雑学、雑感、切れ味鋭く、思いのままに。

Falx blog 2

歴史 雑感、考察

「身代わり名号」伝説

投稿日:

現在に伝わる昔話には、
定番の「型」が存在していることが多い。

例えば、以前に紹介した「播州皿屋敷」にしても、
「お菊」という名の女中が、「家宝の皿」を割り殺され、
後に化けて出て「皿を数える」という話は、
日本全国に50以上も存在しているのである。
恐らくは、どこかで作られた「皿屋敷」の話を、
地方に住む人間が、自らの土地の話としてアレンジし、
現在まで伝えられてきたのだろう。

今回、紹介する話も、こういった「型」のひとつであり、
日本全国に同じような話が転がっている。
「あ、うちの近くにも、それと同じ話がある」
と、なる人もいるだろう。
これはそういう話である。
では、話のあらすじを書いていこう。

昔、竜野の畳屋七左衛門の家に
「南無阿弥陀仏」と書かれた名号が、まつられていた。
この七左衛門には妹がおり、
信心深い彼女は、毎朝早くにお寺参りをしていた。

ところが、これを見ていた人の間に、
「あれはお寺参りではなく、
 いい人に会いにいくのだ」
という噂が広まった。
兄の七左衛門は、この噂に怒り、
妹の帰りを待ち伏せて、刀で斬りつけた。
あわれ、妹は一刀の元に斬り殺されてしまったのである。

七左衛門が家に帰ると、
仏壇にまつってあった「南無阿弥陀仏」の名号が
まっ二つに切られており、
妹は、まるで何事もなかったかのように
帰ってきた。

これはきっと信心深い妹を、
仏様が名号を身代わりにして、
助けてくれたのだ、ということになり、
それからは七左衛門も、信心深い人間になったという。

以上である。
冷静に見てみると、これでもか、というくらいに
突っ込みどころがある。

まず、兄である七左衛門が、妹の恋の噂に逆上し、
事実確認すらせずに殺害に及んでいる点。
時代や地方によっては、男女の自由恋愛が
白眼視される傾向がなかったともいえないが、
本人に確認もせずに刀を振るうのでは、ただの狂人である。
これが恋人間や夫婦間の話であれば、
嫉妬に狂ってということで、話の筋も通るのだが、
2人の関係が兄妹では、この嫉妬はなりたたないだろう。
マジメな兄が、妹のよからぬ噂に
腹を立てることはあるだろうが、
その場合、いきなりの殺害はあり得ない。
後はこの兄が強烈なシスコンだった場合だが、
その場合でも、相手も確認せずに殺すとは思えない。

さらに町人である筈の七左衛門が「刀」を振るっている点。
畳が一般庶民の間に広がっていったのは、
江戸時代のことなので、
「畳屋」という商売が成立している以上、
この話は江戸時代を舞台にしている筈であるが、
江戸時代の庶民が「刀」を所持しているのは、違和感がある。

さらに早朝の寺参りを、
恋人との逢い引きと勘違いしている点。
男女の逢瀬が早朝に行なわれるというのでは、
さすがにあまりに風情がないのではないか?
もっともこれに関していえば、寺参りを終えて帰る妹の姿を、
「男の所から朝帰りしている」と見られた可能性もある。

さらに七左衛門が斬り殺した妹をどうしたのか、
全く触れられていない点。
本来であれば、そこに妹の死骸が転がっているわけで、
さすがにこれを放置したまま
家に帰ったとは考えられないのだが、
どうも話を見ている限りでは、
妹の遺体を持ち帰ったようには思えない。
非日常的なことが起こった、と考えれば、
妹の死体が目の前で消えてなくなった可能性もある。

色々と突っ込みどころはあるものの、
やはり一番の矛盾点は、妹が恋人に会っていると勘違いして、
これを斬り殺そうとする七左衛門だろう。
ここのところは、どう考えても無理がありすぎる。

さて、一番最初に、この話も全国にある
定番の「型」のひとつである、と書いた。
実際に「身代わり名号」というワードで、
インターネット検索してみると、
日本各地に伝わる「身代わり名号」伝説が表示される。
話の内容は、大方似たり寄ったりで、
兄妹のところが、夫婦になっているものがほとんどである。
なるほど、それならば物語的に破綻がない。
そしてもうひとつ、共通しているのは「名号」が
出てきている点である。
「名号」とは、仏・菩薩の名前をさしていう言葉であるが、
浄土真宗においては、これを紙に書いたものを
「本尊」としてまつり、仏像の代わりとしている。
上記の話にある「南無阿弥陀仏」というのは、
「南無」が「~に帰依する」という意味になるので、
「阿弥陀仏(阿弥陀如来)に帰依する」ということになる。
阿弥陀如来は、浄土真宗を含む浄土宗で
本尊とされている仏であり、
全国の「身代わり名号」の伝説も、
浄土真宗が出所だと思われる。

恐らく、こういうことではないだろうか?
浄土真宗は自らを布教し、信者を増やしていく際、
庶民階級への効果的な布教方法として、
「身代わり名号」に代表されるような、
一種の寓話を広めたのではないだろうか?
浄土真宗が本尊としている「名号」が、
信心深い信者を身代わりになって助ける、というのは、
「本尊」=「阿弥陀仏」のありがたさを
これでもかと見せつけている。
仏の教えを一から話して聞かせるより、
こう言った寓話を聞かせる方が、
民衆の支持を得るためには、
より効果的だったに違いない。
全国的に「身代わり名号」の逸話が
広がっている所から見ても、
これは、このような寓話を話して布教するようにと、
浄土真宗の「中央」から、
指令が出ていたのではないのだろうか?
布教の際にバラまかれた物語が、
やがて各地で昔話として語り継がれる。
それが現代まで残ったものが、
この「身代わり名号」なのだろう。

龍野に伝わっている「身代わり名号」が
物語的に破綻しているのは、
純粋に布教の際に広められた話が、
今日まで伝わったわけではなく、
どこかよその地方で「昔話」として伝えられていたものを、
無理矢理、龍野に持ち込んだためだと考えられる。
龍野以外の「身代わり名号」のほとんどが、
室町時代以前のものなのに対し、
龍野の「それ」が江戸時代っぽいのは、
恐らくは江戸時代以後に、
これが伝えられたためだと考えられるのである。

さて、今回は「身代わり名号」伝説を取り上げ、
その発生と広がりについて考察してみた。
こういう全国に同じ「型」の話が点在している例は、
「身代わり名号」の他にもある。

いずれ、また別の話についても取り上げてみたい。

Related Articles:

にほんブログ村 その他生活ブログ 雑学・豆知識へ
にほんブログ村

スポンサーリンク
スポンサーリンク

-歴史, 雑感、考察

Copyright© Falx blog 2 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.