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ひな祭り

投稿日:

うちの客間の押し入れの中に、
ガラスケースに入ったひな人形がある。

恐らくは妹が生まれたときに、父方か母方の祖父母が、
購入したものだと思われるが、
妹が結婚して家を出て以来、
全く飾られることもなく、仕舞い込まれたままである。
自分は季節の飾り物などは、手元にある限りは
きちんと飾っていく方だが、
この「ひな人形」だけは、
男所帯の中では飾る気にもならない。

しかし、改めて考えてみれば、
このひな人形、ミョウチクリンな名前である。
「ひな人形」を漢字で書くと、「雛人形」となる。
「雛」というのは、鳥の幼生を指す言葉である。
なぜ、このきらびやかな人形が
「雛」という文字を冠しているのだろうか?

改めて、国語辞典で「雛」という言葉を引いてみると、
 
・ひよこ
・小さいもの
・ひな人形

と、3つの意味が記されている。
自分がさっき指摘した「鳥の幼生」というのは、
この「ひよこ」の意味である。
よくよく見てみれば、これ以外にも2つの意味がある。
ただ、2つの意味があるといっても、
片方はそのまま「ひな人形」の意味であり、
これは除外して考えた方がいいだろう。
そうなると残るのは「小さいもの」という意味である。
もし「ひな人形」の「ひな」が
「小さいもの」の意味であるならば、
「ひな人形」というのは、
「小さい人形」ということになる。
なるほど、これなら一見、
意味が通っているように思える。
しかし、ちょっと待ってほしい。
冷静に考えてみれば、
ほとんどの人形は小さいものである。
「ひな」というのが、
「小さいもの」という意味であるならば、
ほとんどの人形が「ひな人形」ということに
なりはしないだろうか?
でも、実際に「ひな人形」と呼ばれているのは、
我々にお馴染みの「あの」人形だけである。
一体、「ひな」とは何なのだろうか?

「ひな人形」のルーツを遡っていくと、
平安時代の「ひいな」に辿り着く。
この「ひいな」というのは、紙で出来た人形であり、
今日でいう所の「紙雛」の様な人形であったらしい。
これは平安時代の貴族の娘たちが、
ままごと遊びをする際に使っていた人形で、
このままごと遊びに使っていた、
「ひいな」や「館」、「食器」などの調度品は、
後世まで貴族の家庭での遊び道具であったらしい。
もちろん、この「ひいな」を使ったままごと遊びは、
3月3日に限られたものではなく、
まったく普通の日の、通常の遊びであった。

また同じ平安時代、これとは別に、
「上巳の節句」(3月3日)には
「流し雛」が行なわれており、
これは紙で作った人形に、
穢れや災いを移して川に流すという、
一種の呪術であり、陰陽師を召して行なわれていた。
現在の「ひな祭り」は、
先の「ひいな」を使ったままごと遊びと、
上巳の節句の「流し雛」がひとつにまとめられ、
出来上がったものではないかと考えられている。
現在でも、紙で出来た「ひな人形」を川に流す、
「流し雛」を行なっている地方もあり、
鳥取県用瀬町の「流し雛」などは、全国的に有名である。

現在のような、3月3日・桃の節句の
女の子の祭り「ひな祭り」になったのは、
江戸時代に入ってからのことである。
江戸時代の「ひな祭り」にしても、
初期のころは、一生の災厄を人形に肩代わりさせるという
呪術的要素が強いもので、
武家の子女の嫁入り道具に用いられていた。
この嫁入り道具に入れられたことが、
華美・贅沢な装飾をほどこされた人形へ変わっていく、
きっかけとなった。
もともと男雛・女雛一対の紙人形であった人形は、
現在のものに近い立体的で、華美な人形へと変わっていく。
江戸時代の後期になると、「有識雛」と呼ばれる
宮中の装束を正確に再現されたものが現れ、
ここから現在の「ひな人形」に繋がる
「古今雛」が作られた。
このころには、男雛・女雛だけでなく、
これに付属する様々な人形や、
精巧に作られた嫁入り道具の模型が、
一緒に飾られるようになる。

さて、ここまで「ひな祭り」の歴史を振り返ってみると、
その一番最初の段階で「ひいな」という言葉が出てきている。
また「流し雛」というものの中にも
「雛」という言葉が出てきている、
この「ひいな」と「雛」は、全く同じものだろう。
このどちらが先であったか?というのはわからないが、
「ひいな」にしても「雛」にしても、
それが「紙で作られた小さな人形」である所は共通している。
国語辞典の記述から見ても、
「ひな」=「小さいもの」というのは間違いがないようだが、
これがいつから使われていたのかは、わからない。
「小さな」人形、があったということは、
かえしていえば、「小さくない」人形も
あったということだろう。
恐らく、この「小さくない」人形は、
子供たちの遊びに使われるものではなく、
「流し雛」のように、
呪術に使われるものだったのではないか?
つまり平安時代、「ひな人形」として、
女児の遊び道具にされるまでは、
「人形」というのは、呪術に用いられるだけの、
不気味な道具だったに違いない。
(こちらの、いわゆる本来の用途の人形の名残が、
 五寸釘を打ち込む「藁人形」などであろう)
「ひな人形」というのは、
「人形」が「遊具」として使われるようになった、
日本で最初のものだったのではないだろうか。

この「ひな人形」、3月3日を過ぎれば、
すぐに片付けるのが良いとされている。
よく言われることとして、
「おひな様をいつまでも出していると、
 お嫁に行くのが遅れる」
というものがある。
これが本当だとすれば、まるで「呪い」そのものだ。
一種の呪術であった「流し雛」の流れを汲む
「ひな人形」としては、「いかにも」な話であるが、
実はこれもそう古くからのものではなく、
昭和初期に言い出されたことらしい。
旧暦の場合、「ひな祭り」の後には梅雨が来るので、
いつまでもひな人形を放置しておくと、
湿気にやられてカビたり、虫に喰われたりする。
そうさせないために、
さっさと「ひな人形」を片付けさせる。
いわば「躾」の意味もあったようである。
もっともうちの場合は、母親が「ひな人形」を用意し、
ひな祭りが終わると、やはり母親が片付けていたので、
全く、妹の躾にはならなかったようであるが。

さて、結局、今年も我が家の「ひな人形」は
仕舞い込まれたままであった。
今の所、「これ」が日の目を見ることはなさそうなのだが、
さすがに捨ててしまったり、
売ったりしてしまうのは抵抗がある。
少なからず、人の「想い」のこもっている人形というのは、
それを捨てさせない、不思議な力があるものだ。
恐らく、当分の間はうちの押し入れの中で、
眠り続けることであろう。

3月4日。
1日遅れの記事であった。

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