昨日、ニュースを見ていると、
背広を着た男性が、泣きわめいている姿が映っていた。
兵庫県の県会議員が、政務費不正疑惑をかけられての、
謝罪会見とも、釈明会見とも、わからない会見だったが、
途中から議員がヒートアップ、泣きわめきながら何事かを訴えていた。
……正直に言って、ドン引きだった。
いい大人の泣きわめく姿というのは、あまり見栄えのするものではない。
とくに謝罪会見のような場で、だだっ子のような姿を見ると、
たとえTVの向こうの出来事といえども、苦笑いさえ出てこない。
インパクトだけは大きかったが、肝心の政務費不正疑惑に関しては、
何も具体的な話は出てこず、使い道に関しても「記憶にない」だけであった。
これでは謝罪にも、釈明にもなっていない。
よその自治体ではなく、地元兵庫県のことであるだけに、
なんとも情けない限りであった。
今回の件に限らずとも、わりと「謝罪会見」というものは多い。
政治家の謝罪会見、企業の謝罪会見、芸能人の謝罪会見。
TVのニュースを見ていると、この「謝罪会見」を目にする機会も多い。
そしてその謝罪会見の中には、いくつか「?」と感じてしまうものもある。
今回の兵庫県会議員の謝罪会見も、そのひとつだ。
今回のそれは、議員の正気さえ疑われるレベルのものだった。
この少し前、都議会議員が、セクハラヤジを飛ばしたとして、
謝罪会見を行った。
これは先の県会議員の謝罪会見に比べると、まだ普通であった。
少なくとも、見ていて見苦しいものではなかった。
ただ、謝罪会見に到るまでの経過には、ちょっと眉をひそめるものもあった。
野次を飛ばした当初は、ダンマリをきめこみ、議会後のインタビューでも、
全く素知らぬ顔をしていた。
その後、声紋鑑定を行なうという段になり、ようやく名乗り出た。
そのため、後だしというか、なんというか、シラケた空気の漂う会見となった。
謝罪会見、というワードで検索をかけると、
マイクが置かれた長テーブルの向こうで、スーツ姿の男性が3人並んで、
頭を下げている画像が出てくる。
これこそ、日本の謝罪会見の定番であろう。
企業や、公官庁で不祥事があった場合、この手の謝罪会見をすることが多い。
つらつらと自らの罪状を読み上げ、しっかりと頭を下げる。
セレモニー的ではあるが、奇をてらってみても、印象は悪くなるだけである。
何事も無難にこなしておくのが良いという、誠に日本的な態度だ。
だが稀に、この定番スタイルから逸脱した謝罪会見がある。
今回の、兵庫県会議員の謝罪会見のようなものである。
どうも、おかしな感じの謝罪会見になる。
その根底に流れているのは、
「自分は悪くない」という精神だと思う。
いくつか記憶に残っている、謝罪会見を挙げてみよう。
2011年4月。
ある焼き肉チェーン店で、食中毒事件があり、5人が死亡、
200人近い被害者を出した。
この時、この焼き肉チェーン店の社長が、謝罪会見を開いた。
かなりハイテンションな謝罪会見であり、今回の件と共通するところがある。
この中で、「生食用の牛肉はありません」、
「基準を作らない厚生省が悪い」といった発言をし、開き直りの態を見せた。
その後、土下座謝罪ということになったわけだが、
それを見る世間の目は、冷たかった。
2007年12月。
ある有名料亭に、不祥事が続き、謝罪会見を行うことになった。
賞味期限切れの菓子の販売、各種商品の産地偽装、
さらには客の食べ残しを、別の客に再提供していたことが発覚、
大問題となった。
高級料亭の、数々の不祥事に世間の目が集まり、
大阪府警の家宅捜索、強制捜査を受けることとなった。
そして問題の、謝罪会見。
女将とその息子が並んで会見を行ったが、その姿は失笑をまねいた。
なんと、女将が横で質問に対する返答内容を小声で指示し、
隣に座った息子がそれを忠実に喋るという、一種の腹話術であった。
問題は、その腹話術がへたくそ極まりないもので、
女将のぼそぼそ声の指示が、すべてマイクに拾われてしまっていた。
そうなってしまうと、もはや見ている側からすれば、
謝っているというよりも、馬鹿にされていると思うだろう。
この後、料亭再建を目指したが、失敗。
あえなく廃業となった。
2010年。
バンクーバーオリンピックに参加した選手が、服装の乱れを指摘され、
謝罪会見を行った。
その際、「反省してまーす」という言葉の影で、ぼそっと、
「チッ、うっせーな」とつぶやいた。
もっともこの件は、他の件と違い、被害者がいるわけでもない。
あくまでも問題とされたのは、選手自身の服装であったため、
それほど深刻な問題であったわけではない。
早い話、学校の服装チェックの大げさなものにひっかかった、ともいえる。
そういう意味では、謝罪会見自体がオーバーな対応であった。
競技の成績自体は、最終成績で8位入賞を果たしている。
近年目立った、いくつかの謝罪会見を挙げてみた。
死者を出した食中毒事件から、ズボンの履き方まで、
実に様々な理由で、謝罪会見が行われている。
その中でも目立っているのは、やはり、どこか変わった謝罪会見である。
今回の件は、それらに並ぶ、謝罪会見であった。
何を喋っているのか、ろくに聞き取れないという点で、
まさに、前代未聞の謝罪会見であった。
これからも、何か問題が起こるたびに、謝罪会見は行われるだろう。
願わくば、そういうものとは無関係でいられるよう、祈るばかりである。