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ナンバ歩き~実践編

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前回、手足を同時に出す変わった歩き方、「ナンバ歩き」を

歴史的な視点から検証してみた。

その結果、昔の日本人は「ナンバ歩き」をしていたというのはかなり疑わしい、

ということになった。

とはいっても、「ナンバ歩き」が全く存在しないものか、と言われれば

それにはノーと答えるしかない。

自分が普通に「ナンバ歩き」をしているからだ。

今回は、実践編として、自分の経験から来る「ナンバ歩き」を書いてみたい。

自分は「ナンバ歩き」をしていると書いたが、別に生まれてからずっと

この歩き方をしていた訳ではない。

もともとは、自分も全く普通の歩き方をしていたのだ。

これが「ナンバ歩き」になったのには、山登りが関係している。

自分はひところから山登りを始めたのだが、そのころあまり体力がなかった。

普通は体力をつけよう、ということになるのだが、

それはしんどそうだなー、と思った自分は、

楽に山に登れる歩き方はないかと考えた。

我ながら、怠け者的な考え方だ。

そういう時に思い出したのが、「ナンバ歩き」だった。

細かい知識はなく、ただ、なんとなく疲れない歩き方だというのを、

どこかで聞いたことがある、程度のものだった。

さすがに人目につきやすい、町中のウォーキングなどでこれを実行するのは、

恥ずかしさが先に立つが、どうせ人のいない山の中である。

少々滑稽な歩き方だろうが、見ている人間などいないのだから、

気楽に試すことができる。

で、とりあえず試してみたのであるが、なるほど、確かに疲れない。

ちょうど体力がなかったことが幸いして、その効果をしっかりと実感できた。

これはいいものだ、ということで自分の山歩きに取り入れたのだ。

この最初期の「ナンバ歩き」は、自分でやっていても随分と滑稽な歩き方で、

山の中に他の登山客がいた場合、すぐに普通の歩き方にもどしていた。

そして人目が無くなると、また「ナンバ歩き」にもどす、それの繰り返しだった。

やがて、山行をこなすうちに、「ナンバ歩き」の効果らしきものが、

具体的にどういうものなのか、だんだんわかってきた。

ずばり、「ナンバ歩き」は疲れないのではなく、

疲労回復の早い歩き方だ、というのがわかったのである。

人間の体は、動かしているうちに疲労していく。

しかし同時に体は、動いているうちにも疲労を回復させていく。

つまり同じ距離を歩く間、10疲労するとすれば、

同じ距離を歩いているうちに、5回復しているということだ。

この場合、歩いた後の疲労は5である。

仮にここで、回復が9であった場合、同じ距離を歩いても、

疲労は1だけということになる。

休憩を取っている間は、疲労することはなく、回復だけになるのだが、

その場合もすぐに回復する、ということになる。

なんといっても、残っている疲労が少ない上に、回復力が強いからだ。

では、「ナンバ歩き」だと、どうしてこの強い回復力が発揮できるのか?

それは「ナンバ歩き」が、腹をひねらない歩きだからだ。

腹をひねらないということは、その中に入っている内臓も

ひねらないということだ。

内臓は腹の中に入っている、人間にとってのエンジンのようなものだ。

普通の歩き方だと、手足の動きをスムーズにするために

このエンジンをひねくり回して、その性能をひどく落としてしまっているのだ。

逆に「ナンバ歩き」だと、手足の連携に不自由を感じるが、

エンジン自体にはよけいな負荷が全くかからず、その性能を充分に発揮する。

この内臓の充分な働きが、強い回復力を生んでいたのだ。

そこがわかると、その部分を残して歩き方をいじることができる。

要は歩いている最中に、内臓をひねらず、負担をかけなければよいのだ。

そうなってくると、手も肩も、特に動かす必要がない。

腹より下、腰の部分から下だけを動かして歩くようにするだけで、

同じ効果が得られる。

しかもその場合、見た目的には、普通に歩いているように見える。

イメージとしては、ファッションショーの女性モデルの歩き方だ。

腰、というよりかは、尻で歩く感じだ。

そういう風に歩いていると、もともと「ナンバ歩き」で、

体の軸が安定していたのが、さらに安定するようになった。

もう、山を歩いているときは、一本の棒が登っていくようなものだった。

これで登山用の「ナンバ歩き」が完成した、はずであった。

人間の楽をしたいという欲求は恐ろしい。

楽に山を登りながら、さらに楽に登れないかと考えはじめたのだ。

内臓の負担を減らして、回復力を高めているので、ここに影響のない

やり方を考えないといけない。

そうなると、疲労の少ない歩き方を、ということになる。

そんなことばかり考えながら、山を登っているうちに、あることに気がついた。

足跡だ。

普通、歩いた足跡は、左足跡の右前方に右足跡、その左前方に左足跡となる。

これを左足跡のそのまま前方に右足跡、そのまま前方に左足跡と、

一本の線になるように歩いてみると、楽に登れることに気がついた。

おお、わが「ナンバ歩き」はさらなる完成を見た。

だが楽をしたいという思いは、無くならない。

ふと、思い到った。

あれ、それじゃ、足を交差させるようにして歩けば、もっと楽になるんじゃない?

やってみた。

何と本当に、もっと楽になった。

もっともこれはやりすぎると、ダメなようで、かえって疲れる。

真ん中に一本の線をイメージして、それをちょっとだけ踏み越えるイメージで

歩くとベストのようだ。

さて、そんな山登りを続けていて、ふと気がついた。

いつの間にか、山に登っていないときも「ナンバ歩き」で歩いている。

しかも不自然ではなく、ごく自然にだ。

もちろん普通に歩くこともできる。

しかし、今では意識しないと普通に歩けなくなってしまった。

自分にとってのデフォルトが、入れ替わってしまっていたのだ。

さて、ここまで実践編として、自分の「ナンバ歩き」体験を書いてみた。

ここに自分が書いたことを真似したからといって、

誰もが自分と同じ効果が出るとは思えない。

人には体格、その他の少なくない個性がある。

自分はその個性の差、個体の差というものは、一般でいわれるよりもずっと

大きいものだと考えている。

つまり、この記事を見て「ナンバ歩き」をやってみたいと思っても、

この記事通りになるとは限らない訳だ。

だからその場合、自分で色々試してみて、その結果を歩き方にフィードバックし、

自分だけの「ナンバ歩き」を作らないといけない。

ここに書いた、自分の実践編も、参考くらいにしてもらえると嬉しい。

自分は、今でも山に登っている。

そして懲りずに、もっと楽に登れる方法はないかと考えている。

もう、これは一生なおりそうにない。

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