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処刑〜その4

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ここまで3回にわたり、「処刑」そのものについて書いてきた。
しかし、様々な方法によって死刑囚が「処刑」された後、
そこには確実に、死体が1つ残ることになる。
これはその後、どういう運命をたどるのだろうか?

まずは、現代日本での「処刑」後について書いていこう。
まず、日本で「処刑」が執行された後、
法務省から死刑囚の家族に、死刑執行の報告が届けられる。
これは死刑囚の遺品や、遺体の引き渡しに関する確認をするためなのだが、
ほとんどの遺族は、遺体の引き取りを希望しないそうである。
まあ、現代日本において、死刑宣告を受ける犯罪というのは
概ね、かなり凶悪なものであることが多く、
その家族たちは、死刑囚の家族であるということで、
世間から厳しい非難にさらされるという話もよく聞くので、
とてもそんな人間の遺体を引き取ろうという気持ちにならないのは、
無理も無いことなのかも知れない。
遺族に引き取られなかった遺体は、拘置所で葬儀が執り行われた後
火葬場にて火葬されるが、その後、遺灰や遺骨も
引き取り手が居ない場合は、無縁仏として納骨されることになる。

例外として、死刑確定後に献体を申し出る死刑囚がいる。
「献体」とは、医学の発展のため、死後に自分の肉体を
解剖学の実習用に提供することである。
その体は、医療を志す学生たちの実習に回されることになる。
生前の罪を悔い改めて、ということなのか、
あるいは遺族による引き取りが期待できないため、
無縁仏になるよりはマシと考えているのかは分からないが、
死刑確定後に、この「献体」を希望する死刑囚は少なくないそうである。

ひょっとして、この記事を読んでいる人の中には、
死ぬタイミングが分かっているわけだから、
臓器提供などのドナーになることは出来ないのか?と
考える人もいるだろうが、日本では死亡確認後、24時間は
遺体を搬出できないため、ドナーになるのは無理らしい。
日本の「処刑」は絞首刑であるため、体内に毒物などが残留しておらず、
臓器提供用のドナーとしては、それなりに有効だとは思うのだが、
ひょっとしたら臓器提供を受ける側で、
犯罪者(それも死刑宣告を受ける様な凶悪犯)の臓器なんて……、という
葛藤などが生じるかも知れない。
まあ、いずれにしても仮定の話なのだが。

こうして見てみれば、引き取り手の居ない無縁仏として
葬られることの多い死刑囚の遺体だが、その扱いについては
普通の一般人のそれと、大きく変わっている様なことは無い。
もちろんこれは、死刑囚にもキチンと人権が認められているためだが、
人権意識の低かった(無かった?)過去の時代には、
死刑囚たちの遺体は、一体、どういう扱いを受けていたのだろうか?

大方の人が想像している通り、人権意識の低かった時代においては、
死刑囚の遺体の扱いもひどいものであった。
刑務所の墓地に埋葬されるなんていうのは、その扱いの中でもいい方で、
ひどいものではゴミ捨て場に投げ捨てられたり、
豚のエサにされてしまう様な場合もあった。
豚は確かに雑食性なので、ある程度食べやすい形になっていれば
人間の死体を食べるかも知れないが、
果たして、人間の死体を食べて育った豚を、食べる気になったのだろうか?

それよりも恐ろしいのは、死刑囚の遺体が切り刻まれ、
それぞれの部分が記念品や、お守りとして販売されたというものである。

囚人である死刑囚の体なんかが記念品やお守りになるのか?
という気もするが、古い時代には宗教的な罪によって、
徳の高い司教などが「処刑」されることもあったため、
一概に死刑囚=犯罪者とは言い切れなかったようである。
「処刑」された司教の遺体には人々が群がり、
その衣服を切り取り、髪などを切り取り、
しまいにはその指まで切り取ったという。
現代人の感覚からすれば、とても徳の高い宗教者への
扱いとは思えないのだが、罰が当たるとは考えなかったのだろうか?
これらのバラバラにされた遺体は「聖遺物」ということになり、
高値で売買されたという。
もうこうなってくると、信心深いのか、罰当たりなのか、
分からなくなってくる。

では、一般的な犯罪者の遺体は
そういうことにならなかったのか?といえば、答えはノーである。
この当時、「処刑」された囚人たちの遺体はキレイにばらされて、
それぞれに販売された。
脂肪、髪の毛、歯、骨、など、キッチリとばらされ、
用途ごとに販売された。
もも肉などはハムに加工され、医薬品として使用されたというから恐ろしい。
特に貴重だったのは脂肪である。
これは様々な医薬品として、果ては化粧品として加工された。
現代的な感覚でいえば、デブの脂肪など不健康の代名詞の様なものだが、
食料事情が悪く、肥満している人間の少なかった時代には、
デブの脂肪というのは、かなりの貴重品であったらしい。
デブの脂肪で健康になるとか、デブの脂肪で美しくなるとか、
現代人からすれば卒倒しそうな話であるが、
そういう時代がちゃんとあったのである。
さらに、死刑囚の血については逸話も多い。
日本にも、マムシやスッポンの生き血を飲むと精力がつく、なんていう
話があるが、昔の人は、それを人の血にも当てはめていたのである。
さらに、人間の血には、不思議な神通力があると思い込んでおり、
それはより凶悪な人間の血こそ、効力があると信じていた。
「処刑」執行人が死刑囚の首を刎ねたばかりの、
血のしたたる剣をワインに浸して飲んだり、
首を切られる囚人の前には、容器を持った民衆が群がったという。
首をはねられ、吹き出した血をそれで回収しようというのだ。
つまり、「斬首」される死刑囚の目の前には、
それぞれ手に容器を持った民衆たちが、目をぎらつかせながら
自分の首が刎ねられるのを、固唾をのんで見守っているのである。
それが、死刑囚が最後に見る風景だとすれば、
これはなかなかキツい風景では無いだろうか?

1つ断っておかないといけないのは、これらの風習(?)は、
あくまでも一部の国で行なわれていたものであり、
こういう、死刑囚の遺体をバラバラにして、売買する様なマネが
世界中で行なわれていたというわけではない。
そういうことをしている国もあった、と認識してほしい。

さて、今回は4回にわたって、「処刑」というものについて書いてきた。
現代においては、その可否すら問われている「処刑」だが、
これが人類の歴史から消えてなくなる時が来るかどうかは、
誰にも分からない。
現代社会においては、普通に生きている限りは、
まず関わることの無い「処刑」であるが、
出来ればこの先も、関わらずに済ませたいものである。

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