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歴史

吉野山

投稿日:

「大台ケ原」に向かうべく、
車を走らせていたときのことである。

ちょうど国道169号線を南下して吉野川に突き当たり、
そのまま川に沿って、東方向へ向かっていると、
カーナビに表示されているマップの隅の方に、
「金峯山寺」の名前がチラリと現れた。
自分は、すぐにカーナビのマップの縮尺を変更し、
マップを縮小すると、車の走っている地点から吉野川を渡り、
南方向へ山を登っていったあたりに「金峯山寺」の表示があった。

「金峯山寺」。
「きんぷせんじ」と読む。
前回書いた「高松塚古墳」とは違い、
歴史教科書に、必ず載っているというものではない。
どういう寺か?宗派は?ということが気になるだろうが、
実はこの寺は、あの「修験道」の総本山である。

「修験道」というものについては、
かつて、このブログでも書いたことがある。
古代日本で発生した山岳信仰が、仏教に取り入れられた
混淆宗教の1つである。
本尊は蔵王権現であり、開祖は役小角。
この修験道の実践者は、修験者、または山伏と呼ばれる。
日本各地の霊山を修行の地とし、
深山幽谷に分け入り、厳しい修行を行なう。
忍者や忍術の元になったと、いわれることもある。
こういう風に書けば、叱られるかも知れないが、
何ともいえない「妖しい魅力」のある、宗教である。

当然、自分の心は強く魅かれた。
「高松塚古墳」のときにも書いたが、もし、
「大台ケ原山行」という目的がなければ、
すぐさまハンドルを切っている所である。
しかし、今回の最大の目的は「大台ケ原」である。

ここから先は、これまでに書いてきたことと同じになる。
四苦八苦しながら「大台ケ原」に辿り着き、
3時間半をかけて、「東大台」を満喫して駐車場に戻った。
この時点で、正午前である。
まだまだ帰路につくには、早すぎる時間だ。
我々はあちこち観光しながら、たつのに向かうこととなった。
で、いざ、どこを見るか?ということになって、
まず第1に挙げられたのが、前回書いた「高松塚古墳」である。
ここに来る前に、すぐ近くを通っていたこともあり、
帰り道の途中に寄れば、時間的ロスはほとんど無いといっていい。
また、歴史の教科書でも必ず取り上げられているため、
自分も友人も、その名前についてはよく知っている。
気軽によれるのであれば、是非、行っておきたいスポットである。

友人は、それとは別に「大阪城」を推した。
城・城跡巡りを趣味にしているため、この機会に、
まだ行ったことのない「大阪城」へ行ってみたいという。
自分が推したのが、この「金峯山寺」である。

「金峯山寺」は「高松塚古墳」と同じく、
帰り道から少しそれるだけで、簡単に行くことが出来る。
さらにいえば、「金峯山寺」の一帯は吉野山と呼ばれていて、
下千本、中千本、上千本、奥千本と、
それぞれに大量の桜が植えられており、
日本でも有数の桜の名所となっている。
友人は、「金峯山寺」が
修験道の総本山であることは知らなかったが、
吉野山が桜の名所であることは知っていた。
ただ、7月半ばのこの季節、桜の開花時期とは大きく離れている。
「桜」という、一大目玉が存在していない以上、
どうも友人の反応は、芳しくない。
が、結局は帰り道のすぐ傍、ということで、
とりあえず行ってみようということになった。

コンビニエンスストアの駐車場に車を停め、
カーナビに「金峯山寺」の位置情報を入れて、
音声ガイドをスタートさせる。
それに従って、道を選び、進んでいくのだが、
どういうワケか、エラく細い道へと案内される。
左右に家が迫っている細い道で、車1台が通れば、
人も歩けなくなりそうな道である。
もちろん、対向車が来ようものなら、
どちらかがバックするなり、
行き違いの出来る場所で横に避けるなり、しなければならない。
細い道を進むこと5~10分、ようやく、幅のある道に出たが、
それと同時にクネクネと曲がりくねった山道になった。
曲がりくねり、傾斜はきついものの、
幅があるだけに随分と走りやすい。
カーナビの地図を見る限りでは、
この山道の先に「金峯山寺」があるようである。

しばらく山道を登っていくと、かなり広い駐車場があった。
普通自動車はもちろん、大型バスが何台でも停められそうな、
巨大な駐車場である。
そこに一旦車を停めて、ナビの地図を確認してみると、
この先、数百mほどで「金峯山寺」である。
そちらに目をやってみると、居並ぶ古い民家の屋根の上に
ひときわ巨大な屋根が飛び出している。
これが「金峯山寺」の本堂、蔵王堂である。
大きいのも当然で、高さ34m、
横幅、奥行きともに36mもある。
これは、古代の木造建造物の中では、
東大寺に次いで巨大なものである。
本来であれば、この駐車場に車を停め、
後は歩きで「金峯山寺」を目指す所なのだが、
「大台ケ原」の回で書いた通り、友人は10㎞もの山歩きで
すっかり膝を痛めてしまっており、
駐車場から「金峯山寺」までの歩きを渋った。
ひょっとしたら「金峯山寺」の傍に
駐車場があるのではないか?という希望的観測のもと、
我々は車に乗ったまま「金峯山寺」を目指した。

だが、これが失敗であった。
「金峯山寺」付近の道路は総じて狭く、
対向車でもやってこようものなら、
二進も三進もいかないようになる。
友人はかなり慎重なハンドルさばきで、
「金峯山寺」に近づいていく。
だが、寺のすぐ傍まで近寄ったというのに、
駐車場らしきものは、全く見当たらない。
そのまま、寺の横を嘗めるようにして通り過ぎ、
さらに細い道を進んでいったが、やはり駐車場は見当たらない。
仕様がなしに、わずかなスペースを見つけて車をUターンさせ、
今来た道を戻ることにした。
「金峯山寺」は、修験道の総本山ということなので、
ひょっとしたら寺の付近を、山伏たちが歩いていたりするのかと
思っていたのだが、歩いているのは観光客ばかりで、
山伏の「や」の字もない。
途中、自分たちと同じように(?)、
「金峯山寺」近くの駐車場を求めてやってくる車と、
ぶつかりそうになりながらも、ギリギリですれ違い、
どうにかこうにか、最初の広い駐車場まで戻って来た。
どうやら「金峯山寺」に行くためには、
この駐車場に車を停め、後はひたすら歩いていくしかないようだ。
だが、それは友人が拒否した。
この駐車場から「金峯山寺」までは、結構な距離がある。
痛む膝を抱えたままでは、
とても往復はできないと判断したのだろう。
そういうことであれば、自分だけ車を降りて、
寺に行くというのも気が引ける。
それに、車の中からだったとはいえ、一応寺の前まで行き、
有名な「蔵王堂」を目にしたのである。
それを持って、「金峯山寺」観光を果たした、ということにした。
車の中から、はるか先の蔵王堂の屋根に向かって、柏手を打ち、
かなりいい加減な参拝を行なって、
「金峯山寺」観光は終了したのである。

そんなワケで、我々は駐車場を出て、
吉野山を下ることにしたのだが、
道沿いに生えている木を良く見てみれば、
どうやら山桜のようである。
改めて、辺りを見回してみると、かなりの数の山桜が生えている。
ああ、これが「下千本」の吉野の桜か、と得心した。
ここから「金峯山寺」まで、家屋の他にずいぶんと木が生えていたが、
そのほとんどが山桜なのだろう。
つまり我々は、あの名高い吉野の千本桜を、
眼下に収めたということになる。
……。
もちろん、完全な葉桜で、山は完全に「緑」だったワケだが。

「金峯山寺」付近の町並みは、
古来よりの伝統を受け継いでいる、趣のあるものであった。
山桜が満開の折には、さぞや素晴らしい景色となるだろう。

願わくばいつか、吉野の山が桜色に染まっている時期に、
再びこの地を踏んでみたいものである。

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