牛肉料理には華がある。
ビーフステーキ。
すき焼き。
しゃぶしゃぶ。
ローストビーフ。
どれを挙げてみても、御馳走といってさしつかえない。
牛丼というような、大衆的な料理でさえ、それ専門の店があるほどである。
しかるに豚肉はどうか?
ポークソテー。
チャーシュー。
ブタの生姜焼き。
ブタの角煮。
どれをとってみても、2線級であり、それぞれのメニュー専門の店も無い。
そんな豚肉料理の中にあって、唯一といっていいスターが「とんかつ」である。
「とんかつ」には、専門店がある。
そういう意味でも、牛肉料理と互角にやり合っているといえる。
また、「とんかつ」は他の料理に使われても、主役を張れる。
「かつカレー」にしろ、「カツ丼」にしろ、「とんかつ」は主役である。
「ビーフカレー」と「かつカレー」では、「かつカレー」が上だし、
「牛丼」と「カツ丼」では、「カツ丼」に負ける要素が無い。
豚肉料理界に燦然と輝く、絶対的スター、それが「とんかつ」である。
しかし、そんな大スターの出自が怪しい。
そもそも「とんかつ」は和食なのか、洋食なのか?
巷にあふれているとんかつ屋は、和風の店が多い。
とんかつ定食は、ご飯とみそ汁を従えて供され、パンとスープであることはない。
洋食屋のようにナイフとフォークで、とんかつを切って食べることもなく、
とんかつはお箸で食べやすいように、切り分けて供される。
これだけを見ていれば、明らかに「とんかつ」は和食である。
しかしそんなとんかつには、ソースがかけられている。
これは明らかに洋食の調味料である。
刻んだキャベツがしいてある所も、和食的雰囲気にはそぐわない。
パン粉を使った衣をまとっている所も、「洋」の雰囲気を醸し出す。
さて、「とんかつ」は一体どのような身の上なのか?
「とんかつ」の歴史を遡っていくと、フランス料理である「コートレット」に
行き当たる。
「コートレット」とは、子牛、羊、ブタなどの骨付きの背肉(ロース)のことだ。
日本ではこれを「カツレツ」と言い換えた。
この「カツレツ」は、豚肉に小麦粉をまぶし、
フライパンで溶かしたバターによって、じっくりと煮上げた料理だ。
少なくとも、「揚げ物」という雰囲気ではない。
煮上げる、という表現を使っているが、実際には焼いているという方が、
正鵠を射ていると思う。
しかし小麦粉をまぶし、溶かしたバターで焼くということになると、
これはもう「とんかつ」というよりは、「ポークソテー」か「ムニエル」である。
もっとも「ムニエル」というのは、魚料理に使われる言葉で、
ここで使うのは正しくないのだが、料理法はまさにそれである。
これが天ぷらなどのように、たっぷりの油で揚げられるようになったのは、
明治32年(1899年)、銀座の煉瓦亭でのことだ。
煉瓦亭の創業者・木田元次郎は、小麦粉・卵・パン粉の衣をつけ、
たっぷりの油で揚げる「ポークカツレツ」を作り出した。
従来の「カツレツ」では、油で炒め煮にしていたので、手間がかかる割りに
脂っこく、客の評判は良くなかった。
これを一新し、さらに付け合わせに刻んだキャベツを添えることも始めた。
現在の「とんかつ」の基本が、この時に出来上がった。
ただこの時点では「ポークカツレツ」よりも、
「ビーフカツレツ」や「チキンカツレツ」の人気の方が高かったようだ。
昭和4年、「とんかつ」は最後の進化を遂げる。
東京・上野の「ポンチ軒」において、
厚い肉にじっくりと時間をかけて熱を通す方法が編み出される。
さらにそれまでの「ポークカツレツ」は、ナイフとフォークで食べていたが、
「ポンチ軒」ではすでに切り分けられている「とんかつ」が供された。
ソースもそれまでのウスターソースから、とんかつソースになった。
ここに現在の「とんかつ」が完成した。
現在、「とんかつ」は我々の周りに溢れている。
スーパーの総菜コーナーには「とんかつ」は欠かせないし、
弁当屋では「とんかつ弁当」や「かつ丼」が大人気だ。
パン屋には「カツサンド」が並び、カレー屋には「かつカレー」がある。
これだけ広く受け入れられているのは、
「とんかつ」自体がどんな味付けにも馴染むからだろう。
とんかつソースに馴染み、ウスターソースにも馴染む。
カレーにまみれても、味噌にまみれても、和風ダシにまみれても大丈夫だ。
中には「とんかつパフェ」なんてものを、販売している店もある。
もちろん、これは特殊な例だが。
日本人は、どんな味付けにも馴染む食材を、好む傾向がある。
コメしかり、餅しかり、豆腐しかり、である。
「とんかつ」はそんな日本人の嗜好に、ぴったりとあっていたのかもしれない。