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雑感、考察

播州弁

更新日:

まず、何も言わずに次の台詞を聞いてもらおう。

「おぅ、なにやっとんど?はよこっちこんかいや!」

いかがだろうか?
かなり汚い言葉に聞こえるのではないだろうか?
自分の住んでいる西播地方では、
このような言葉を使って、日常会話をしているわけである。
大体、意味は通じると思うが、これを標準語に直すと

「おい、なにをやっているんだ?早くこっちに来い!」

というような意味になる。
人を呼ぶ時の台詞である。
ここで1つ、質問である。
最初の

「おぅ、なにやっとんど?はよこっちこんかいや!」

という台詞、どんな「声」で頭の中に浮かんできただろうか?
断言しても良いが、十中、十まで、
やくざ者に近いオッサンの声で再生されたと思う。
やくざの兄貴分が、トロトロしている弟分を呼びつける。
そんな姿が、頭の中に浮かんだのではないか?
仮にそういうイメージが沸かなかったにしても、
畑で作業しているオッサンが、
仲間のオッサンを呼ぶようなイメージだろう。
だが、違うのである。
これは実際に自分が耳にした台詞である。
高校時代、学校の廊下から聞こえてきたその声は、
女子高生が友達を呼ぶときに、使っていた言葉なのである。

インターネットで、「播州弁」というキーワードで
検索をかけると、「播州弁」を解説したホームページが、
いくつも表示される。
そこには、様々な「播州弁」が列記されているわけだが、
播州人である自分が見ても、聞いたことのない言葉が多い。
実際に耳にしたことのある「播州弁」は、
全体の6割ほどで、自分が使っているものは
さらにその半分ほどもない。
つまり、「播州弁」を使う地域のなかにあっても、
それぞれの地域によって内容が変化しているのである。
これは「播州弁」を使っている範囲が、結構広いためだろう。
東は神戸の西辺りから、西は岡山との県境まで、
南は瀬戸内海沿岸から、北は宍粟市くらいまでが
「播州弁」を使っている地域ということになる。
旧国名で「播磨」と呼ばれていた地域のほぼ全域である。

「関西弁」の、1つのバリエーションとも
捉えることが出来るのだが、
いわゆる「大阪弁」の影響だけではなく、
「京都弁」や「岡山弁」などからの影響も受けている。
播磨地方自体が、近畿地方と中国地方の境に位置しているので、
自然と中国地方の方言の影響を受けているのだ。
大体、姫路市辺りを境目にして、
「西播方言」と「東播方言」の2つに分類される。
この分類方法に従うのならば、自分の住んでいる
たつの市近辺で使われているのは「西播方言」ということになる。

「播州弁」の大きな特徴の1つとして、
非常に汚い言葉である、というのがある。
これは、実際に当地に住んでいる
自分自身が感じていることなので、
同じように感じている播州人も多いのではないだろうか?
最近の事情はよくわからないが、
自分が高校生をやっていた二十数年前には、
冒頭で書いたような言葉を、
普通の女子高生が使うような状況だったのだ。
当然、男子高校生の場合は、
もっと汚い言葉を使っていたと思ってもらっていい。
(もちろん、この辺りには少なからぬ個人差がある。
 両親の言葉遣い、教育、躾等によって、
 言葉遣いにはかなりの開きがあったことも、事実である)
他所の地方で育った女性が、
当地方の電話番号案内のオペレーターになると、
そのあまりに汚い言葉遣いに、いつも泣かされていたとか、
播州人同士の口喧嘩は、
他所の地方の人が見れば「やくざ、」の喧嘩に聞こえるとか、
そういう「逸話」には事欠かない「播州弁」だが、
神戸新聞などでは「温かみのある言葉」として紹介されている。
当地に住んで、「播州弁」を使っている身からしても、
「温かみ」なんてことをいわれると違和感を感じてしまう。
他所の地方の人間からしたら、
よりいっそうの違和感があるだろう。
恐らくは、播磨地方に多くの読者を持つ神戸新聞が、
「播州弁」の汚さを、必死でフォローしようとしたものだろう。
しかし、そんなフォローが気休めにならないほど、
「播州弁」が汚い言葉であることは、
当の播州人が一番良く理解している。

しかし近年では、TVやラジオの影響などもあり、
若い人を中心にして「播州弁」は、
昔ほど頻繁には使われていない。
「播州弁」は次第に使われなくなってきているようである。
こういう「方言」が、時代の流れによって
消えるということになると、
「地方の言語文化を守れ、方言を無くすな」なんていうことを
声高に叫ぶ人間が現れるものだ。
自分も基本的には、その考え方に賛成である。
古くから伝わる言語文化「方言」は、
なるべく残しておきたいという気持ちも分かる。
しかし、改めて子供たちに、
あの汚い言葉遣いを教えるということになると、
それに強い抵抗を感じることも、また確かである。
あんな汚い言葉遣いを、子供にさせていいのだろうか?
「播州弁」には、当の播州人にさえ、
そう思わせるほどの汚さがある。
特に女の子にこんな言葉を教えてしまったら、
先々、本当に嫁に行けるのだろうかと、不安になるだろう。
「播州弁」がだんだん使われなくなってきているというのは、
自分と同じように考えている人が、
少なからず「いる」ということの証明ではないだろうか?

文化の伝承か、きれいな言葉遣いか。
「播州弁」は、嫌な2択をせまっているのである。

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