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鯉のぼり

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By: ume-y

先日、太子町を車で走っていると、
某所にて、大量の鯉のぼりが揚げられていた。

もちろん、個人のものではないだろう。
恐らくは、自治体か何かが、各家庭などで不要になった
鯉のぼりを集め、これらをまとめて揚げているのだろう。

ここ最近は、このように大量の鯉のぼりを揚げる自治体(?)が
増えてきている。
太子町の場合は、空き地を利用して大量の鯉のぼりを揚げていたが、
これ以外にも、山と山の間にロープを張って
谷を横断するような形で大量の鯉のぼりを揚げたり、
川の上にロープを張り渡して、
ここに鯉のぼりを揚げたりする場合もある。
いずれの場合にしても、
「大量」の鯉のぼりをまとめて揚げるというのが、
1つのポイントになっているようで、
赤、青、黒など、色とりどりの鯉のぼりたちが
大量に風になびいている姿は、やはり迫力がある。
田舎の各家庭には、もう、使われなくなった鯉のぼりが
大量に眠っており、それらを引き取って揚げるというのは
たいして元手がかからない割に、大きな視覚効果が期待出来る。
この辺りが、あちこちで大量の鯉のぼりが揚げられる理由だろうか。

このように、鯉のぼりの大量掲揚が行なわれる中、
一般家庭レベルでの鯉のぼりの掲揚は、かなり減ってしまった。
自分が子供のころは、この時期、市内を車で走ると、
それこそ数えきれないくらいの家庭が、長い竿を立てて、
巨大な鯉のぼりを揚げていたものだが、
ここ最近では、そのような姿を見ることも
ほとんど無くなってしまった。
また、鯉のぼり自体の小型化も顕著だ。
長い竿を立てて、巨大な鯉のぼりを揚げるためには、
どうしたってある程度の広さの庭がなければならない。
マンションやアパートなどの集合住宅では、
竿を立てる庭自体が存在していないし、
仮に一戸建て住宅であっても、庭の小さい建て売り住宅では、
長い、それこそ「屋根より高い」竿を立てることは不可能である。
結果として、マンションやアパートなどの集合住宅のベランダや、
建て売り住宅の小さな庭でも立てられるような、
小型の鯉のぼりが幅を利かせるようになってしまった。
唱歌にもある「屋根より高い鯉のぼり」というのは、
今ではすっかり絶滅危惧種、ということになってしまった。

「鯉のぼり」は、五月節句に男児の健康と出世を祈って立てる
外飾りである。
江戸時代には、菖蒲(尚武)の節句として、
この行事は武家階級ではことに重んじられ、
家紋をしるした旗指物や幟などの武家飾りを
玄関前に並べ立てることが流行した。
これに対抗して江戸時代中期以降、町人たちが武具の代わりに
「鯉のぼり(鯉幟)」を立てる風習が生まれた。
だが、どうして「」がモチーフとなったのだろうか?

実は鯉という魚は、非常に生命力が強い。
水質の悪い場所などでも平気で生きていくことが出来る。
これを読んでいる人の中にも、都会のドブ川の中で
泳ぎ回っている鯉の姿を見たことのある人もいるだろう。
さらに鯉は、水から揚げられた状態でもしばらく生きている。
(もちろん、あくまでも他の魚に比べて、ということになるが……)
濡れた布や紙などで鯉を包めば、かなり長時間生きているので、
昔は鯉を生かしたまま運ぶ際に、濡らした紙などで包み、
そのまま抱きかかえて走るようなこともあったらしい。
当然、寿命の方も魚としては長く、
平均で20年、中には70年以上生きる個体もいる。
(記録に残る中では、226年も生きた鯉がいるらしい)
中国の古い伝説に寄れば、
黄河の急流にある「竜門」と呼ばれる滝を、
多くの魚が登ろうと試みたが果たせず、
鯉のみがこれを登り切り、竜になることが出来たとある。
(「登竜門」という言葉は、ここから来ている)
鯉の持つパワーを感じさせる話だが、
実際の鯉も、釣り上げられる際には、かなりの長時間暴れ回り、
1時間近く釣り人を引っ張り回すことも少なくない。
これらのことから、鯉は「力」と「立身出世」の象徴とされ、
非常に縁起の良いものとされていたのである。
雄々しい武士の旗指物や幟と張り合うのに、
「鯉」ほど、ふさわしいものもなかったわけである。

こうして江戸時代中期に、庶民層の間から発生した「鯉のぼり」だが、
もっとも最初期の「鯉のぼり」は、
手漉きの和紙に手描きで鯉の絵を描いたものであった。
やがて、油紙、綿と破れにくい素材へと代わっていき、
現在のようなナイロン製の「鯉のぼり」が誕生したのは、
1957年(昭和32年)のことである。

唱歌「こいのぼり」によれば、大きい真鯉はお父さん、
小さい緋鯉は子供たち、ということになっている。
だが、もともとの「鯉のぼり」には緋鯉はおらず、
ただ真鯉のみが1匹、揚げられているのみであった。
「鯉のぼり」が、子供(男児)の成長を願って
揚げられているわけだから、当然、このただ1匹の真鯉は
子供(の成長した姿だろうか?)ということになる。
明治時代になると、ここに緋鯉が追加される。
黒い真鯉と、赤い緋鯉が1匹ずつ、揚げられたわけだ。
この赤黒2匹の時代は、昭和中期ごろまで続くことになる。
ちょうど「鯉のぼり」が、ナイロン製になったころだ。
唱歌「こいのぼり」は、1931年(昭和6年)に
近藤宮子よって作詞されているので、
ちょうど赤黒2匹時代に、作られたということになる。
唱歌の中では、真鯉がお父さん、緋鯉が子供たちとなっているので、
子供はいつの間にか真鯉から緋鯉へと追いやられたことになる。
さて、ここで取り上げた唱歌「こいのぼり」だが、
この歌詞を聞いた際に、え?緋鯉ってお母さんじゃないの?と
疑問をもった人もいるのではないだろうか?
実際、現在掲揚される「鯉のぼり」を見ると、
黒い真鯉、赤い緋鯉、青い鯉となっているものが多く、
これを真鯉=お父さん、緋鯉=お母さん、青い鯉=子供という風に
解釈するのが一般的になっているからである。
先にも書いたように、「鯉のぼり」が
3匹(あるいはそれ以上)体制になったのは、
昭和中期以降のことである。
ひょっとすると、ナイロン製の「鯉のぼり」によって、
「鯉のぼり」製作が簡単になったため、
鯉の数が増やされたのかも知れない。
いずれにしても、現在では「鯉のぼり」は3匹体制となり、
これを両親と子供という、
1家族として認識するのが当たり前になっている。
時代的にいえば、家族というものの中で母親の力が強くなり、
また社会の中では女性の力が強くなり始めたころと
一致しているのが面白い所だ。
何より、本来主役であったはずの子供が、
真鯉→緋鯉→青い鯉と、どんどんサイズがランクダウンし、
竿の序列でも下へ下へと押しやられているのは、
皮肉としか言い様がない。

現在では、町を走っていても、
屋根より高い「鯉のぼり」を目にするのは稀である。
ひょっとすると近い将来、「鯉のぼり」は家庭ではなく
自治体などで揚げるのが、当たり前になっていくのかも知れない。

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