自転車で田舎道を走っていると、畑に「かかし」がたっていた。
随分と久しぶりに見る「かかし」であった。
白い布に詰め物をした顔。
かぶらされている、麦わら帽子。
左右に大きく開かれた手と、その先に引っかかっている軍手。
使い古された作業着を着込んでいる胴体。
「かかし」のお約束を全て守っている、本格派の「かかし」であった。
唯一、残念だったことは、白い布製の顔に、
目鼻が一切描かれていないことであった。
この「かかし」の制作者は、絵に自信がなかったのかもしれない。
そのためか、この「かかし」は、のっぺらぼうであった。
ひょっとしたら、知らない人もいるかもしれないので、
「かかし」について、簡単な説明をしておこう。
「かかし」というのは、水田や畑などに立てられる、
鳥や害獣除けの人形のことである。
鳥や害獣は、この「かかし」を人間だと錯覚し、
近寄ってこないという仕組みである。
各種薬品や、音を立てる機具、電流を流す柵などに比べると、
簡単に設置でき、かつ非常にエコロジーだが、効果は弱い。
下手をすれば、あっとういう間に人形であることが見破られ、
それ以降は全く効果がなくなってしまう。
そのため、現在ではほとんど使われなくなっている。
一部では「かかし祭り」を開き、地域おこしの一貫としている自治体もあるが、
この場合の「かかし」には、鳥・害獣除けの意味合いはなく、
ただの人形である場合も多い。
「かかし」は、いつごろから使われていたのか?
実は、はっきりしたことは分かっていない。
文献上であれば「古事記」や「日本書紀」に、記述があるのだが、
これが果たして、現在の「かかし」と同じものをさしているのかどうか、
はっきりしない。
ただ、上記の資料に「かかし」の言葉が載っていることから、
少なくともこれらが書かれた奈良時代には、使われていた可能性がある。
「かかし」の語源については、
「嗅がし(かがし)」が変化したものだとする説がある。
つまり、鳥などの害獣を捕らえ、その肉を焼いて吊るし、
その臭いを、鳥や害獣たちに嗅がせることで、
田畑を守ったというものだ。
この「嗅がし」が清音化し、「かかし」になったというのである。
これも一応の筋は通って聞こえるが、
嗅覚へのアプローチで、害獣を遠ざける「嗅がし」と、
視覚へのアプローチで、害獣を遠ざける「かかし」の間に、
どういう変遷があったのだろうか?
この「嗅がし」に近いものとして、カラスを捕まえて殺し、
畑に吊るしておくことで、カラス除けにする方法がある。
これはカラスの死骸を吊るすことで、視覚的にカラスを牽制している。
ただ、死んだカラスの臭いというのも、一定の忌避効果があった可能性もあり、
そういう意味では、「嗅がし」と「かかし」の変遷の
間を埋めるものではないかとも考えられる。
もとはカラスなどを焼いて吊るしていたものを、
焼かずに吊るすだけになった。
恐らくは、焼いて臭いを出すよりも、カラスの姿そのままの方が、
視覚的な効果が高かったのではないだろうか?
さらにそのまま吊るしておいても、カラスの死骸は自然に腐敗し、
嗅覚的な効果もないわけではない。
そのうち、カラスの死骸よりも効果的に害獣を遠ざけるものを見つけた。
それが他ならぬ「人間」そのものであった。
だが、さすがに「人間」の死体を用意するわけにはいかない。
代わりに人間の姿を模した人形を、立てるようになった。
すでに臭いの要素は無くなっていたが、
「嗅がし」からの流れで「かかし」と呼ばれるようになった。
……この辺りが、現実的な「嗅がし」→「かかし」の変遷ではないだろうか。
地域によっては、現在でも「かがし」と呼んでいる所もある。
他にも「そめ」、「おどし」と呼ばれることもある。
「そめ」は「占め」が変化したものといわれる。
「おどし」はそのまま「脅し」の意味だろう。
田畑に突っ立っている、適当な作りの人形であるが、
もとは作物を荒らす「悪霊」を追い払う、田の神の依代であったともいわれる。
一部の地方では、取り入れが終わると、「かかし」を祀る所もある。
「古事記」において、久延毘古(くえひこ)と書かれている神こそが、
「かかし」であるという。
彼は知恵者であり、歩く力を持っていなかったという。
この歩く力を持っていなかった、という点が、
田畑の中で動かずに立ち続けている、「かかし」を暗示しているようだ。
「案山子揚げ」と呼ばれる行事も、信仰に基づいたものだ。
農耕社会の行事で、「かかし引き」「そめの年取り」ともいう。
旧暦の10月10日に、「かかし」を田んぼから引き上げ、庭にたたせる。
これに餅などを供え、「かかし」の神が天に帰っていくのだとされる。
これも「かかし」が、田の神の依代である、という考え方によるものである。
近年、「かかし」はほとんど使われなくなっている。
現在では、イベントの「かかし祭り」で見かけるのみだ。
もはや、「かかし」は害獣除けというよりは、
田畑のマスコットになってしまっている。
整然と作物が植えられた田畑が広がる中、
ぽつんと「かかし」が立っているのは、なんとも牧歌的だ。
「かかし」のいい所は、設置も撤去も簡単な所だ。
確かに効果は薄いかもしれないが、これがひとつ、
農地に立っているのといないのでは、
そのイメージががらりと変わってくる。
わざわざ「祭り」という形をとらなくても、
田畑ひとつに、「かかし」ひとつずつでも立てておけば、
癒しを求める人が、田舎にやってきそうな気もする。
そういう形での「村おこし」も、ありえるのかもしれない。