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黒田官兵衛~司馬遼太郎と「播磨灘物語」

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実は、今回のテーマと同じようなものを、前に一度書いている。

だから今回、これは止めた方がいいかどうか、若干悩んだのだが、

そのまま視点を変えて、書いてしまうことにした。

今回は黒田官兵衛シリーズの最終回、黒田官兵衛を世に出した

「播磨灘物語」と司馬遼太郎についてである。

たった今、司馬遼太郎が黒田官兵衛を世に知らしめた、と書いたが

実はこれ以前にも、官兵衛を取り上げた書物はあった。

古いものでは福本日南の「黒田如水」(明治44年)、

金子堅太郎の「黒田如水伝」(大正5年)などがあるし、

吉川英治も「黒田如水」を書いている。

しかしこれらでの取り上げ方は、あくまでも歴史上の脇役、

といった取り上げ方であり、秀吉という主人公に対する、脇役というのが

それまでのイメージだった。

官兵衛の出身地である姫路や、黒田氏が江戸時代に治めていた福岡では、

有名ではあったものの、全国的には有名とは言い難い存在だった。

同じような参謀役としては、竹中半兵衛や山本勘助などの方が、

ずっと世に知られた存在だったのだ。

そんなマイナーだった黒田官兵衛を、一気に有名にしたのが司馬遼太郎だ。

彼は歴史の中に埋もれた人物に光を当てるのが、非常にうまかった。

同じように司馬遼太郎によって見いだされた人物に、土佐の坂本龍馬がいる。

彼もまた、司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」によって取り上げられるまでは、

無名といっていい存在であったのだ。

それが今や幕末の志士の中でも、一番の人気を誇っている。

司馬遼太郎の、目の確かさがうかがえる。

昭和48年、読売新聞にて黒田官兵衛を主人公とした、

「播磨灘物語」の連載が始まった。

これもまた、非常な人気となり、ゆかりの地バスツアー等が行なわれた。

この点、現在とあまり変わっていない。

そしてこの「播磨灘物語」によって、黒田官兵衛は一気にその知名度を上げた。

恐らくはそうなるだけの条件が、揃っていたということなのだろう。

官兵衛自身、キリシタンであったこということもあり、

いたずらに人を殺したことがない。

盗賊のような犯罪者に関しても、無理に命を奪おうとすることはせず、

追放で済ましていた、という事例もある。

官兵衛の策である、兵糧攻めや水攻めなども、

その凄惨さばかりが、取り上げられることが多いが、

少なくとも味方の損害という点では、死者は少なかったし、

三木城攻めでも、備中高松城攻めでも、

大将の命と引き換えに、他の兵士の命は救っている。

そういう意味では、凄惨な状況こそあれ、

命そのものを浪費する戦いは、決してしなかったのだ。

さらに、当時としては珍しく、妻を1人しか持たなかったことも、

女性には受けが良かったのかもしれない。

これもキリシタンの教えのためだという人もいるが、

官兵衛の入信が40歳だったことから考えても、これは官兵衛自身の主義だろう。

頭脳が明晰で、命を大切にし、たった1人の妻を生涯愛した。

こういう風に書くと、官兵衛の人気が大きいのも納得だ。

現代人に受けそうな、要素が詰まっている。

実は官兵衛と司馬遼太郎には、ちょっとしたつながりがある。

司馬遼太郎自身は、大阪生まれの大阪育ちであるが、

かつて彼の祖先は播磨に住んでいた。

それも武士であり、三木城の別所長治に仕えていた。

そう、秀吉に攻め滅ぼされた、別所長治だ。

この時、別所長治の命と引き換えに許された家臣たちの中に、

司馬遼太郎の祖先がいたらしい。

三木城から解放された彼は、同じ別所一族の城であった英賀城に入る。

ところが今度は、この英賀城が攻められることになる。

それも他ならぬ、官兵衛によってだ。

この時も、司馬遼太郎の祖先は生き延び、夢前川近くの広(広畑)あたりで、

農業を営むようになったという。

明治時代までここに住んでいたが、その後、大阪に移っていった。

こうしてみれば、司馬遼太郎にとって黒田官兵衛は祖先の仇といえる。

仇といっても、殺されたりした訳ではない。

だが司馬遼太郎が、自らのルーツを求めた際に、

その中に「黒田官兵衛」の名前があったであろうことは、想像に難くない。

ひょっとすれば、それこそが司馬遼太郎と黒田官兵衛の、

最初の出会いだったのかもしれない。

姫路城から北西、山野井町に「姫路文学館」がオープンしたのは、

平成3年のことだ。

この「姫路文学館」の中に、「司馬遼太郎記念室」がある。

自分を出すことが嫌いで、記念館や文学館などをかたくなに拒否していた

司馬遼太郎にしては、珍しいことである。

これは関係者が、生前の司馬遼太郎に懸命に頼み込んだ結果だ。

そしてそこに「播磨灘物語」の生原稿が展示されている。

黒田官兵衛の史跡を巡るために姫路を訪れた際には、

彼を見いだした司馬遼太郎の記念室も、ぜひ巡ってみてほしい。

姫路城から、歩いていける距離だ。

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