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朝顔

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自分は子供のころ、絵を描いたりするのが好きな子供で、
小学校のころに行なわれた写生大会や、絵画コンクールなどでは
結構「賞」をもらっていた。
これは何も自分だけではなく、
うちの兄弟3人ともが同じような感じだったので、
ひょっとしたら兄弟共通の才能かも知れない。

今年の7月のはじめ、
婆さんの葬式に、親戚一同が集まったときのことである。
妹は婆さんの葬式の席にまで、
甥っ子の宿題などを持ってきていたのだが、
その中に、理科の「観察記録」があった。
授業の一環として、何らかの植物を育てさせ、
その成長していく様子を、絵で記録させるというものだ。
日付を記入する欄、絵を描くスペース、
さらにコメントを残す欄があり、
これに栽培している植物の成長を描き込んでいくことになる。
妹が、甥っ子の観察記録を見せてくれた。
日付やコメントについては置いておこう。
問題は「絵」だ。
絵を描くスペースには、黒い鉛筆で縦1本の線が描かれており、
さらにその黒い縦線にかぶせるようにして、
緑色の色鉛筆で、波線が描かれていた。
この2本の線以外、絵を描くスペースには何も描かれておらず、
この2本の線のみが、観察記録の全てであった。
絵を描く際に、特徴的な部分を強調したり、
余計な部分を省き、簡略化して描くことがある。
これを「デフォルメ」という。
甥っ子の描いた観察記録は、
絵の部分を極限まで「デフォルメ」してあるといっていい。
本来あるべき、植木鉢(地面?)もなく、
葉も、芽も、つぼみもない。
あるのは支柱と、植物のツルのみである。
芸術作品として考えれば、
そういう表現も「アリ」かもしれないが、
植物の観察記録としてみた場合、
誠に残念ながら「ナシ」とするしかない。

最近の子供は、こんな風に観察記録を描くんだなー、と
驚いていると、なんのことはない、
こんな描き方をしているのは、クラスの中で甥っ子だけらしい。
他の子たちはキチンと葉や、つぼみなどを
細かく描き込んでいるという。
そうなってくると、アレなのか?
甥っ子には、それほどまでに「絵」の才能が無い、
ということなのだろうか?
よくよく思い返してみれば、甥っ子が生まれてから現在まで、
彼が「お絵描き」をして遊んでいる姿を一度も見たことがない。
母親がチラシの裏に、マンガのキャラクターを描いてやれば
キャッキャと喜んではいたものの、
自ら筆を執ることは、一度も無かった。
彼が筆を執るのは、文字を書くときだけであった。
自分も「音楽」に関していえば、全く才能がない。
楽譜も読めないし、作曲も出来ない。
才能が無いとはこういうことだ、というのを
身をもって体現しているといっていい。
そういうことがある、というのを知っている自分としては、
気軽に「練習してみれば?」なんて台詞も、
「やればできるよ」なんていう無責任な台詞も、
口にすることが出来ない。
「なるべく、その方面には関わらないようにして、
 生きていきなさいね」
と、いわざるをえない。

それはともかくとして、問題は甥っ子の描いた「絵」だ。
黒い縦線に、緑色の波線が重なっているアレである。
ここまで簡略化されていても、
それを「植物の観察記録」だ、と言われれば、
ああ、何かのツル植物なのだな、という推測が出来る。
さらに甥っ子が小学1年生であるということを知っていれば、
ああ、きっとこれは「朝顔」なんだな、と推測することが出来る。

朝顔は、ナス目ヒルガオ科サツマイモ属に属する
1年生草本である。
……。
え?ナスで、ヒルガオで、サツマイモ?
きっとワケがわからなくなっている人もいるだろう。
そう、朝顔はサツマイモの仲間なのである。
もちろん、イモは獲れない。
サツマイモの生えている所を
見たことのある人ならばわかるだろうが、
サツマイモはジャガイモのように
茎が直立して、立っているわけではなく、
ツルが地面の上を這うようにして広がっている。
日本のような温帯気候では
サツマイモの花が咲くことは極めて稀なのだが、
その稀に咲く花は、朝顔に非常に似ているのである。
日本では、園芸品種が非常に多彩で、
過去に何度も「朝顔ブーム」が起こっている。
多種多彩な園芸種は、その産物である。

朝顔は、奈良時代末期から平安時代初期にかけて、
遣唐使たちによって「薬」として持ち込まれた。
その種子が「薬」とされ、非常に高価であり、
朝顔のタネと牛1頭が取引されたことから、
「牽牛子(けんごし)」と呼ばれた。
実は、これ以前の書物、「万葉集」などには
「朝顔」の名前が書かれているのだが、
これは現在でいう所の「桔梗」のことであった。
しかし、やがてその「朝顔」という名前を
「牽牛子」に取って代わられてしまう。
いつごろから、「牽牛子」が
「朝顔」と呼ばれるようになったのかは明らかではないが、
遅くとも江戸時代には、「牽牛子」から「朝顔」へと
切り替わっていたようである。
先にも書いたように、江戸時代になると
大規模な「朝顔ブーム」が起こり、
庶民たちも一斉に朝顔を育てるようになる。
変わった色や形をしたものは、
「変化朝顔」として高額で取引された。
武士たちの中には、副職として朝顔の栽培を行なうものも
多くいたという。
「朝顔」が商品として成り立つほどには、
愛好者が多かったのだろう。
多彩な園芸品種のほとんどは、
この江戸時代の「朝顔ブーム」の中で、作り出されている。

その後、明治時代になっても朝顔人気は続き、
各地に朝顔愛好会が結成され、その技術は洗練されていく。
戦後は「大輪朝顔」が主流を占めるようになり、
維持の難しい「変化朝顔」は衰退していたが、
現在に至って、復活の兆しが現れ始めている。

さて、高価な薬としても取り扱われていた「朝顔」のタネだが、
主な効果は下剤、利尿剤としてのものである。
つまり身体の中のものを、下方向へと排出させるわけだ。
煎じてみても効果はなく、粉末にして服用しなければならない。
効果が高い反面、毒性が強く、
腹痛や嘔吐、血圧低下を招いたりすることもある。
ヒマワリの種などが食用になることから、
同じように朝顔も……、なんてことを考えていたら、
それこそひどい目に遭うだろう。

子供と一緒に栽培する際には、
間違って子供が種を口にしないよう、十分に注意したい。

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