかったのだろうか?
江戸時代、徳川幕府の将軍が替わるたびに、
朝鮮から通信使が、祝いの挨拶に来ていたというから、
ひょっとしたら、これに近いような関係だったのかもしれない。
その辺りはともかく、1515年の「あや船」が
「泡盛」を運んできていたとすれば、少なくともそれ以前から、
「泡盛」の醸造は始まっていたはずである。
このことから、1400年代後半、15世紀後半には「泡盛」造りは
始まっていたと考えられ、これを元に、
「泡盛」の歴史は約600年、と推定されているのである。

では、「泡盛」の製造はどのようにして始まったのだろうか?
当然、これもはっきりとしたことは分かっていない。
ただ、米麹をアルコール発酵させた醪(もろみ)を、
さらに蒸留することによって生まれる「泡盛」を作ろうとするのなら、
「蒸留」という技術と、「蒸留器」という
そのための道具が必要になってくる。
これらは沖縄で生み出されたものではなく、
海外から持ち込まれたものらしい。
そうなると、この「蒸留」という技術と「蒸留器」という道具が、
どこからもたらされたのか?ということになるのだが、
これには2通りの説がある。
1つはタイを中心とした、東南アジア諸国だ。
タイには「ラオ・ロン」という地酒があり、
これが「泡盛」によく似ているという。
15世紀の琉球は、東南アジア諸国とも交易を行っていたため、
そこから製法が伝わったというものである。
もう1つは中国・福建省である。
こちらも15世紀には琉球と交易関係にあったのだが、
実はこちらの方でも、米を原料とする「泡盛」の製法と似通った酒が
作られており、こちらの方が伝わってきたという説も、
無視し難いだけの説得力を持っている。
ただ、この二つの説を付き合わせて考えた場合、
ほぼ同じ時代に、東南アジア・東アジアで同じような酒(蒸留酒)が
作られていたことになる。
だとすると、この時期、アジア各地へ伝わって
広まっていた蒸留酒という酒が、
交易によってほぼ同時期に琉球へ伝えられたと考えるのは、
極めて当然のことだろう。
現在では、15世紀のうちに東南アジア・中国の両ルートから、
ほぼ同時に蒸留酒製造の技術と、蒸留器が伝わったと考えられている。

ちなみに、本土で蒸留酒である「焼酎」が作られ始めたのは、
16世紀ごろのことだと考えられている。
文献上の記録で言えば、1546年に薩摩に上陸した
ポルトガル人の記録の中に、当時の日本人が
米から作る「蒸留酒」を常飲していたとあり、
1559年に補修された神社の落書きの中に、
「けちな座主で、一度も焼酎を振る舞ってくれなかった」
と書き残されている。
先にも書いたように、琉球からもたらされる「泡盛」を
「焼酎」と表記していた事実があることから、
ここに書かれている「焼酎」が、本土産「焼酎」ではなく、
琉球産の「泡盛」である可能性も捨てきれないのだが、
もし、このころに本土で「焼酎」が作られ始めたとするのなら、
それに「泡盛」が影響を与えていたということも、考えられる。
(もちろん、本土産の「焼酎」と、琉球産の「泡盛」とでは、
 原料・製法などに大きな違いがあるので、
 「泡盛」のみを手本にして、
 本土産「焼酎」を作ったとも思えないが、
 何かしらの影響を与えているのではないだろうか?)

「泡盛」という名称を使い始めたのは、
「泡盛」誕生よりもずっと後になってからのことで、
1671年に、琉球王国の尚貞王から、
徳川幕府4代将軍・徳川家綱に送られた献上品の目録の中に、
初めて「泡盛」という名称が登場している。
では、15世紀にこの酒が作られ始めてから、
その名前が「泡盛」になるまでの間、
一体、この酒はどういう名前で呼ばれていたのだろうか?
琉球では、これを「サキ」と呼んでいた。
「酒」の意味を持つ、沖縄の方言である。
つまり、地元・琉球の人間にとって、
「酒」といえば「泡盛」のことを指していた、ということになり、
それだけ「泡盛」が、一般的なものだったということだろう。
それくらい、琉球で一般化していた「サキ(酒)」に、
どういう経緯で「泡盛」という名前が、与えられたのだろうか?

実は「泡盛」がどうして「泡盛」という名前になったのか?
ということに関しては、
いまだにはっきりとしたことは分かっていない。
その名前の由来については、大きく4つの説があるからだ。
ちょっとそれらを挙げてみよう。

・かつて、材料に「粟(あわ)」が使われていたため、という説
・古代インド語のサンスクリット語では、
 「酒」のことを「アワムリ」といっており、これが伝来したとする説
・薩摩藩が、徳川幕府への献上品として酒を送る際、
 九州の「焼酎」と区別するために、「泡盛」と名付けたという説
・「泡盛」のような蒸留仕立ての酒は、泡を立ててみることによって
 その善し悪しがわかる。「泡盛」の場合、細かい泡が盛り上がり、
 泡が消えるまでの時間も長かったことから、
 「泡盛」になったという説

これらが、「泡盛」の名前の由来とされている説である。
だが、第3の薩摩藩説では、
なぜそれが「泡盛」と呼ばれるようになったか?
という説明にはなっていない。
さらに第2の説、なぜわざわざ古代インド語である
サンスクリット語の「アワムリ」が、
琉球に伝わってきたのかハッキリしておらず、
どうもこじつけっぽさを感じさせる。
そうなってくると、第1か第4の説ということになるのだが、
「粟」を使っていたから「泡盛」という話と、
「泡」が「盛」り上がったから「泡盛」というのでは、
キチンと漢字の意味が通っている分、第4の説の方が説得力がある。
(無論、あまりにも話が出来すぎているという感じはあるが……)
実際、この4つの説の中では、「泡が盛り上がったから」という
第4の説が有力視されているらしい。

さて、ここまで3回にわたり、沖縄の地酒「泡盛」について
書いてきたわけだが、現状、「泡盛」という酒は、
ほぼ8割が沖縄県内で消費され、
残る2割が県外での消費になっている。
詰まる所、沖縄の以外の県では、スーパーはもちろん、
酒屋にいってもほとんど置いている所が無い、といってもいいだろう。
そういう意味では、本当に沖縄という土地に密着した
沖縄ならではの酒ということができる。
(まあ、それでも最近ではネットを通じて購入することも出来るのだが)

こういう珍しい酒については、やはりとるべき対応は1つだけで、
「飲めるときに、飲んでおく」ということになる。
チャンスを逃す事なかれ。

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