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歴史

岡山城

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現在においても「城」は、町の中心であることが多い。

これは城というものの、性質からきている。
大昔、「城」とは戦争用の一種の要塞であり、
そのほとんどが、攻められにくく、見晴らしが効き、
守りやすい、山上に作られていた。
国内の戦国期以前の城郭跡を見てみれば、
そのほとんどが、山の上に作られているのがわかる。

これが戦国期も終わりに近づいてくると、
「城」の役目が変わってくる。
戦争は無くなり、要塞としての役目は求められなくなり、
地方の行政機関としての意味合いが強くなる。
そうなってくると、山の上に「城」を築いても
不便なだけである。
当然、政治を行うのに便利なように、
町の傍に作られることになる。
町の中心に「城」を建て、
その「城」を中心にして町が広がっていく。
江戸時代以降の「城」は、
要塞ではなく行政府だったのである。

やがて明治維新が起こり、江戸幕府は瓦解する。
江戸幕府という政治体制の一部であった「藩」も、
これによりその機能を失ってしまった。
明治2年には版籍奉還が行なわれ、
名実共に侍の世の中は終わりを迎える。
後に残るのは「城」という、かつての行政府の跡である。
明治6年には廃城令が出され、
国内の城は、軍の管轄となり残されるものと、
大蔵省の管轄となり取り潰されるものに、
分けられてしまう。
この廃城令によって、日本の多くの城は取り壊され、
残った城に関しては、
軍の施設として再利用されることとなった。

当然、取り壊された城では
行政機関としての役割は果たせないし、
残った城にしても、軍部によって利用されているため、
行政機関としての役割はもたない。
必然的に、新たな行政拠点を作る必要があるのだが、
町自体が城を中心にして作られているため、
城の近くに行政機関をおくのが、もっとも混乱が少なく、
また利便性の面でも有効であった。
これのもっとも顕著な例が首都東京であり、
かつての行政府・江戸城(現・皇居)のすぐ側に、
国会議事堂が建てられ、現在の国家行政の中心となっている。

岡山城もこの例に漏れず、その周りには
県庁を始めとする行政機関が集中している。
さらに岡山城そのものが、
取り壊されずに残っているということは、
明治維新以降、この城が軍部の拠点として
再利用されたことを表している。

かつての岡山城は、現在、天守閣が建っている場所より、
西に300mほど行った所にある高台(石山)にあった。
天正元年(1573年)、
備前西部を中心にその勢力を伸ばしつつあった宇喜多直家が、
当時の城主であった金光宗高を滅ぼし、新しい城主となった。
現在の岡山城を築いたのは直家の子・秀家で、
彼は天下人・豊臣秀吉の養子となり
「秀」の一字を貰った人物でもある。
秀吉が天下人になると、秀家は父の遺領である
備前・美作の他に、備中の一部も貰い、
54万4000石の大大名になった。
このため、それにふさわしい城を、ということで、
秀吉のアドバイスの下、現在の場所に8年の月日をかけ、
岡山城を作り上げたのである。

この岡山城は、近くを流れる旭川の流れを変えて、
堀の一部として取り込み、
その際に掘削した土砂を積み上げて、城の土台とした。
この上に建つ天守閣は、
2階建ての建物を大・中・小と積み重ねたもので、
3層6階建ての構造になっている。
外壁の下見板には黒漆が塗られており、
太陽光にあたると、カラスの濡羽色に見えたため
「烏城(うじょう)」とも呼ばれた。

だが、城主・宇喜多秀家が
関ヶ原の戦いにおいて西軍として戦ったため、
戦後、宇喜田家は改易となり、秀家は八丈島へと流された。
この後、岡山城主となったのが小早川秀秋であったが、
彼はわずか2年で急死。
跡継ぎがいなかったため、小早川家も断絶し、
その後を池田輝政の次男・忠継が継いだ。
以降は明治維新に至るまで、
池田家が岡山城の城主を務めた。

明治維新後、岡山城は国の所有物になったものの
全ての建造物を維持していくことが出来ず、
順次取り壊されていき、
明治15年(1882年)以後に残されたものは、
天守閣、月見櫓、西の丸西手櫓、石山門のみであった。
昭和初期に、これらが国宝に指定されたが、
昭和20年(1945年)の岡山空襲によって
天守閣と石山門が焼失してしまった。
昭和41年(1966年)、
市民の長年にわたる要望により、天守閣が再建された。
ただ、この新天守閣は外見こそ旧天守閣と同じであるが、
中身は鉄筋コンクリート製であり、
内部にはエレベーターなども設置されている。
また、これと同時に不明(あかず)の門、廊下門、
六十一雁木上門、さらに周囲の塀なども再現され、
現在の姿となった。

さて、今回は「岡山城」について、
その構造や歴史について書いてみた。
次回は岡山城を観光的な側面から見て……、
というよりは一種の観光記のような形で書いていく。

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