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菜食わずの祭り

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世の中には、一定数以上の「野菜嫌い」がいる。

概ね、子供の割合が多いようだが、
中にはいい歳をした大人が、全く野菜を食べられない
なんていう話もある。
1つか2つの野菜が食べられない、というのなら、
良くある好き嫌いですませることも出来るため、
それほど世間の目は厳しくないが、
もう、全く野菜が食べられないということになると、
途端に世間の目は厳しいものに変わる。
これが子供であれば、親は必死になって
野菜嫌いを克服させようとするだろうし、
いい大人であれば、周りから
健康のために野菜を食べれるようになれと、
口うるさいほどに忠告されるだろう。
子供が野菜を食べないというのであればともかく、
いい大人が野菜を食べられない、ということになると、
その原因は育ってきた環境や、人格にまで言及されることもあり、
ともすれば、アイツはどこかおかしい、なんていう、
酷い偏見を受けたりするものである。

かように「野菜嫌い」というのは、
世間から冷たい目で見られてしまうものなのだが、
たつの市揖保川町にある神社では、
「野菜を食べない」ということを公言している祭りが行われている。
JR竜野駅北、国道2号線沿いにある「神戸神社」だ。
何も知らない人が見ると「こうべじんじゃ」と読んでしまいそうだが、
これは「かんべじんじゃ」である。
揖保川町内では屈指の規模を誇る神社で、
主祭神は「大己貴命」と「少彦名命」である。
これらの神々は、1468年(応仁2年)に播磨の一宮、
「伊和神社」から御分霊を招いたものである。
「大己貴命」は「おおなむちのみこと」と呼び、
別名を「芦原醜男(あしはらしこお)」とも
「伊和大神」とも呼ばれる。
全国的な知名度でいえば「大国主命」といった方が、
通りはいいだろう。

この「神戸神社」で毎年10月10日に行われている秋祭りが、
別名「菜食わずの祭り」と呼ばれており、
この日は「野菜」を食べない、という決まりになっているのである。
何故、このようなおかしな「祭り」が
執り行なわれるようになったのだろうか?

そこには、こんな話がある。

昔、ある旅の坊さんが、山里の村を歩いていた。
ちょうど村は秋祭りの最中で、山の麓の社の方からは、
笛の音や太鼓の音が聞こえていたそうだ。
坊さんが村はずれまで来ると、1人の女性が小川で野菜を洗っていた。
坊さんは女性に声をかけた。
「その菜(野菜)を少し分けてもらえないだろうか?
 そろそろどこかで、夕食の支度をしたいのだが……」
女性は顔を上げて、坊さんを見た。
坊さんの姿は薄汚れており、そんな坊さんの姿を見た女性は
せっかく洗った菜を分けてやるのが惜しくなり、
「坊さん、えらい残念ですがな。
 この菜は毒を持っとりましてな。
 食べることは出来ませんがな」
と答えた。
坊さんは
「そうですか。
 毒があっては食べることは出来ませんな」
と答えて、別段、怒る様子もなく、そのままどこかへ歩いて行った。
さて、そんなことがあってから、
この村の秋祭りの日に野菜を食べた者は、
皆、たちどころに腹痛を起こし、のたうち回って苦しむようになった。
村の人たちは、
「菜を食べたら、罰が当たるぞ」
「きっと坊さんに菜を惜しんだので、
 仏さんの罰が当たったんじゃ」
と囁き合い、以降、この村では祭りの日に
菜(野菜)を食べなくなった。
それからはこの村の祭りを、誰からとも無く
「菜食わずの祭り」と呼ぶようになった。

まあ、話の全体としては、こんな所である。
話の中では触れられていないが、
この坊さんを「弘法大師」としているものもある。
「弘法大師」は、奈良時代末期から
平安時代初期にかけて活躍した人なので、
もしこの話が、「弘法大師」にまつわるものなのだとしたら、
「神戸神社」が創建される、はるか以前に、
この話は起こっていたということになる。
あくまでも「神戸神社」として、
「大己貴命」と「少彦名命」を祀ったのが1468年というだけで、
すでにそれ以前にも、村の社として「社」自体は
存在していたのかもしれない。
だとすれば、時間的な矛盾は無くなる。
元々、「菜食わずの祭り」の祭礼を持つ「社」が存在しており、
それが有名になってきたため、播磨の一宮「伊和神社」から、
「大己貴命」と「少彦名命」を勧請してきた、とも考えられる。
あるいは、この坊さんは「弘法大師」では無かったということか。
そういうことであれば、「神戸神社」創建の後に
坊さんがやってきたとしても、時間的な矛盾は無くなる。
こういう風に書いてしまっては元も子もないが、
この手の正体不明の坊さんの話が伝わっている場合、
どうも人々は、これを「弘法大師」にしたがる傾向がある。
名も無い坊さんの話として語り継ぐよりは、
「弘法大師」にまつわる話とした方が、
話に箔がつくと考えるのだろうが、
その場合、時間的な矛盾が生じるようでは
話の作り込みが甘いといわざるを得ない。
この「神戸神社」の場合、恐らくは「弘法大師」の名前が
後付けされたケースだと思われる。

そういう時間的な話をおいておけば、
話自体は非常にシンプルな話だ。
要は、菜(野菜)を無心されて、これを断った所、
村に異変が起こるようになった。
その異変を避けるために、
祭りの日には菜を食べない様になった、という祭りの取り決めの
起源話である。

改めて冷静に考えてみると、この女性、
確かに「菜」を坊さんに無心されて、これを断ったのだが、
要はそれだけである。
現代の基準で考えるのならば、
特に「罪」や「悪」に類するようなことは何も行なっていない。
この後、村人が祭りの日に「菜」を食べると
腹痛を起こすようになるのだが、
普通の感覚では、この集団腹痛事件と坊さんを
繋げて考えることすらしないだろう。
逆に、「菜」を貰えなかった坊さんが、
何らかの手段(現実的な手段でも、呪術的な手段でも)で
村人たちに腹痛を起こさせたのだとしたら、
これは故意の傷害と認定される。
こちらはまぎれもない「罪」であり、「悪」である。
話の中では、この集団腹痛を「罰」と受け止めているが、
一体、どんな「罪」に対する「罰」だというのか。

そういう風に見るのであれば、この話は坊さん(仏教)からの
一種の脅迫の様にも受け取ることが出来る。
「菜(財)」をさし出せ、そうでないと
「罰(災い)」を与えるぞ、だ。
神社の祭りの最中に「これ(腹痛)」が起こるということは、
神道よりも仏教の方が、力が強いのだということを、
あからさまにしている。
普通、この手の教訓話を作るのであれば、
親切にする者と、不親切な者を用意しておいて、
親切な者には幸運が、不親切な者には
災いが起こるようにするのが常である。
この「菜食わずの祭り」の場合、
その「幸運」について全く描かれていないため、
「財」を出さないと「災い」を起こすぞという、
まるで脅迫のような話になってしまっている。

かなり穿った見方になってしまったが、
この仏教色の強い教訓話が、寺ではなく神社に残っている所が、
なんともおかしな話である。
かつての神仏習合の影響だろう。
明治時代になり、神道と仏教が分離した後も、
この仏教色の強い教訓話だけは、祭礼の起源話として
神社に残されたのだと考えられる。

なんとも奇妙な「菜(野菜)」を食べない祭りであるが、
もちろん、それが許されるのは10月10日の、祭り当日だけである。
「神戸神社」周辺地域は、決して「野菜嫌い」のパラダイスではない。

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