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播州皿屋敷~番外編

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前回、「播州皿屋敷」について分析を行なった。

その際、あえて「皿屋敷」の最重要アイテム「皿」についての

分析をしないでおいた。

今回は「皿屋敷伝説」の「皿」について、細かく分析をしてみたい。

まず全国に50以上ある「皿屋敷伝説」の中で、きっちりと皿について

明記してあるものは意外と少ない。

一番多い表記は、ただ「家宝の皿」としたもので、

正直これでは分析のしようがない。

だから、この「家宝の皿」というのは、今回の分析から外す。

これ以外の表記を並べてみると、

「赤絵の皿」

「信楽の皿」

「毒消しの皿」

「鮑貝の杯」

「こもがえのぐそく皿」

以上のようになる。

この内、「こもがえぐそくの皿」はその特徴として、その皿に盛って食べると

毒に当たらない、また毒に当たってもその皿をなめるとたちまちになおる、

という、いわば解毒の皿と言える。

だから「毒消しの皿」と「こもがえのぐそく皿」は同一のものと考えられ、

ここではより表記の詳しい「こもがえのぐそく皿」で統一する。

「赤絵の皿」

「信楽の皿」

「鮑貝の杯」

「こもがえのぐそく皿」

と、以上の4つについてそれぞれ考察していく。

まず一番最初に考察するのは「播州皿屋敷」に出てくる

「こもがえのぐそく皿」である。

しっかり名前と特徴が出ているので、そこから「こもがえのぐそく皿」とは

一体どういうものなのか、考察していきたい。

…といっても、特徴はこの皿に盛って食べると毒に当たらない、

毒に当たってもこの皿をなめるとたちまちなおる、という常識を外れたものだ。

そんなものがあるワケないだろう、と思って調べてみた。

すると「毒消しの皿」はなかったのだが、

この逆の「毒の皿」は存在していた可能性がある。

というのも陶器に使われる釉薬に、鉛を大量に入れていた場合、

皿に料理を盛った時に鉛の成分が析出し中毒を起こした、という話があった。

ということは逆に、殺菌作用のある銀などの金属を大量に釉薬に混ぜれば、

その殺菌成分が析出し、殺菌作用のある皿が作れるのではないか?

しかしどっちにしても毒を消す、という態のものではない。

特に皿をなめて毒に当たったものをなおす、などということはできるはずもない。

仮にできるとしたら、皿を正露丸ででも作らないと無理だ。

特徴の方から「こもがえのぐそく皿」を分析するのは行き詰まった。

ならばこの「こもがえのぐそく皿」という名前そのものから、

分析するしかない。

これを意味の通りそうな箇所で区切ると、

「こもがえ」「の」「ぐそく皿」となるだろう。

「の」は接続助詞になるので意味はない。

問題は「こもがえ」と「ぐそく皿」である。

このうちわかりやすいのは「ぐそく皿」のほうだろうか。

「ぐそく皿」という皿はない。

ここは「ぐそく」と「皿」にわけるべきだろう。

で「皿」はそのままで良いとして、問題は「ぐそく」だ。

辞書で調べると「具足」となり、意味は「甲冑・鎧」になる。

他には「ひと揃いの」という意味がある。

今回はこちらの意味で「ぐそく皿」は「ひと揃いの皿」とすれば意味が通る。

で、最後が「こもがえ」である。

陶器辞典で「こもがえ」をひくと「こもがい(え)」とある。

漢字に直すと「熊川」となり、高麗茶碗にこの名前のものがある。

「熊川茶碗」とは枇杷色の釉薬をかけて焼いてある茶碗で、

口縁部が外側に反り返った茶碗である。

しかしいくら調べてみても、「熊川」の皿など出てこない。

そこでそもそもの「熊川」の言葉の由来から調べてみた。

すると、「熊川」というのは生産地の名前ではなく、積出港の名前だと言う。

これと同じ例は、日本の有田焼の場合にもあり、

有田焼を伊万里焼ともいうのは、有田焼を伊万里港から出荷したことによる。

しかしいくら調べても、「熊川」の名前での、

茶碗以外のものは見つけられなかった。

さらに調べると、大問題が浮上した。

「熊川」で茶碗が焼かれ出荷されたのは、「播州皿屋敷」事件のあった

永正年間よりずっと後の年代になるのだ。

これでは「こもがえ」と「熊川」が同一であるはずがない。

ではこの「こもがえ」とは一体なんなのか?

前回の分析で、「播州皿屋敷」は蕎麦についての記述から、江戸時代以降に

江戸で書かれたものではないか?という説を書いた。

恐らくはその時代に江戸にあった「熊川」の茶碗から、

名前だけを借りた架空の皿だったのだろう。

次に「鮑貝の杯」について考えてみる。

これは「播州皿屋敷」の大本となった、「竹叟夜話」の中にある皿だ。

正確には杯ではあるが、一応皿として話を進める。

もっともこれもそれほど詳しくは調べられない。

一応5枚1組の杯で、そのうち2番目の大きさのものを隠された、

ということまではわかったが、具合的にどういう杯であるかは不明だ。

恐らくは鮑の形を模したか、鮑の絵が描いてある杯だったのではないか?

鮑貝というと螺鈿細工のものである可能性も、なくはない。

螺鈿細工の原料には鮑の貝殻も含まれるからだ。

しかしその場合は、螺鈿細工の杯という表記になりそうな気がする。

上記の4つの中で、もっともわかりやすいものは「信楽の皿」だろう。

現在でも残る信楽焼は、いわゆる六古窯のひとつで、

日本最古の古窯のひとつ、「猿投窯」の流れを汲む焼き物だ。

朴訥とした作風のものが多く、大福帳を持ったタヌキの置物は有名だ。

タヌキに限らず、わりと大きなものを焼くことが多いのも特徴だ。

ただ千利休にその詫びた作風を見いだされるまでは、

庶民の生活雑器という見られ方が大方であった。

つまり永正年間には家宝にされるとは思えず、

「信楽の皿」を家宝としたという「皿屋敷伝説」は恐らく江戸期以降のものだ。

最後は「赤絵の皿」である。

日本国内で赤絵と呼ばれる絵つけをした磁器が焼かれたのは、

有田の柿右衛門によってである。

これは17世紀前半、つまり江戸時代初期にことである。

これが「赤絵の皿」の正体だとすれば、やはり江戸時代以降に話が作られて

いることになる。

もちろん「赤絵の皿」は中国磁器にも存在している。

有名なものでは「万暦赤絵」、「呉須赤絵」の2つだろう。

この2つもまた永正年間以降の作になるので、

「赤絵の皿」がでてくる「皿屋敷伝説」が「播州皿屋敷」と同じ年代の

話であるとは考えにくい。

ただ赤絵の元祖「宋赤絵」であった場合のみ、年代的には合うことになる。

ただ、話の筋から赤絵の素性を導きだすことは不可能だ。

さて、以上「皿屋敷伝説」に出てくる「皿」について、検証してみた。

やはり皿に関しての情報は「播州皿屋敷」が一番多かった。

話自体は創作ではあるが、かなり細部にこだわっている。

恐らく流れとしては

「竹叟夜話」→「播州皿屋敷」→「番長皿屋敷・その他皿屋敷伝説」

という流れがあり、「播州皿屋敷」の完成度が高かったために、

さらにそこからの派生作品が大量に作成された、という流れのようだ。

ただそこまで完成度の高い「播州皿屋敷」であるが、作者は不明だ。

恐らくは劇作家か、浄瑠璃作家によるものだろうと思われる

……読み返してみると、今回はちょっと趣味に走りすぎた感がないでもない。

ま、たまにはこういうのもいいか。

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