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歴史 雑感、考察

利神城

更新日:

先日、神戸新聞のホームページを見ていると、
「第二の天空の城へ 佐用の「利神城跡」整備に着手」
という見出しがあった。

兵庫県佐用町は、兵庫県の西の端、
岡山県との県境に位置している町である。
古くは因幡(鳥取)へと続く街道が通っており、
佐用町平福はその宿場町として栄えた。
また、この平福は、かの剣豪・宮本武蔵が
幼少期を過ごしたことでも知られており、
彼が13歳のとき、人生で最初の決闘をした場所でもある。
現在でも佐用町平福には
歴史的な趣のある建造物が残っており、
国道沿いに建てられた「道の駅・平福」では、
地元佐用町の物産をはじめ、
近隣の特産品が並べられている。

この「道の駅・平福」に立ち、
東側を眺めると、小高い山の上に石垣があるのに気がつく。
これが「利神城跡(りかんじょうあと)」である。
跡というだけあって、山上に残っているのは石垣だけで、
建物自体は全く残っていない。
こういう風に書くと、
朝来の「竹田城」を思い浮かべる人もいるだろうが、
実際、規模の違いがあるとはいえ、
「利神城」は「竹田城」に非常によく似ている。
ただ、長らく整備されていないのか、
石垣には大きく崩れてしまっている部分もあり、
さらに土に埋もれてしまっている部分もある。

今回、神戸新聞が伝えた所によると、
長らく放置されたままだった「利神城」を整備し、
佐用町の新たな観光資源にしたい、という話であった。
記事の見出しにもあるように、
「第二の天空の城」というフレーズが
使われていることからみても、
やはり「竹田城」フィーバーを見て、
自分の所も同じように……という、
色気が出たのかもしれない。

この「利神城」、現在では石垣が崩れていて危険なため、
「立ち入り禁止」ということになっている。
が、実はそれでも「利神城」に登っている人は
結構いるらしく、知る人ぞ知るという状態なのである。
かくいう自分も、かつて登ったことがあり、
「利神城跡」をしっかりと見学して帰ってきた。
当時、地元の人間に聞いた所、
観光気分で登った人間が、途中で事故を起こし、
救助のため、ヘリコプターが出動したこともあるという。
ルートは山の北から登るコースと、
南から登るコースの2つがあり、
あえて登るのであれば、
北からのコースであれば、かなり上まで車で登れ、
そこから少し歩けば「利神城」だというので、
こちらのコースを使って登ることにした。

教えてくれた人の話では、
かなり上まで車で登れるということだったが、
「登山」気分を味わいたかったので、
車でも登れる道を、テクテクと歩いて登った。
意外と利神城を目指して登ってくる人もいるようで、
途中、何台かの車が自分を追い越していった。
実際、話に聞いていた通り、
城跡の近くまで林道が走っており、
林道の終点には2~3台の車が停まっていた。
ここからは、本格的に道が細くなり、
山を歩き慣れていない人には、キツい山道になる。
結構、危険な箇所もあり、
登山経験のない人には厳しいかもしれない。
自分は山に慣れているので、
問題なく「利神城跡」までたどり着くことが出来たが、
車で上がってきた人の中には、
城跡に行くのを諦め、引き返してくる人もいた。
こうして険しい山道を歩き、
ようやく「利神城跡」に辿り着いた。

自分は以前に「竹田城」にも行ったことがあるが、
なるほど、規模こそ違うものの
たしかにそこには「天空の城」を名乗っていい、
「城跡」が存在していた。
ただ、「竹田城」のようにきっちりとは整備されておらず、
石垣は崩れ土に埋まり、
一見して「荒れているなー」という感想を持った。
ただ、適度に荒れている所が、
時代の流れを感じさせ、いかにも「良い」雰囲気であった。

この「利神城」は1349年、赤松氏の一族である
別所敦範によって築城された。
佐用町の南、上郡町には赤松氏の本拠地・白旗城があり、
この「利神城」は、まさに北の守りの要であった。
1441年、嘉吉の乱により赤松氏が滅び、
別所氏も同じ運命を辿ったが、
その後、別所氏の後裔によって城は奪回された。
戦国時代に入ると、羽柴秀吉の播磨侵攻の影響で、
別所氏→宇喜田氏→池田氏と城主が変わり、
最終的には池田氏の代を持って、
「利神城」は廃城になっている。
現在、山上に残っている石垣は、
池田氏の一族である池田由之によって、
大改修されたものである。
三重の天守を構え、曲輪を全て石垣で築き、回廊で結んだ。
相当に豪壮な城であったらしく、
これを見た池田輝政が、江戸幕府に警戒されることを恐れ、
天守を破棄させたといわれている。
1631年、平福藩主であった
池田輝興が赤穂藩を継いだため、
平福藩は廃藩となり、
以後、平福は旗本・松平氏の所領となった。

さて、この「利神城跡」を整備し、
「竹田城」のように観光客を呼び込もうという、
佐用町の政策。
たしかに「利神城」には、
それだけの観光地になる可能性はあるだろう。
ただ、ここは慎重にやってもらいたい。

というのも「竹田城」では、観光地化しすぎたために、
様々な問題が頻出しているからだ。
増えすぎた観光客。
それによって、荒らされてしまう観光資源。
同じことが「利神城」で起こったら、目も当てられない。
観光客が車で近くまで行けるように山を切り開き、
道や駐車場を作るというような乱開発などは、
絶対に止めてもらいたいものだ。
むしろ林道への車の乗り入れを禁止し、
歩いて登る観光客以外は、
町の運営するバスで林道を移動させれば、
観光客の数をある程度コントロールして、
「利神城」が荒らされてしまうのを
防ぐことも出来るだろう。

いずれにしても、近くに「竹田城」という、
格好の先例があるのだから、
いい所も、悪い所も、これに学び、
適切な整備を行ってほしいものである。

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