雑学、雑感、切れ味鋭く、思いのままに。

Falx blog 2

動物 時事 雑感、考察

コアラと安楽死

投稿日:

かつて「コアラ」といえば、大変な人気者であった。

自分が子供のころの話だから、
ざっと30年以上前である。
オーストラリアから日本の動物園へと、コアラが輸入され、
一大「コアラ」ブームが起こったのである。
TVなどでは連日コアラが取り上げられ、
これに関連する商品が、次々に販売された。

菓子メーカー「ロッテ」のロングセラー、
「コアラのマーチ」が販売されたのもこのときである。
1984年、日本の動物園へとやってきた
「コアラ」を一目見ようと、人々は行列をなした。
何時間も行列に並び、やっとその姿を見たコアラは、
ずっと眠ってばかりで、ピクリとも動かなかった、
なんていう話も、よく聞いた。
コアラは1日のうち、
18~20時間を寝て過ごすという。
しかも、その少ない起床時間は、早朝と夕方である。
これでは、動物園の入園時間とほとんど重なっていない。
これでは、普通の入園者が
起きているコアラを見れる可能性というのは、
限りなく低いだろう。
この1984年に火がついた「コアラ」ブームは、
意外と長く続いた。

この手の、動物ブームというものには二通りある。

ひとつは全くの一過性のもので、
エリマキトカゲやアライグマ、
ウーパールーパーなどが、それである。
瞬間的にもの凄い盛り上がりを見せた後、
あっという間に終息し、ブームは終わってしまう。
後に残るのは、ブームに便乗して作られた、
ワケのわからない動物グッズと、
ペットとして購入されたものの、
飽きて捨てられた可哀相な動物たちだ。

もうひとつは、
そこそこの人気を維持していくパターンで、
わかりやすい例を挙げれば、
パンダなどがこれにあたる。
爆発的に人気者になり、
以降もそれなりの人気を維持して、
人々に愛好され続ける。
「コアラ」もこちら側のパターンである。
パンダにしろコアラにしろ、個人による飼育は難しく、
また法律上も「それ」が許されていない。
恐らく、ペットという形で大衆の元に届かないことが、
かえって人気を長持ちさせているのだろう。
パンダにしても、コアラにしても生息数が減り、
個体数を維持するために、
懸命に取り組んでいる状況である。

ところが、そんなコアラを700匹、
安楽死させたというニュースが報じられた。

オーストラリアの南東部、ビクトリア州で
2013~14年、野生のコアラが
生息域に対して過剰になり、
一部が飢餓状態に陥ったため、数を減らす目的で
700匹を密かに安楽死させた、というのである。
このことが3月4日にわかり、一斉に報道された。

この件について、様々な声が挙げられた。
その大半が、コアラを殺したことへの非難の声であった。
先にも書いた通り、コアラはその数が激減し、
現在、オーストラリアではこの保護に躍起になっている。
そういう中での700匹の安楽死は、
この「コアラ保護」という流れの中では、
明らかに意味不明な行為である。

現在、コアラの生息数は10万匹を切っているとされる。
10万匹ならまだまだいるじゃない、
と思われるかもしれないが、
過去、オーストラリア入植した西洋人たちが、
1年間に毛皮目的で殺してきたコアラの数は、
30万匹~100万匹である。
ひどいときには1ヶ月の間に、
58万匹ものコアラを殺しているのである。
1日あたり2万匹の殺戮劇だ。
現在、生きているコアラたちが
たった5日で死に絶えるペースで、
これを殺し続けてきたわけだ。
そう考えると、10万匹という数が、
いかに少ない数であるかが知れるだろう。

具体的な例を挙げてみよう。
兵庫県内に生息している野生のシカの数は、
14万匹~15万匹とされている。(2010年データ)
オーストラリアと比べれば圧倒的に狭い日本の、
さらに小さな兵庫県という区域の中だけで、
これだけの数がいるのである。
これに比べ、広大な面積を持つオーストラリアに
コアラは10万匹しかいないのである。
もっと極端な言い方をすれば、
コアラは世界でも、この10万匹しかいないのだ。

もちろん、コアラを駆除した側にも言い分はある。
一部区域ではコアラの数が増え過ぎ、
コアラが飢餓状態に陥った場所もあったという。
これを「調整」する意味での、
間引きであったというのだ。
……。
ちょっと聞いた分には、しようがないかな?と、
思ってしまいそうになる。
とんでもない話だ。
全体の数が減っているのに、
一部分で個体数が増えたからといって、これを殺すのでは、
まさに「木を見て森を見ず」である。
増えすぎた地域のコアラを捕獲し、
コアラの少ない地域へ放してみるなど、
採れる方法があったのではないか?
いや、仮にそれが出来なかったとしてもである。
増えすぎたコアラを、
「調整」と称して殺すとはどういうことなのか?
自然に個体数が増えたのであれば、
自然にエサが足りなくなり、自然に個体数が減る。
それが自然の摂理である。
そこに人間の踏み入る余地はない。
というよりは、踏み入ってはいけない領域だろう。
そもそも、コアラの数が増えすぎたというのも、
人間が勝手に決めた数値から、導き出された結果だ。
そんなものを根拠に、個体数を「調整」するなど、
オーストラリア人は神にでもなったつもりなのか。

かつて彼らは、毛皮目的でコアラを殺した。
日本人の感覚からすれば、食べもしないものを……、
という気分になるが、
食べるために殺すのも、毛皮を目的として殺すのも、
経済活動目的での殺戮である。
「罪」を背負って殺す、この活動については、
過剰にならない限りは、認められる行為である。
また、増えすぎたコアラが、
人間に害を与えるようなことになった場合、
これを駆除することも、認められる行為だろう。

しかし、そのどちらでもなく、
ただ「増えた」というだけの理由で殺すなど、
自分を神かなにかと勘違いした人間の、
最低最悪の殺戮行為だ。
自分が「正しい」と思っている分、
かつて、毛皮目的にコアラを殺しまくった、
彼らの先祖よりもタチが悪い。

ビクトリア州の州当局者は、
「人道的かつ効果的に解決しなければならない」
と、コメントしているが、
「人」ではない世界に「人道」を持ち込んで、
どうしようというのか。
自然界でのことは、
極力、自然界のルールに委ねられるべきである。

結構、こき下ろしてしまったが、中には
「よその国のことなんだから……」
という意見もあるだろう。
相手が「鯨」で、散々日本をこき下ろしてきた国なので、
正直、それに対する意趣返し的な気分も、ちょっとある。

殺されたコアラの冥福を祈る。

Related Articles:

にほんブログ村 その他生活ブログ 雑学・豆知識へ
にほんブログ村

スポンサーリンク
スポンサーリンク

-動物, 時事, 雑感、考察

Copyright© Falx blog 2 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.