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奉納相撲

更新日:

自分の住んでいるたつの市は、相撲と縁がある。

別段、市をあげて相撲を奨励しているワケでもなく、

たつの市から名横綱が出た、というようなこともない。

普段は相撲の「す」の字もないような町である。

そんなたつの市が、相撲と縁を持っているというのは、

ひとえに「野見宿禰神社」による所だ。

かつて「野見宿禰」の回でも書いたが、

たつの市は相撲の神様といわれる、野見宿禰が亡くなった土地であり、

「たつの」という言葉の語源も、彼に由来しているからである。

これ以外には、たつの市と相撲をつなげるものはない。

本来なら、町おこしということで、少年相撲に力を入れていても

不思議ではないのだが、たつの市にはそういう風潮がない。

当然、たつの市に住む人間にとって、

相撲とはテレビで観戦するだけのもの、のはずであった。

……。

はずであった、という表現をした。

つまり、例外があったということである。

市の名前以外、相撲と縁を持たないたつの市にあって、

マワシを締めて、相撲をとることを強制された人間がいたのだ。

自分のことである。

どういうわけか、自分の住んでいる地区には、

神社に子供相撲を奉納する「習わし」があった。

「習わし」などというと、おどろおどろしい感じがするが、

早い話、夏休みに地区の神社で、子供相撲が開かれるということである。

参加選手は小学1年生から6年生までの男子で、

夏休みのお盆近くに、山の上の小さな寂れた神社で、相撲をとらされたのだ。

こういっては何だが、自分たちはファミコン世代である。

外で遊ぶよりも、うちにこもってゲーム機と戯れる世代だ。

何が楽しくて、マワシを締めて相撲などとらないといけないのか。

しかも、この子供相撲、当日に相撲をとって、

ハイ、おしまい、というものではない。

前準備として、雑草が生い茂っている山上の広場を、

整備しないといけなかった。

夏の炎天下、毎日毎日、蚊に食われながら、鎌で雑草を刈った。

土俵は野原が丸く掘り下げてあり、そこにオガクズをたっぷりと敷いたものだ。

これだと、転んでも怪我をすることはない。

しかし転べば、まるで「きな粉餅」のように、

全身オガクズにまみれることになる。

これを払い落としながら、相撲をとるのである。

掘り下げられた土俵の周りには、藁をまとめた「俵」の様なものが置いてある。

地面が掘り下げられているので、わざわざそんなものを仕込む必要はないのだが、

律儀にこれを仕込むのである。

もちろん放送機材や、机、照明器具なども山の上まで持って上がる。

正直、過酷な労働であった。

1週間ほどかけて準備が終わると、ようやく奉納相撲だ。

小学生男子がマワシを締めて、西と東にわかれ、相撲をとった。

これが一応、相撲大会という形をとっていたため、

勝ち抜き戦や、リーグ戦、トーナメント戦など、

わりとしつこく、何回も相撲を取らされた。

夜の大会なので、それほど暑くはないのだが、

夜の山上は蚊がすごい。

そこにマワシ一丁でいるのだから、蚊に刺されるためにいるようなものだ。

必然、虫除けスプレーを、全身にこれでもか、というほど吹き付けることになる。

全身は汗と虫除けスプレーで、べたべただ。

これでオガクズの上で相撲をとれば、全身にオガクズが張り付くのは道理だ。

虫除けスプレーの臭いをぷんぷんさせながら、

オガクズの上で揉み合う「きな粉餅」たち。

これが、子供相撲の全てであった。

理不尽なことに、小学生の間はこのイベントに強制参加であった。

つまり、小学生の間、6年間は毎年「きな粉餅」になっていたわけだ。

よその地区にはない、自分の地区のみのイベントだったのだが、

スポーツが好きではなかった自分にとって、

これはなかなか辛いイベントだった。

同じように思っていた人間は、意外と多かったようで、

自分たちが小学校を卒業して1~2年もすると、人手も不足しだして、

自然消滅となった。

以降は数十年間、全く子供相撲再開の声は上がらない。

大人になり、改めて自分が子供のころやっていた相撲について

見直してみたとき、これがいわゆる「奉納相撲」であることに気がついた。

わかりやすくいえば、神様に相撲を見せて、ご機嫌を取っていたのである。

調べてみると、現在でも各地で「奉納相撲」は行なわれている。

神事としての性格が強いものでは、真剣勝負ではなく、

一種の演舞になってしまっているものもある。

1人で相撲をとる神事もある。

いわゆる「独り相撲」である。

この場合、相手は神様ということになるので、常に負けるという結末になる。

地区同士で対戦し、稲の豊作・凶作、漁業の豊漁・不漁などを占う相撲もある。

こういう場合は、基本的に真剣勝負で相撲をとるが、

どちらかに不漁が予想されるような場合では、

わざと勝ちをゆずることもあるそうだ。

これも一種の「八百長」ではあるが、さすがにこれが問題視されることはない。

マワシを締めて相撲をとるというのは、珍しい経験だ。

それが良いのか、悪いのかはわからないが、

今になって思い返せば、貴重な経験だったと思う。

ただ、少なくとも、あの炎天下での過酷な準備作業は、

猛暑日の続く現在の夏では、とてもやりきれるものではなかっただろう。

昔、自分がやっていたとはいえ、

あれを今、子供にやらせるとなると、抵抗がある。

今、町おこし、村おこしなどの一貫として、

古いイベントの再開を計画する自治体も多いが、

この「奉納相撲」に関していえば、軽い気持ちで復活させるのは止めた方がいい。

少なくとも自分の地区でそういう話が出て、

子供たちが「やりたくない」と言った場合、

自分は子供の意見を支持する側に回るだろう。

そういうのは、子供に押し付けて、やるものではない。

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