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核の話〜兵器編

更新日:

8月の6日と9日、広島と長崎では原爆によって亡くなった
人たちを追悼する式典が行われた。

この「核」の問題というのは、なかなかにデリケートだ。
アメリカなどが、「核」の使用が戦争終結を早めたと発言すれば、
日本の多くの人たちは反発を示すし、
「核」を非人道的な兵器、これを使用するのは
人類への犯罪だ、なんていう言い方をすれば、
逆にアメリカ人たちが反発を示す。

ただ、個人的な意見を言わせてもらえるのであれば、
「核」で人を殺すのも、「焼夷弾」で人を殺すのも、
「火炎放射器」で人を殺すのも、「毒ガス」で人を殺すのも、
「地雷」で人を殺すのも、「銃弾」で人を殺すのも、
どれも等しく、非人道的な行為である。
「銃弾」ならば良くて、「核」ならば悪いなんてことはないし、
「焼夷弾」なら良くて、「地雷」はダメということもない。
戦争そのものが、非人道的な行為なのである。

戦争というのは、国と国の戦いだ。
普通の戦争は異国との戦いであるし、
内戦というのは、自らの中に生まれた新しい国との戦いだ。
「国」というものの本質は「人」である。
土地や建物ではなく、「人」の集まりこそが
「国」を成す根幹である。
「人」が「国」の本質である以上、
相手の「国」を攻撃するということは、
相手の「人」を攻撃する、ということになる。
いかに効率的に、相手の「国」の「人」を殺し、
いかに効率的に、自分の「国」の「人」を守るか?
これを、相手より上手く成し遂げられたものが、
戦争の勝者となる。
そういう意味では、強烈な破壊力を持っている「核」兵器は、
戦争に使う兵器としては、
かなり効率の良いものということになる。

「核」が「戦争の終結を早めた」というが、
確かに結果論として見れば、
そういう風に捉えることも出来る。
しかし、実際のところ、アメリカが「核」を使ったのは、
本当に戦争の終結を狙ってのことだろうか?
広島と長崎に、原子爆弾を落として
日本という「国」に大ダメージを与えたが、
正直、これはごく普通の
戦争行為の一環だったのではないだろうか?
当時の日本は海軍力を失い、
これ以上戦うのであれば、アメリカ軍を本土に上陸させ、
これと直接ぶつかるしか、なかったはずである。
当然、アメリカ側にしても、それは充分に予測している。
アメリカ側にしてみれば、敵の本拠地で戦うことになるのだ。
戦力的には圧倒的に有利であっただろうが、
「地の利」という点では、全くの不利である。
そういう場所へ上陸しなければならないのだから、
上陸前に、出来るだけ相手の力を削いでおきたいところだろう。
そうなると、当然、上陸前に日本を徹底的に爆撃しておき、
その残存兵力にダメージを与えておくことが必要になる。
日本の全土を爆撃する、ということになると、
それまでの「焼夷弾」を雨のように降らせるというやり方では
効率が悪い。
多くの爆撃機を繰り出し、雨霰のごとく爆弾を降らせても、
破壊出来る面積というのは限られているのである。
いくら日本の国土が狭いといっても、
このやり方で日本全土を爆撃するとなれば、
それこそ、どれだけの時間と費用がかかるかわからない。
だとすれば、効率的に日本全土を爆撃するためには、
より効率的に爆撃効果を上げることの出来る新兵器が
必要ということになる。
それが「核」兵器であった。
広島、長崎と2発の「核」兵器を投下したところで
日本がギブアップしたため、
それ以上の「核」攻撃が行なわれることはなかったが、
もし、このギブアップがなければ、
日本全土が抵抗する力のなくなるまで、
「核」攻撃は続けられていたはずである。
そして、抵抗する力が無くなったところで、
陸軍を上陸させ、難なく本土を占領するというのが、
アメリカ軍の描いていたシナリオだったはずだ。
あくまでも、原爆が戦争終結を早めたというのは結果論であり、
後から、それをうまく
「核」攻撃使用の理由づけに用いただけである。

一般的に「核兵器」といえば、
原子爆弾、水素爆弾、中性子爆弾のことを指している。
原子爆弾は「核分裂」、
水素爆弾と中性子爆弾は「核融合」という核反応を用いた
兵器である。
このどちらの兵器についても、核反応により
強烈な光、熱、放射線を放出し、人間を殺傷する。
「核融合」は「核分裂」に比べると、
放射線の放出は少ないのだが、
「核融合」反応を起こさせるためには、
非常な高熱が必要になるため、
その高熱を得るために、
「核分裂」を使った原子爆弾を用いている。
つまり水素爆弾の場合、
まず、原子爆弾が爆発し、その高熱によってさらに破壊力のある
「核融合」反応を引き起こす、ということになるので、
「核融合」自体は放射線を出さなくても、
そこに到るまでの過程で、放射線が発生することになる。
さらに「核融合」が行なわれる際、
物質透過力が強く、人体に有害な中性子を発生させる。
(「核分裂」の際も中性子は発生するのだが、
 「核融合」の場合の方が、大量に発生する)
中性子爆弾は、この中性子で人間を殺傷する兵器だ。
この「核融合」反応を引き起こすために、
原子爆弾を利用しない水素爆弾は、
放出される放射性物質が格段に減るため、
「きれいな水爆」「純粋水爆」などと呼ばれる。
たしかに放射線による死傷者の数は減るかも知れないが、
水素爆弾自体が原子爆弾の
100倍以上の破壊力を持っているため、
トータルでの死傷者の数が格段に増えるのは確実である。
この「きれいな水爆」、
理屈の上では作り上げることが出来るのだが、
実際にはどこの国も開発には成功していない。
放射線が少ないから気軽に使えるか?といえば、
決してそんなこともなく、
実際に作り上げても、まず使用することは出来ないので、
現在では研究から手を引く国も多い。
原子爆弾、水素爆弾に関しては、
敵国に対しての威嚇・抑止力として保持していることが多いので、
むしろ「そういう」意味では、
汚い「核兵器」の方が本来の目的に合致しているのかも知れない。

ただ、この原子爆弾の広島・長崎への投下について、
大方の日本人は非難めいた声を上げるが、
正直、これに関してはちょっと疑問を感じないわけでもない。
何故なら、仮に太平洋戦争時、
日本が「核兵器」を先に作り上げていたとしたら、
恐らくはアメリカ以上に積極的に使用していたはずだからだ。
「核兵器」は、国力の差、生産力の差を
埋めることが出来るほどの威力を秘めている。
仮に、太平洋戦争開戦時に日本が「核」を保持していれば、
真珠湾攻撃は「核」によって行なわれていただろう。
さらにそのまま、アメリカ西海岸にまで足を伸ばし、
徹底的な核攻撃を加えたはずである。
軍部の情報統制下において、「核」は美化・神格化され、
現在のアメリカとは比べ物にならないほど、
「核兵器」は正当化されていたに違いない。
そうなれば、アメリカのみならず連合国軍側は
これに対抗するため、やはり「核」をもってこれにあたり、
第2次世界大戦は「核」戦争になっていたかも知れない。
「核」戦争は、それこそ最終戦争である。
そんなことになっていれば、
人類が現在まで存続していたかどうかも怪しい。

「核」を日本ではなく、アメリカ側が先に手に入れていたのは、
歴史の中の「偶然」と言ってもいい。
たまたま、アメリカがもっとも早く、
実用化に成功したというだけだ。
最初に「核」を実用化した国が、
「核」に対する批判を行なう「自由」のある国であったことは、
人類にとっては、最大の幸運であった。

今回は、核の話〜兵器編として
「核兵器」にポイントを置いて、書いてみた。
次回は核の話〜実用編として、
「核」の原理について、なるべくわかりやすく書いていく。

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