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命の価値〜アニメ・マンガ編

投稿日:

ここまで、2回にわたり「命」の価値について考えてきた。

もっとも第1回で書いた通り、
現実的には「命」というものの価値は、
個人的な価値観を問うだけのことになり、
明確な答えの割り出せる問題ではない。
故に、現実的な「命」については問わず、
「ゲーム」「特撮」といった、
いわば、創作物の中での「命」の価値について書いてきた。

今回はこのシリーズの最終回、「アニメ・マンガ」の中での、
「命」の価値について書いていく。

そうはいったものの、
「アニメ・マンガ」という括りにした場合、
その中に含まれてくる作品数は膨大で、
その「命」の価値というのも千差万別といっていい。

作品中の「命」の価値が、極めて現実のものと近いのは、
「医療系マンガ」だろう。
「ブラックジャック」などに代表される
「医療系マンガ」では、
まさに患者の「命」を救うために、物語が展開される。
主人公の超人的な医療技術により、
絶望視されていた患者の「命」が助かる、というのは、
この手のマンガのストーリーとして、
定番中の定番である。
逆に、どう手を尽くしても助からない「命」、
医療現場のいざこざによって、左右されてしまう「命」。
さまざまな「命」が描かれる。
医療系マンガの場合、
「命」=「物語の主題」とすることができるだろう。

アニメ・マンガという、比較的自由度の高い創作の場では、
大きく分けて2つのパターンがある。
「死後」の世界が描かれるものと、描かれないものだ。
当然、死後の世界が描かれない場合、
その作品での「死」は、極めて現実に近いものになる。
問題は「死後」の世界について、描かれている作品である。
これについては、それぞれ作者ごとに
独自の死後の世界観が描かれており、
それを見れば、「命」の価値というのも、
それぞれに違ってきていることが、見て取れる。

まず「ドラゴンボール」から見てみよう。

この作品内で「命」は、極めて軽く扱われている。
もちろん、作品中にドラゴンボールという、
どんな願いもかなえてくれる
アイテムが存在しているためだ。
従って、作中では戦闘によって命を落とすことについて、
それほどの悲壮感が漂ってはいない。
ドラゴンボールの存在に関わる、ピッコロの生死を除いて、
それほど「死」に緊張感はともなわない。
主人公の孫悟空自体、ドライな性格であったためか、
物語の最後の方では、人類や仲間の「死」にも、
動揺している素振りがなかった。
少なくとも、この作品内では
「命」=「ボールさえあれば、何とかなるもの」
であった。

次に「キン肉マン」を見てみよう。

これも少年ジャンプ特有のバトルマンガなので、
結果としてかなりの数のキャラクターが死ぬ。
その死んだキャラクター達が、
様々な方法で生き返ってくる。
7人の悪魔超人と戦いでは、死んだ超人達は、
バッファローマンの超人パワーを分け与えられ、
生き返ることが出来た。
6人の悪魔騎士との戦いで死んだ超人は、
黄金のマスクと、銀のマスクが合体して発した光を受け、
生き返った。
さらにキン肉星王位継承戦では、最終回、
死んだ正義超人達が、キン肉マンの素顔から発せられる
「フェイスフラッシュ」をうけ、生き返っていた。
その他にも、ミキサー大帝によって
超人墓場に送られたキン肉マンが、
先のタッグトーナメントで死んだ、
ウォーズマンと再会している。
ウォーズマンいわく、真面目に働いて玉を4つ揃えれば、
死者の国の門が開くらしい。
作中にて、何の説明も無いまま
生き返った超人が何人かいたが、
恐らくはこのシステムで生き返ったものだと思われる。
この復活の玉、真面目に働けば半年ほどで揃うらしい。
どことなく、刑務所のようなシステムである。

キン肉マンの中では、「命」というのは、
まさに超人パワーそのものであり、
仮にそれによる蘇生が受けられなくても、
超人墓場での労働によって、取り返すことが出来るようだ。
したがって、キン肉マンの中では、
「命」=「半年間の肉体労働」としていいだろう。

今回、最後に取り上げるのは「ドラえもん」だ。

あれ?ドラえもんに、死んだものを
生き返らせるような道具あったっけ?
と思われる人もいるだろう。
もちろん、ドラえもんの道具の中に、
死んだものを生き返らせる道具は無い。
それについては、ドラえもんも
「そんなことが出来るものなら、
 地球は生き物で埋まってしまうよ」
と、応えている。
たとえ22世紀になったとしても、
死んだものを生き返らせることは出来ないのだ。

だが、実際には、作中にて死んだ犬を生き返らせている。
ドラえもんの3巻に収録されている
「ペロ!生き返って」では、死んだ静香の飼い犬「ペロ」を
生き返らせているのだ。
ペロが死ぬ前にタイムマシンで戻り、
死の原因となった病気を、
未来の薬「どんな病気にも効く薬(きかないこともある)」
で治療し、生き返らせている。
厳密にいえば、ペロが死んだ未来を変えて、
ペロの病気が治った未来にしたわけだ。
しかし、冷静に考えてみれば、
これは死んだものを生き返らせたわけではない。
一種のタイムパラドックスを起こしただけである。
「死」そのものに関していえば、
未来の道具も、全く役には立たなかったのである。

つまりドラえもんの作中では、
「命」=「未来の科学力でもどうしようもない」
ということらしい。

さて、ここまで3回にわたり、
様々な「命」の価値を見てきた。
カメを蹴飛ばすことで増える「命」、
無生物であるはずのロボットが感じさせる「命」、
どんなに進んだ科学力を持ってしても、
蘇らせることの出来ない「命」、
どうやったら殺せるのかわからない、
宇宙人の「命」。

「命」は様々な形で捉えられている。
その様々な捉え方の中に、
「命」の本質をつくようなものがあるのか?
これは全くわからない。

「命」とは生物にとって、最大の謎である。

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