先日、自転車で農道を走っていたら、
青々とした水田の上に、驚くほど多くの赤とんぼが飛んでいた。
子供のころは、自宅の近くでも、相当な数の赤とんぼがいたのだが、
近年、乱開発の影響か、とんとその姿を見なくなっていた。
だから随分と久しぶりの、赤とんぼとの邂逅であった。
自分の住んでいる兵庫県たつの市は、赤とんぼの里として知られている。
別に赤とんぼの大繁殖地、というわけではない。
童謡「赤とんぼ」を作詞した三木露風が、龍野市の出身であったことから、
ずっと以前から赤とんぼをウリにしていたのだ。
近年では「童謡の里」という触れ込みで、龍野をアピールしてきたが、
それも、もとはこの童謡「赤とんぼ」あってのものである。
このように龍野にとって、重要な意味を持つ赤とんぼだが、
近年、その数が減ってきているというニュースがあった。
そのため、小学生などがわざわざ赤とんぼの幼虫を放流し、
その数を増やそうとしている、ということだった。
どうやら、水田にまいている農薬のせいで、1990年代の後半くらいから、
赤とんぼの数が激減しているらしいのだ。
自分が子供だった、1980年代ごろも、わりと容赦なく、
農薬をまき散らしていたような気もするのだが、
そのころでも、赤とんぼは充分な数が、棲息していたように記憶している。
とくに夏の農薬散布はひどいもので、地域の水田が一気に農薬を散布するので、
辺り一帯に白い農薬の霧が立ちこめるほどであった。
そんな中で、遊んでいたのだから、我ながら恐ろしいことをしていたと思う。
子供心にも、その農薬は身体に悪そうだなーと、思わざるを得ないほど、
イヤな臭いがしていた。
近年は、そういうこともあまりなくなってきていたのだが、
実際に赤とんぼの数が減少していた所を見ると、
農薬は減ったのでも、無毒になったのでもなく、
人が気がつかないようになっていただけなのだなと、思い知らされた。
存外、人がヤバいと感じるものよりも、
人が何も感じないものの方が、ヤバいのかもしれない。
ところが今年はちょっと妙であった。
田植えの時期、水を張った水田に鴨が何羽も泳いでいた。
ちょっと珍しい光景だった。
さらに白鷺や青鷺も、水田の至る所で見ることができた。
田植えの終わった水田の中には、カブトエビやオタマジャクシが泳ぎ、
中にはザリガニのいる水田もあった。
どうも子供のころに見ていた水田に、近いような気がするのだ。
そう思っていた所に、大量の赤とんぼだ。
ひょっとしたら、自分の知らない所で、
自然が戻ってきているということだろうか?
話を、赤とんぼに戻そう。
ひとくちに「赤とんぼ」といっているが、これは正式にはアキアカネという。
トンボ科アカネ属に類する、トンボの一種である。
体色が赤くなるトンボは他にもいるのだが、一般的に赤とんぼといえば、
このアキアカネを指す。
ロシア、中国、朝鮮半島、日本に棲息している。
世界中でも、極東地域限定のトンボだ。
水田、池、沼、湿地など、底が泥で、水質の良くない所に棲息する。
初夏に平地で孵化した後、夏の暑い季節には高原などの、涼しい高地に移動する。
この時には、標高3000mほどの高地に移動することもある。
トンボの仲間はどれも、この時期、水辺を離れて生活するが、
このアキアカネほど、長距離を移動するものはいない。
アキアカネは、気温が30度を上回ると、生存していくことができないので、
避暑的に、涼しい場所に移動しているのだ。
だから秋になり、涼しくなってくると、再び平地に戻ってくる。
このころには、赤とんぼの名前通り、身体が赤く変色している。
三木露風が、童謡「赤とんぼ」の中で歌ったのは、
この時期のアキアカネのことである。
ここから11月くらいにかけ、水中に産卵し、アキアカネはその一生を終える。
龍野市では昔から、夕方になると童謡「赤とんぼ」の音楽を放送していた。
龍野市民にしてみれば、お寺の鐘のようなものだ。
この「赤とんぼ」は夕方だけではなく、朝7時と夜10時にも流れている。
つまり龍野市に生まれた人間は、幼少のころより「赤とんぼ」の曲を、
刷り込まれるようにして、育ってきたわけだ。
……これは一種の洗脳ではあるまいか?
ともあれ、今年はたつの市に赤とんぼの姿が戻ってきている。
このまま無事に成長し、秋にその赤い姿を見せてほしいものだ。