46、という数字を聞いて何を連想するだろうか?
47ならば、赤穂浪士ということになるが、46はパッと思い浮かばない。
ところがこれに「cm」という単位をつけると、
ごく何人かの人間は、あれかな?とあるものをイメージする。
ここで気がついた人はちょっと危ない人だ。
「46cm」
それでも普通の人はこれだけでは、まだチンプンカンプンだ。
これに×3という記号を付け加えてみる。
「46cm」×3
ここで138cmという答えが出てくる人は、まあ、健全な人である。
しかし先に、あれかな?とあるものをイメージした人は、
ああ、やはりあれに間違いないな、と自分の答えに確信を持つ。
さらにこれの頭に45という数字を書き足してみる。
45「46cm」×3
もはや数式なのかなんなのか、全くわからなくなってきたが
さきほどのごく一部の人間は、膝を叩いて納得する。
そしてこう言うだろう。
3連装45口径46センチ砲。
そう、戦艦大和の主砲である。
今回は、日本海軍最大にして最後の戦艦、大和についてである。
太平洋戦争当時、日本海軍最強の戦艦として建造されたのが大和型戦艦である。
当時の最新技術をふんだんに使った、まさに最終兵器だった。
バルバスバウ、ブロック工法、注排水機構など、大和に使われた技術で、
現代の造船技術の元になっているものも多い。
全長263m、排水量64000t。
まさに世界最大の大戦艦だった。
なぜ、こんなに大きくなってしまったのか?
その理由こそが、一番最初に書いた大和の主砲である。
世界最強である46㎝主砲を搭載する為には、どうしても
あの巨体が必要だったのだ。
大和にとっては、あの主砲こそが、何より重要だったのだ。
では敵国であるアメリカは、どうしてこれに対抗するだけの超巨大戦艦を
建造しなかったのか?
資源、技術的には充分に建造可能だった。
が、皮肉なことにパナマ運河が、アメリカの戦艦のサイズに規制をかけた。
アメリカの軍艦はパナマ運河を通って、太平洋と大西洋を行き来していた。
その為、パナマ運河を通行できるサイズの艦船しか作ることができず、
結果として大和サイズの46㎝砲を搭載した戦艦を造れなかったのである。
このパナマ運河を通れる最大サイズを、パナマックスと言う。
アメリカ最大の戦艦アイオワ級も、このパナマックスに収まっている。
そのため搭載できた主砲は40.6㎝砲で、大和のものより小さい。
だが、戦艦は第2次世界大戦以降、全く造られなくなった。
理由は簡単で、砲弾を飛ばす大砲自体が、時代遅れの兵器になったからだ。
この大砲に変わって兵器の主力になったのが、ミサイルである。
このミサイルは第2次世界大戦中、ドイツがイギリスを攻撃するのに使った
V2ミサイルがその元祖になっている。
第2次世界大戦を機に戦艦はその役目を終え、ミサイルは以降主力武器として
著しく発展し続けてきた。
皮肉と言えば、皮肉である。
大和には同型艦がある。
2番艦の武蔵である。
大和撃沈に先んじて、レイテ沖海戦にて撃沈されている。
実は3番艦も存在した。
信濃である。
信濃は大和型3番艦として建造されていたが、空母不足のおり、
急遽空母へと改造されたが、未完成のまま廻航中に敵潜水艦によって
撃沈されている。
ある意味、この3隻の姉妹艦の中で、もっとも不遇な最後を迎えたと言える。
軍艦の中で、もっとも人気があるのが大和だ。
それは模型屋に行ってみれば、よくわかる。
軍艦のプラモデルで、一番数が多いのが大和だ。
武蔵も信濃も大和に比べると、圧倒的に数が少ない。
スタイルが同じということで、大和のモデルで武蔵も造れると謳っている
プラモデルもある。
なんと言うひどい扱いであろうか。
かたや、映画になり、宇宙戦艦になり、数多くの書籍になった。
かたや、なにもない。
わずかな違いが、その後の扱いの大きな違いになる。
運命というものの、恐ろしさだ。