雑学、雑感、切れ味鋭く、思いのままに。

Falx blog 2

歴史 雑感、考察 食べ物

瀬戸焼きそば

更新日:

By: t-mizo

先日、婆さんの葬式に出席するため、
弟と2人で愛知県瀬戸市まで行ってきた。

喪主の意向により、故人の葬式は宗教色を極力排した
「無宗教」形式でいこうということになった。
今までに何度も葬式には出席したが、
全くの「無宗教」形式というのは、今回が初めてである。

亡くなった婆さん自体、それほど信心深いほうでもなく、
死んだ爺さんの位牌を仏壇の中に入れて、
毎日拝んではいたが、それ以上のことは何もしなかった。
本来であれば、元々住んでいた相生市のどこかに
死んだ爺さんの墓があったのかも知れないが、
ついぞ婆さんが、爺さんの墓参りに行く所を見たことがない。
婆さんの様子を見ている限りでは、
どうも墓というものには、こだわっていなかったようだ。
現代人ならばともかく、
大正生まれの婆さんにしては、
信じられないほど先進的な考え方を持っていたようである。
そんな婆さんの葬式だということで、
とってつけたような「宗教色」は一切排し、
身内が集まってガヤガヤやるだけの葬式になった。
坊さんも来ない。
お経もあげない。
あまり何もないと寂しいので、ロウソクと線香は用意してあり、
装束と棺桶に関しては、仏式のものを使用した。
しかし、祭壇に関しては一切の様式を排し、
大量の生花を飾るだけのものであった。

お通夜代わりに行われた「お別れ会」では、
特に決まった儀式が行われることもなく、
みんなが持ち寄った料理やお菓子をつまみに、
酒を飲んでいただけである。
甥っ子などは、みんなが酒を飲んでいる横でプリントを広げ、
学校の宿題をやっている始末である。
途中、喪主の友人が何人か挨拶にやってきたが、
婆さんの遺体の横で宿題をやっているひ孫を見て、
一体、どう思ったのだろうか?

この「お別れ会」は、一応、
夜からということになっていたのだが、
自分と弟が瀬戸市の会場に着いたのは、午後1時ごろだ。
手伝うことがあれば手伝えるようにと、早めにいったのだが、
特に手伝わなければならないようなこともなく、
ただ会場で無聊をかこっていただけである。
さすがに「お別れ会」が始まってもいないのに
酒を飲むわけにもいかず、会場に集まった親戚たちは、
お茶菓子を食べながら、ひたすらお茶を飲んでいただけだった。
そんな中、喪主の奥さんが腹の足しにと、
大量の焼きそばを買ってきた。
関西ではたこ焼きなどを入れる、発泡スチロール製の「舟」に
焼きそばがタップリと盛り込まれており、
それが緑色をした包み紙で包装されている。
ちょっとその辺の露店で買ってきたという風の、焼きそばである。
身内だけが集まる、「家族葬」だからこその気安さだろう。
銘々がその「焼きそば」を食べたのだが、
このとき、供された焼きそばこそが、
愛知県瀬戸市のB級グルメ「瀬戸焼きそば」であった。

「瀬戸焼きそば」は、一見すると
普通のソース焼きそばに見える。
全体的に茶色に染まっており、
目につく具材も豚肉、キャベツと普通の焼きそばと変わらない。
彩りのために、刻んだ紅ショウガが添えてあるのも
普通のソース焼きそばと同じである。
しかし、実際に食べてみると
それまで頭の中に思い描いていたソース焼きそばとは、
味が違う。
実は、「瀬戸焼きそば」において麺に絡まっているのは、
ソースではなく、醤油である。
店売りされているものでは、ただの醤油ではなく、
豚肉を煮込んだ、醤油ベースの煮汁であることも多い。
しかし一般家庭で作る「瀬戸焼きそば」では、
そこまでは手間をかけずに、醤油だけで味付けするようである。
濃厚なソースではなく、醤油を使っているためか、
従来のソース焼きそばに比べると、かなりあっさりとしている。
ただ、ソースの味を求める人も居るのか、
「瀬戸焼きそば」に添えるようにして、
小さな容器入りのソースがつけられていた。
自分は何もつけずに(醤油味だけで)食べたのだが、
周りの皆は途中でソースをかけて、味に変化を付けていた。
驚くほどウマいわけではなく、
驚くほど変わっているわけでもない。
しかし他所の焼きそばとは少しだけ、
だが確実に違っていて、やはり瀬戸でしか食べられない味である。

この瀬戸市独特の焼きそばが作り出されたのが、
1952年のことである。
名鉄瀬戸線「尾張瀬戸駅」近くの
「宮前地下街」と呼ばれる商店街が発祥の地である。
「地下街」なんていう名前がついているのに、
この商店街は地上にある。
そこら辺りにどんな謂れがあるのかはわからないが、
この商店街の中の「福助」というお店が、
東京の浅草門前で見かけた焼きそば店にヒントを得て、
焼きそばを出したのが始まりとされる。
どうして味付けをソースではなく、
豚肉を醤油で甘辛く煮た出汁でするようになったのかは、
明らかではない。
時代的にはすでにソースが普及していている時代で、
ソースは充分に使えたはずである。
この「瀬戸焼きそば」の元となった浅草の焼きそばにしても、
ソースを使ったソース焼きそばであった。
(「にっぽん洋食大全」には、ソースを使った焼きそばを
 浅草焼きそばと呼ぶ人もいる、という記述があるので、
 浅草はソース焼そば発祥の地であるとも考えられる)
ひょっとしたら、もともと「福助」には、
豚肉を醤油で甘辛く煮込んだメニューがあり、
それを作った際に出来る「副産物」である煮汁を、
ソースの代わりに流用した可能性もある。
その辺りについては、詳しい情報が見つからなかった。

現在では、「瀬戸焼きそば」を提供している店も増え、
店売りで(テイクアウト以外)で提供する場合は、
瀬戸市のもう1つの名物、瀬戸物の器に乗せて
これを供する店もある。

瀬戸の器で、瀬戸の焼きそばを食べる。
観光客には喜ばれそうである。

Related Articles:

にほんブログ村 その他生活ブログ 雑学・豆知識へ
にほんブログ村

スポンサーリンク
スポンサーリンク

-歴史, 雑感、考察, 食べ物

Copyright© Falx blog 2 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.