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潜水艦〜その3

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ここまで2回にわたり、「潜水艦」について書いてきた。
今回はそのラストとして、「潜水艦」の歴史について書いていく。

「空を飛びたい」というのは、昔からの人間の夢であり、
そのための機械が、昔から考えられてきた。
レオナルド・ダ・ヴィンチなどは、
空を飛ぶための機械のデザインを残しており、
(それが実現可能な設計であったかどうかは別にして……)
空を飛ぶということが、いかに昔から、
人の心をとらえていたのかがわかる。

「空を飛びたい」というほどの強さは無かったかもしれないが、
「水に潜りたい」というのも、
やはり昔からの人間の夢であったようだ。
ただ、こちらの夢が「空を飛びたい」ほど、
大きなものにならなかったのは、
一応、息を止めて水の中に飛び込めば、
「水に潜る」ということに関しては、
達成することが出来るからだろう。
もちろん、呼吸を止めていられる間だけ、という時間制限はあるし、
水圧の関係上、一定以上の深さに潜るには、
専門の訓練を受けて、技術を磨く必要がある。
それでも、水深の浅い場所であれば、泳げさえすれば、
多くの人間が水の中の世界を体験することは出来る。
さらにいえば、空という誰の目にも見えている、光溢れる場所と違い、
水の中(特に深い海)などは、光も届かない、暗黒の世界だ。
呼吸も出来ず、視界も効かず、何がいるのかも分からない未知の世界。
そこは、人間が憧れを抱く場所、とは言い難いだろう。
そこへ進んで行くためには、「空を飛ぶ」という明るい夢ではなく、
光も射さない暗黒の世界へと立ち向かって行ける強い好奇心と、
冒険心が必要になってくる。
この辺りも、「水中」への欲求が、
「空」への欲求ほど強まらなかった原因かもしれない。

この「水の中へ」という欲求が、文献の中に現れるのは意外に早く、
紀元前337年には、アレキサンダー大王がガラスの樽に入り、
海底まで潜ったという話が残っている。
果たしてその時代に、
そこまで丈夫で精巧なガラス製品が作れたのか?という疑問もわくが、
少なくとも、そういう話が文献に載るほどには、
当時の人々は、水中への「夢」を持っていたということになる。

現在の「潜水艦」の原型となるものの構想が出来たのは、
1578年のことである。
イギリス人・William Bourneが発表した「潜水艦の原理と構想」が、
そのもっとも最初のものと考えられており、
この中では、大雑把ながら重力浮力を調整する潜航浮上の方法や、
水中で推進する方法が記されている。
これが実際に建造されることは無かったが、
後の「潜水艦」作製には、影響を与えたようだ。

1620年、オランダ人科学者のコーネリウス・ドレベルが、
「潜水艦」のようなものを、実際に作製している。
彼は英国海軍のために、William Bourneのコンセプトを参考にし、
人力推進の「潜水艇」を建造して、テムズ川で実験を行なった。
これは、木造船をグリースを塗った皮でスッポリと包んだもので、
テムズ川を潜水して、数マイル遡ることが出来たという。
船は12人の漕ぎ手によって前に進み、
水面からチューブを通じて、空気を供給していた。
ただ、当時の英国海軍は「潜水できる船」に、
軍艦としての興味を示さなかったようである。
時代的に16世紀後半から17世紀前半はルネサンスの晩年期であり、
「潜水艦」を必要とする海軍力が、
国力を示す時代では無かったからだろう。
これ以外にも、いくつかの「潜水艦」実験が行なわれていたようだが、
どの国の海軍でも、これを取り上げることはなかった。

戦闘兵器としての「潜水艦」で、最初に歴史に登場するのは、
1775年、アメリカの独立戦争中に設計され、
翌1776年、建造された「タートル号」である。
ジョージ・ワシントンの支援も受けて完成した「タートル号」だが、
正直、見た目は「タートル(亀)」というよりは、
樽にスクリューと、潜望窓を取り付けた、ビア樽のように見える。
これはタンク内に水を入れたり出したりすることによって
潜航浮上を行ない、手動の二つのスクリューによって移動した。
ただ、独り乗りの「潜水艦」であったため、
操縦は相当忙しかったのではないだろうか。
ニューヨーク沖に停泊していたイギリス戦艦・イーグル号に取り付き、
機雷を仕掛けようとしたものの失敗。
水中で相手に機雷を仕掛けるために必要な、
「位置保持」と「反力確保」が上手く出来なかったようだ。

アメリカの独立戦争で登場した「潜水艦」が、
初めて戦果を挙げたのは、同じアメリカの南北戦争のときである。
1864年、南軍の潜水艦「H・L・ハンリー」は、
サウスカロライナ州チャールストン港外で
北軍のスループ艦・フーサトニックを撃沈した。
「H・L・ハンリー」は人力で推進器をまわして相手艦の下に潜り、
その船底に爆弾を引っ掛けて、遠隔操作によって
これを作動させるというものであった。
ただ、技術がまだ未熟だったようで、敵艦を撃沈したものの
自らも沈んでしまい、帰航できず、乗員は全員死亡している。
まさに命がけの新兵器だったわけである。

ここまで出てきた「潜水艦」は、どれも潜航して相手艦に取り付き、
爆弾を仕掛けてこれを作動させ、
敵を倒すというのがその戦法であった。
早い話、特攻兵器に近いものだったわけだが、
これが大きく様変わりしたのは、19世紀に魚雷が発明されてからだ。
さらに当時のヨーロッパは、まさに産業革命の真っ最中で、
そこで生み出された新たな技術が、「潜水艦」にも導入され、
第1次世界大戦、第2次世界大戦においては、
ドイツの「Uボート」のように、大きな活躍をする「潜水艦」も
登場してくるようになるのである。

だが、第2次世界大戦までの「潜水艦」は、
安全性のため、水上を航行するのが普通であった。
つまり、「いざというときに潜れる」「潜ることも出来る」
船だったわけである。
これが、潜航できる所は全て潜航するというスタイルに変わったのは、
戦後、アメリカで原子力潜水艦が建造された後のことである。
1954年に建造された原潜・ノーチラスは、
空気を必要としない原子炉によって推進力を得ているため、
洋上へ出る必要がなく、長時間の潜航を可能にしていた。
幸いにして、原潜・ノーチラス建造以後は、世界的な大戦が無く、
これら「潜水艦」の活躍する場面というのは、多くなかった。

日本では1904年、最初の「潜水艦」が建造されている。
これは米国で開発された「ホランド型」と呼ばれるタイプのもので、
米国より設計図と部品を購入し、国内でこれを組み立てた。
1~5号艦までは部品を輸入していたが、6号艦からは国産化された。
当時は、日露戦争中であり、
これを見越しての「潜水艦」の導入であったが、
結局、日露戦争には間に合わず、日本の「潜水艦」が活躍するのは、
太平洋戦争が起こってからのことである。

戦後、日本は「潜水艦」の保有を禁じられていたが、
1955年、自衛隊に米国の潜水艦が貸与され、
1960年には、戦後初の国産「潜水艦」が建造された。
以降は、ほぼ、1年に1隻のペースで、「潜水艦」が建造されている。

さて、ここまで3回にわたって「潜水艦」について書いてきたのだが、
実は世界でも、現在、「潜水艦を建造できる国」というのは少なく、
わずか15カ国ほどしか存在していない。
もちろん、この15カ国以外でも、
「潜水艦」を保有している国はあるのだが、
それらは全て、「建造できる国」から「潜水艦」を輸入し、
これを運用しているだけに過ぎない。
日本では「武器輸出(禁輸)三原則」があり、
長らく「潜水艦」の輸出が禁止されていたのだが、
2014年に「武器輸出三原則」に代わり「防衛装備移転三原則」が
閣議決定されたことにより、オーストラリアへ
最新鋭潜水艦「そうりゅう型」の売り込みが行なわれた。
フランス・ドイツと競う形になったのだが、
結局、フランス政府系の企業に敗れる形となってしまった。
12隻で約500億豪ドル(約4兆円)もの巨大事業だったのだが、
現地で「潜水艦」を建造するという条件がついていたため、
技術流出を恐れて、腰が引け気味だったとの指摘もある。

「国家防衛」という、日本の「潜水艦」に課せられた使命を考えると、
目先のカネを目当てに、技術を輸出するというのも考えものだ。
現に、同じように高い「潜水艦」技術を誇るアメリカなどは、
一切、「潜水艦」の輸出を行なっていない。
(もっともアメリカは、原子力潜水艦しか造っていないため、
 1隻1隻が非常に高額なものとなり、
 どこの国も、手が出せないだけという話もある)

この件に関していえば、アメリカと同様の姿勢で臨む方が
良いと思うのだが、果たしてこれからも
「潜水艦」技術の売り込みを、続けて行くのであろうか?

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