少し前に、昔話の定番の「型」のひとつとして、
「身代わり名号」について書いた。
今回もあれと同じ、昔話の定番の「型」のひとつである
「椀貸し」について書いていく。
自分が小学生のころに読んだ
「兵庫の伝説」という本の中に、
「椀貸し淵(わんかしぶち)」という話が載っていた。
神崎郡神河町に伝わる伝説である。
そのときは、数ある昔話のひとつとして、
それほど気に留めることもなく読み流していた。
それから数十年後、
愛知県瀬戸市の図書館に行く機会があった。
地元・兵庫県たつの市の図書館とは、
何もかもが違っていて、
かなり新鮮な体験だったのだが、
特に面白かったのが、
郷土史の史料がおいてあるコーナーだ。
このコーナーにおいてあるものこそ、
世界中の図書館の中でも「そこ」にしかない、
極めて貴重な資料だからだ。
そこで最初に手に取ったのが、
地元の伝説や昔話を集めた本だった。
中には中部・東海地方の伝説や昔話が載っていたのだが、
その中に、かつて読んだ記憶のある話があった。
そう、「椀貸し淵」の話である。
ここまでなら、それほど驚かなかったかもしれない。
だが、そのままその本を読み進めていくと、
また別の「椀貸し」話が載っていたのである。
さらに読み進めていくと、
また別の「椀貸し」話が載っている。
そのまま読み進めていくと、その1冊の中に
かなりの数の「椀貸し」話が載っていたのである。
これは一体どういうことだろうか?
確かに本の中に収められているのは、
他愛のない昔話ばかりだが、ほとんど同じ「型」の話が、
同じ地方(中部・東海地方)にこれだけあるというのは、
さすがに違和感を感じざるを得ない。
最初に兵庫県と同じ「椀貸し」話を見つけたときは、
遠く離れた場所に、同じ「型」の話があったことに
純粋な驚きを感じたが、
その後、同じ話がポロポロと出てきたときには、
正直、ワケがわからなくなった。
一体どうしてここには、
こんなにたくさん「椀貸し」の話があるのだろう。
ここで、基本となる「椀貸し」話として、
兵庫県の「椀貸し淵」のあらすじを書いてみよう。
昔、神崎郡に越知谷(おちだに)というところがあった。
田畑になるような土地が少なく、貧しい土地であった。
そんな状態だったので、たまに法事や婚礼があり、
十数人の人が集まるようなことがあっても
それだけの数の、膳や椀が揃わなかった。
しかし、越知谷には「わんかし」と呼ばれる淵があり、
人の集まりなどで、膳や椀が足りなくなった場合、
その「わんかし」の畔にある「祠」にお願いすると、
必要な分だけの膳や椀を貸してくれたのだ。
しかしあるとき、椀を借りた者が、
それを落として壊してしまった。
壊した者は、
「20人分でも30人分でも、貸してくれるのだから、
ひとつくらい壊しても、どうということもないだろう。
壊れたものは捨ててしまえ」
と壊れた椀を捨て、残ったものを返しにいった。
だが、この一件以降、誰がどんな風に頼んでも
椀も膳も貸してもらえることはなかった。
それどころか、それまで「淵」で溺れて
死ぬ人はいなかったのに、
溺れて亡くなる人が出るようになった。
村人たちは「わんかし」の怒りのせいだと考え、
「淵」の上に地蔵をまつり、溺れ死んだものの供養をした。
以上が、兵庫県に伝わっている「椀貸し淵」の伝説である。
瀬戸市の図書館で見つけた「椀貸し」話も、
この話に準じたものになっている。
つまり、それまで椀や膳を貸してくれていた「モノ」が、
村人の不心得な行為により、貸してくれなくなった、
というストーリーである。
最後に「淵」で溺れ死ぬ人が出ているが、
「椀貸し」話の中には、この部分がなく、
椀と膳を貸してくれなくなるだけのものもある。
逆にもっと強烈に、不心得者がピンポイントで殺害され、
「淵」に浮かぶといった、恐ろしい話もある。
話のポイントはいくつかあるが、
全ての話に共通しているのは、
「椀や膳を貸してくれること」と
「不心得な真似をしたら、二度と貸してくれなくなった」
というところである。
調べてみると、この「椀貸し」話は全国に存在しており、
貸してくれる相手は
兵庫県の越知谷のような「淵」以外にも、
「池」「川」「沼」など水に関係のある場所や、
「塚」「洞窟」「岩」「地蔵」など、多岐に渡っている。
だが、「塚」「地蔵」を除けば、全てが自然物であり、
水に関係している場所が多いのも特徴だ。
これは一体何を意味しているのだろうか?
一説によれば、この「椀」を貸してくれる
相手というのは、山の中に住む「木地師」たちだという。
「木地師」は山中を移動しながら暮らし、
ろくろなどを使って椀などを作り、
これを売って生計を立てている人々だ。
水辺というのは、山中に暮らす彼らと、
里に暮らす人々の接点なのかもしれない。
だとすれば、商品として販売する「椀」とは別に、
頼まれた場合に貸し出す「椀」を持っていたとしても、
不思議なことではない。
昔話の中では、無償のように見えるが、
実際には金銭か、コメなどの物品と引き換えに
「椀」を貸していた可能性はある。
だとすれば、レンタル料の未払いや、
破損に対する補償を怠った場合、
木地師たちの信用を失い、
以後の取引がなくなったということも、考えられる。
山中を移動しながら暮らし、
決まった場所に定住していなかった木地師たちは、
一度、信頼を裏切った相手とは、
二度と取引をしなかったのだろう。
ではどうして、この「木地師」の部分が
すっぽりと抜け落ちる形で、話が伝えられたのか?
恐らく、この「椀貸し」の話は、
すでに「木地師」との取引が打ち切られた後、
それをおぼろげに覚えていた人間によって
伝えられたのではないだろうか?
つまりこうである。
ある村では、「木地師」との取り決めにより、
彼らから「椀」などをレンタルしていた。
「木地師」たちは村の中には入らず、
川や沼の畔などの決まった場所で
「椀」を受け渡していた。
しかし、何らかの不義理があり、取引は中止され、
以降は「木地師」との関係もなくなってしまった。
事情を知っている大人たちは、
不義理をしてしまった手前、この件に関しては口を閉じる。
しかしその辺りの事情を知らない子供たちには、
どこからか(恐らくは川や池と認識していただろう)
借りてきていた「椀」が、
あるときから借りられなくなった、と見るだろう。
ただ、大人たちの態度を見る限りでは、
なんとなく、こちら(借り手)が不義理をして
相手を怒らせたのではないか、と察しがつく。
やがて口をつぐんだ大人たちはいなくなり、
大人になった子供たちは、
不思議な「椀」の貸し手の話を、
一種の昔話として自分の子や孫に話す。
そこには子供の知り得なかった「木地師」が
「淵」や「川」に置き換えられた、
不思議な話が出来上がるのである。
この「椀貸し」話が兵庫県よりも、
中部・東海地方に多いということは、
それだけ「木地師」の数が多かったということだろう。
そのため、必然的に「木地師」とのトラブルも多く、
この手の話が多く語られる結果となったのだと思われる。
さて、全国に伝わる「椀貸し」伝説を、考えてみたが、
実際には、好き勝手に想像を繰り広げただけである。
この「椀貸し」伝説は、
「皿屋敷」伝説ほど怨念に染まっているわけでも、
「身代わり名号」伝説ほど
宗教的な臭いがあるわけでもない。
ただ、わずかな「不心得」「不義理」に対する
戒めがあるだけである。
「椀」を貸してくれる相手が、非日常のものだからこそ
物語として成り立つのであって、
これが人と人の話では、
現在まで残ることもなかっただろう。
山の中に住み、人前に姿を見せなかった
「木地師」という存在があってこそ、
このミョーに不思議な話は成り立つのである。
お住まいの近くに奥深い山がある人は、
地元に伝わる「伝説」や
「昔話」を調べてみてはどうだろう。
そこには、結構な確率で「椀貸し」伝説がひそんでいる。