最近、歴史の真実を暴く、というような本が
数多く出版されている。
それまで、歴史上の事実として語られて来た出来事に、
疑問の目を向け、その「嘘」を暴こう、というものである。
有名なものを挙げてみれば、
織田信長の「桶狭間の戦い」は、「桶狭間」では戦っておらず、
奇襲でもなかった、というものや、
「長篠の戦い」では、鉄砲の三段撃ちは、
実際には行なわれなかった、というもの、
武田信玄の「武田騎馬軍団」は存在していなかった、
というものなどがある。
「桶狭間の戦い」の奇襲も、
「長篠の戦い」の鉄砲三段撃ちも、
武田信玄の「武田騎馬軍団」も、
戦国時代を語る上では、欠かすことの出来ない大事件である。
ところが、最近の研究では、
これらが全て「嘘」ということになってしまっているのである。
昔から伝えられている出来事に疑問の目を向け、
そこにメスを入れて、新たな説を提唱するというのは、
歴史を研究する者にとっては、まさに本懐といってもいいだろう。
だが、新たな説を提唱され、唯々諾々とこれを受け入れるのでは、
本当の歴史好きとはいえない。
新たに提唱された説に関しても、
さらにブスリとメスを入れるくらいでなくてはならない。
そんなワケで、今回は上記した3つの新説の中から、
「武田騎馬軍団」は存在しなかった、という説について、
ブスリとメスを入れてみたい。
「武田家は、強大な騎馬軍団を有しており、
この力を持って、戦国の世を席巻した」
というのが、古来からの定説で、この武田家の有した騎馬軍団を、
俗に「武田騎馬軍団」と呼ぶ。
近年の新説では、この「武田騎馬軍団」が存在していなかった、
という風にいわれるようになった。
一体、どういう根拠があって、
「武田騎馬軍団」は否定されたのだろうか?
「武田騎馬軍団」の存在を否定する人たちの言い分は、
以下の通りである。
・まず第1に、戦国時代の日本には、
現在一般的に知られている「サラブレッド」は存在しておらず、
小型のポニーの様な馬しかいなかった。
これに人が跨がると、足が地面につくほどである。
・さらにこれに鎧兜で武装した武士が騎乗する。
鎧兜は、重いもので30kgにもなり、
武士の体重が50kgであったとしたら、
合計80kgもの荷重を、ポニーの様な小型馬にかけることになる。
これではまともに走れないのではないか?
・また、一軍を騎馬兵で固めてしまうと、
兵士の食料のみならず、馬の食料も用意しなければならず、
とても戦線を維持できなかったのではないか?
つまり、要約すると馬は小さく、非力であり、
さらに経済的な見地からも、
とても映画「影武者」における騎馬軍団のようには、
いかなかったのではないか、ということである。
まず、注目したいのは、
当時の馬がポニーの様な馬であったという点である。
我々が現在、「ポニー」と聞いて思い浮かべるのは、
身体が小さく、足も短く、たてがみと尻尾の毛の長い、
小型の馬の姿である。
しかし、本来「ポニー」という品種の馬はおらず、
体高(肩までの高さ)が147㎝以下の馬をまとめて、
「ポニー」と呼んでいる。
だから一言で「ポニー」といっても、実際にはその種類は様々で、
我々のイメージする「もの」と同じとは限らない。
事実、当時の武士が騎乗していたのは、
「木曽馬」と呼ばれる日本在来種の馬で、
体高は130~135㎝ほどである。
現在、よく知られている「サラブレッド」の体高は
160~170㎝だが、確かにこれに比べれば、
「木曽馬」は、かなり小型の馬であるといえるだろう。
しかし、当時の日本人もまた、現在の日本人に比べると小柄であり、
成人男性の身長も150㎝ほどであった。
(現代人の成人男性の平均身長は、170㎝ほどである)
つまり馬と騎乗者の体格の比率でいえば、
現代人が、体高153㎝の馬に騎乗する様なものである。
馬の体高というのは、地面から背中までの高さを表しているので、
早い話、153㎝の高さの跳び箱に跨がる様なものである。
これではどうしたって、地面に足など着くはずがない。
同じく、体高135㎝の「木曽馬」に跨がった武士たちも、
地面に足がつく様なことはなかったと思われる。
さらにいえば、現在でも「木曽馬」というのは生き残っており、
乗馬などに使われることがある。
戦国時代の武士よりも、20㎝も身長のある現代人が
「木曽馬」に跨がるわけだが、
この場合でも、地面に足がつく様なことはなく、
普通に走ることが出来る。
男性で身長150㎝といえば、現代でいえば
小学6年生か、中学1年生並みの身長ということになるが、
この場合、体重は40kgほどである。
身長170㎝の場合の標準体重は60kgだから、
馬にかかる荷重は現在の3分の2ほどである。
もちろん、武士である以上は
それなりに身体も肉厚であっただろうから、
体重はもうちょっとあったかも知れないが、
さすがに50kgはなかっただろう。
現代人の平均、170㎝60kgにあてはめると、
体重が75kgもあったことになる。
さすがにこれでは太り過ぎだ。
当時の食料事情からすると、そこまで太った兵士がいたというのは、
にわかには信じ難い。
鎧にしてみた所で、馬に乗る以上、
軽量化は図られていたはずであり、
30kgもある鎧を着ていたとは、考え辛い。
そう考えると、いくら身体の小さい木曽馬とはいえ、
騎乗して走ることくらいは、普通に可能だったと思われる。
(実際に、現代人が鎧を着て木曽馬に乗り、
これを走らせる実験も行なわれており、
その結果、1kmほどは問題なく走れたそうである。
当時の馬は、当然、戦闘用に鍛えられていたと思われるので、
さらに走る距離は長かっただろう)
これらのことを考えてみると、馬が小型の木曽馬だからといって、
それが「騎馬兵」自体を否定するほどのものでないのは、明らかだ。
では、最後の1つ、馬の食料の問題はどうだろう?
馬が何を食べるかといえば、「草」を食べる。
もちろん、どんな「草」でも良いワケではなく、
イネ科の牧草と、マメ科の牧草を食べることが多いようである。
馬の胃は小さいため、まとまった量を食べることはなく、
少し食べては休み、少し食べては休みを繰り返しながら、
1日のうち6割は、「草」を食べているという。
なるほど、馬が食べる「草」を全て輸送するのなら、
これは一大事だが、日本は「草」にことかかない。
恐らく、遠征したとしても、行く先々で「草」は手に入る。
そんなに都合良く、あちこちに馬のエサになる「草」があるのか?
という疑問もあるが、当時、運輸・軍事に
馬が大量に用いられていたことを考えれば、
恐らく、どこに行っても充分に「草」は手に入っただろうと思われる。
そういう当時の馬事情を考えれば、
馬のエサについては、それほど大量に持ち運ぶ必要が
なかったのではないだろうか。
戦国時代、馬に乗って走ることは充分に可能であり、
さらにエサの問題にしても、当時の馬の使役状況を考えれば、
それなりの量を、遠征先で入手できたものと考えられる。
そうなると、何万という兵、全てを騎馬隊にするのは無理だとしても、
その一部を、騎乗兵のみで固めた部隊を作ることは、
充分に可能だったと考えられる。
武田氏の兵法・軍略を記した「甲陽軍鑑」の中には、
9300騎もの騎馬兵がいたと記されているのだが、
これを信じるのであれば、映画「影武者」で撮影された規模の
「騎馬隊」の存在はむしろ当然のことだろうし、
仮にこれが眉唾物で、実際にはこの10分の1程度しか
騎馬兵がいなかったとしても、
映画並みの「騎馬隊」を編成することは、余裕であったと思われる。
(映画「影武者」の騎馬隊のシーンに用いられた馬の数は
百数十頭ほどであった)
逆に考えれば、わずか百数十頭の「騎馬隊」であっても、
映画並みの迫力・威容がある、と考えれば、
敵に与える恐怖感、敵に対する威圧効果は絶大であったと考えられ、
むしろ「武田騎馬軍団」というのは、
こちらの効果を狙って編成され、使役されていたとも考えられる。
さらに「騎馬隊」の用兵についても、考えてみたい。
我々の持つ「騎馬隊」のイメージでは、
百騎以上の騎馬武者が大挙して、敵歩兵隊に突っ込み、
これを散々に蹴散らす様なイメージを持っているが、
正直、これは「騎馬隊」の最大の特徴である
「機動力」を生かした用兵ではない。
「機動力」を最大に活かすためには、
本体とは別の遊撃部隊として編成し、
敵の補給部隊を強襲して、敵の補給線を断ったり、
撤退する敵部隊への追討部隊として、追撃をかけさせたりする方が、
ずっと効果的で、敵に与える恐怖感も増すはずである。
「孫子」の中から、「風林火山」という座右の銘を生み出した
武田信玄であるならば、そういう用兵をしていたのではないだろうか?
以上のことを考えてみれば、
武田軍には、それなりの数の騎馬部隊が存在していたのは確かで、
それを上手く編成し、敵の威圧・強襲等に用いていたのだろう。
その用兵がうまくいき、充分に敵を威圧しえたことから、
「武田騎馬軍団」という名前が生まれたのだと考えられる。
だとすれば、映画「影武者」などで見られる武田騎馬軍団のシーンは、
現実には存在していなかったかも知れないが、
それと同等の威圧感のある「騎馬部隊」は確かに存在しており、
それに対する恐怖が、現在まで続く「武田騎馬軍団」という
イメージを作り出したのだろう。
いずれにしても、「武田騎馬軍団」が存在しなかった、というのは、
その辺りの考慮を忘れた、極論ではないだろうか?
さて、今回は「武田騎馬軍団」は存在しなかった、という、
最近の説について、メスを入れてみた。(ケチを入れた、ともいう)
次回は、長篠の戦いの
「鉄砲三段撃ちははなかった」という新説について、
メスを入れてみたいと思う。