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画廊

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友人が、「部屋に飾る絵がほしい」と言い出した。
そして、その上で自分に尋ねてきた。
「絵って、どこに行ったら買えるのか?」

なるほど、普通の人ならば、これは頭を悩ます問題だろう。
一般の人は、「絵を買う」ということがあまりない。
敢えていうならば、アニメやマンガ好きなファンが、
アニメショップで販売されている
「ポスター」などを買う場合だろうか?
もちろん、厳密にいえば、これは絵を買っているというよりも、
印刷物を買っているということになる。
誰かが描いた「絵」を、
そのままの現物として買う、ということになると、
その場所は驚くほど少ない。
実際、友人に「絵はどこに売っている?」と聞かれた際、
色々考えてみたが、確実な場所については
1つしか思い浮かばなかった。
ある「画廊」である。

ちょうど姫路に、かつて画材をよく買いに行っていた
画材店があり、そこの店に「画廊」が併設されていたのを
思い出したのだ。
具体的な店の名前を出すのは控えるが、
姫路のヤマトヤシキと隣接している店といえば、
ああ、あそこか、と思い当たってくれる人もいるだろう。
まあ、「画廊」といっても、本格的なそれではなく、
あくまでも画材店のとの併設なので、
それほど大量の絵があるわけではないのだが、
それでも様々な絵を選んで買うことが出来る、という点では、
非常に貴重な店であるともいえる。
タウンページの西播磨版にて「画商」「画廊」を探してみても、
項目自体が存在していない。
田舎において、いかに絵を買う場所が少ないか、ということである。
自分が、その店を利用していたのは高校時代のことで、
最後にその店に行ってから20年以上の時間が経っている。
はたして、現在でも同じ場所で、同じ商売をしているか
心配ではあったが、店のあった場所を訪ねてみると、
20年前と同じように、その店は営業を続けていた。
地下にあった画材販売コーナーが2階に移っていたものの、
店の雰囲気は、まさに20年前のあのころのままであった。

店のショーウインドウには、絵画だけでなく、
彫刻や写真なども展示されている。
まるで美術館にやってきたような錯覚を覚えるが、
美術館とは比べ物にならないほど、小さな建物である。
そんな狭い店内に、多くの額縁、画材、絵画などが
山のように展示されており、非常に雑多な雰囲気である。
店は3階建てになっており、1階には各種額縁と絵画、
2階へ上がる階段の壁には、何十枚もの絵画がかけられている。
2階では、様々な画材を取り扱っており、
なんともいえない独特の匂いが漂っている。
さらに3階へと上がる階段があり、そこの壁にも
また何十枚もの絵画がかけられている。
3階はギャラリースペースになっており、
壁に何枚もの絵画が展示されている。
このギャラリースペースには、
ヤマトヤシキへの出口もつけられていて、
デパートへやってきたお客さんが、
ギャラリースペースの展示を楽しむことも出来るように
なっている。

このギャラリースペース、文字で書き表している分には、
ただの展覧会、展示会のように思えてしまうが、
このギャラリースペースには、
選挙の投票箱のようなものが設置されている。
もちろん、どの絵が良いのか?
なんていうアンケートをしているわけではなく、
この箱は入札のための箱なのである。
つまり、この店のギャラリースペースに展示されているのは、
タダの展示品ではなく、一種の商品である。
だからカネを出せば、これを手に入れることも出来るのだが、
ここに展示されている絵には、価格が表示されていない。
その絵をほしい人たちが、
自分の出せる価格を書いて箱の中に入れる。
一種のオークションのようなものと考えていいだろう。
恐らく、もっとも高い価格を入札した人の所に、
絵が落札する仕組みになっているのだろう。
自分と友人がギャラリースペースを見ていたときには、
他には誰もそこにいなかったので、
意外と人気はないのかも知れない。
さすがに友人も、部屋に飾る絵を見にきて、
いきなり入札、という気持ちにはならなかったようだ。

さて、一般的なことをいえば、
「美しさ」の価値というのは、かなりあやふやなものである。
その価値というのは、それを鑑賞する人の感性によって
大きく変化し、まさに千差万別と言っても良い。
美術館などでも、展示順やパンフレット内での扱いによって、
一応、展示作品内での「格」を表していることもあるが、
基本的には、その辺りの判断は観客に任すというのが、
そのスタンスとなっている。
確かに、一定以上のレベルで描かれた絵画になってくると、
究極的にその評価を分けるのは、
観客個人の美的感覚に過ぎない。
だから、美術品の美しさ・その価値については、
それを計ったり、比べたりするのは意味がない、という人もいる。
そういう意見は、そういう意見で、正鵠を射たものだといえる。

しかし、ひとたび「画廊」という場所に入ると、
本来、定まった価値のない美術品に、
非常に分かりやすい価値がつく。
つまり「値段」がつく。
1畳分ほどのカンバスに描かれた油彩が
10万円ほどであったり、
B4サイズの画用紙に描かれた水彩が
200万円以上したりする。
そこには一切、決まった法則はなく、
原価とか、素材の善し悪しとか、サイズなどという
本来、価格に直結しそうな点を、
全く無視した価格がつけられている。
ここには、通常の経済の感覚は存在しておらず、
全く、ここでだけ通用する価値観によって、価格が決まる。

美術品の価値を、価格で決めるなどというと、
いかにも下品で、卑俗な行為のように感じてしまうが、
価格で表される美術品の価値というのは、
誰の目にも非常に分かりやすい。
ピカソだろうが、ゴッホだろうが、
あるいは全く無名な画家の作品であろうが、
そこでは全て「円」という単位で価値が示される。
200万円の絵には、100万円の絵の倍の価値があり、
10万円の絵には、100万円の絵の
10分の1の価値しかない。
いっそ冷酷なほどの、数字による価値の表現である。
もちろん、その価格で表された価値と、
その絵を買おうという人の価値観は、同じではない。
絵を買おうという人の評価が、価格を上回っていれば
あっさりと絵は売れるだろうし、
逆に評価が価格を下回っていれば、
絵を買おうなんていう気持ちは消え失せるだろう。
絵が、飛ぶように売れていない現実を見るに、
絵の価格設定は高すぎるのかも知れない。

さて、問題の画廊に飾ってあった絵だが、
安いものでは数万円ほど、高いものでは数百万のものもあった。
冷静に考えてみれば、画材店に併設されている小さな画廊の
階段部分に展示されている分だけで、
何千万円かの価値があるということである。
昔は、そんなことを全く気にせず、
平気で画材を買いにいっていたが、
改めて考えてみると、凄い商売をしているものである。
絵1枚で何百万円なんていうものを見ていると、
美術品専門のドロボウが存在するというのも、納得である。
もっとも、絵画などは完全な「1品もの」ゆえに、
盗んだ所で、これを現金に換金するのは至難の業だ。
誰にも知られていない絵だと、全くカネにならないし、
誰でも知っている絵だと、あっという間に足がつく。
美術品ドロボウというのは、苦労も多そうである。

結局、友人は気に入った小さな絵を1枚購入していたが、
それが果たして、価値に見合った金額だったのかは、
自分には分からないままである。
「絵」が欲しけりゃ、自分で描けば良い、
と思っている人間からしてみれば、
「絵」を買う、ということ自体、理解の及ばないことだ。

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