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大河ドラマ「花燃ゆ」

更新日:

By: ume-y

昨年放送された大河ドラマ、
「軍師官兵衛」のことを書いた際に、
来年の「花燃ゆ」についても、とりあえず見てみようと思う、
と書いた。
「花燃ゆ」の放送が始まってから半年、
物語はちょうど折り返し地点までやってきたことになる。

この半年の間、「花燃ゆ」の話題で出てくることといえば、
視聴率のことであった。
それも、視聴率が低い、という意見を耳にすることが多かった。
インターネットで、「花燃ゆ」のキーワードで
検索をかけてみても視聴率の低さ、
人気のなさを取り上げたものが多くヒットしているようだ。
ひどい記事になると、NHKの会長が微妙な感想を漏らした、
なんていうものもある。
一応、そこは褒めないといけない所ではないのか?
どことなく、他人事として捉えているようにも感じられる。

「花燃ゆ」は、幕末の長州藩ならびに日本を、
吉田松陰の妹・文を主人公に据えて描いている。
彼女は久坂玄瑞、後に楫取素彦と結婚している。
長州藩世子・毛利定広の正室・安子の女中、
さらにはその長男である興丸の守役も務めている。
ドラマの中では、吉田松陰の松下村塾で色々と世話を焼き、
幕末の志士と親密な関係を築いていたが、
現実の彼女が、どれほど彼らと接していたかは明らかではない。
ただ、幕末という動乱期に、
庶民という視線と、城中での勤めの中の視線と、
二通りの視線で「明治維新」を見つめた女性であることは
確かなようである。
他の「幕末」ものでは、久坂玄瑞は長州藩の高名な志士であるが、
楫取素彦の方は、いまいちメジャーであるとはいいにくい。
ましてその「妻」ということになると、
通常では、その名前を知っていることも少ないだろう。
そのような、いわば目立たない立ち位置の
女性を主人公に据えているためか、
物語自体は、我々の良く知っている「幕末」ものとは
大きく違った視点で進んでいくことになる。
それがウマく嵌れば、全く新鮮な面白さを出せるのだろうが、
どうやらこの「花燃ゆ」では、
その試みは外れてしまっているようである。
周りで、高名な志士たちが
色々と活躍しているのは感じられるのだが、
どうもそれは、どこか他所で
行なわれているもののように感じられ、
いまいち時代の流れというものが掴みにくい。
通常の「幕末」ドラマに見られる、激動感というものが
感じられないのである。

恐らく、本来の文はドラマで描かれているほどには
アクティブな女性ではなかったのだろう。
それをそのままドラマ化したのでは、
「大河ドラマ」として成り立たない。
勢い、脚本家によってそれっぽいエピソードが、
多数作られ、付け足されることになる。
「幕末」という時代の躍動感を出すためか、
志士たちに絡めることによって
いかにも文自身が志士であるかのように描いているが、
長州という狭い舞台の中から出ることのない文では、
大きな時代の流れに、しっかりと絡ませるのは難しい。
確かに周りでは、志士たちの戦いが行なわれているのだが、
主人公自身はそれに上手く絡んでいけないという
ジレンマを抱えてしまっている。
無理に文を主人公とせず、
松下村塾の塾生たちと、
それを取り巻く人々の群像劇とした方が
物語としては面白いものに仕上がったかも知れない。
(それの出来ない、都合があるのかも知れないが……)
むしろ、どうしても松蔭の妹・文を主人公にしたいのであれば、
あくまでも「幕末」の裏ということを徹底し、
江戸末期から明治初期にかけての庶民の生活、
特に衣食住の他、長州独特の慣習や風俗を
しっかりと見せるものにした方が、面白いかも知れない。
ただ、ドラマがそういう作りになると
ますます「大河ドラマ」っぽさというものは無くなってしまう。
むしろ木曜時代劇か、朝の連続ドラマの方が
向いているだろう。
結局の所、「大河ドラマ」としては素材を間違っており、
「吉田松蔭の妹・文」としては
調理法を間違っていたということだろう。

どうも「花燃ゆ」について、厳しいことを書いてしまったが、
1年を通じてスケジュールの決まっている
「大河ドラマ」という形式ゆえか、
あまり良い評価が得られなかったからといって、
途中で打ち切ってしまうわけにはいかないようだ。
出演する役者も、交代させるわけにはいかないし、
歴史に則した物語を作っている以上、
脚本を大きく書き換えることも出来ない。
不評に対して積極的なテコ入れも、
早々に打ち切っての出直しも出来ない。
一度、始めてしまえば、
途中からは如何ともし難いというのが
「大河ドラマ」の特徴である。
人気があれば良いが、人気が得られないままその作品を続け、
大きなテコ入れも出来ないとなれば、
これはドラマを作る側としても、大きな博打である。
それゆえに「大河ドラマ」は、
誰を、どの時代を、どういう風にドラマ化するかというのが、
非常に重要である、ということになる。
先にも書いたように「花燃ゆ」は、
「そこ」の所で大きな計算違いをしてしまったことになる。
すでにスタートしてしまっては、
「そこ」をどうこうすることも出来ず、
ただただ不評に耐えて、最後まで走り続けることを
余儀なくされるのである。
本作のキャッチコピーは、「幕末版 男はつらいよ」、
「イケメン大河」、「セクシー大河」、「幕末男子の育て方」
となっている。
とても「大河ドラマ」のキャッチコピーとは思えない、
軽薄な言葉が並んでいる。
まるで20年前の、安物のトレンディドラマのようだ。
この軽薄なキャッチコピーで、
一体誰にアピールするつもりなのか?
それを本当に視聴者が望んでいると考えたのなら、
NHKの頭の中は「ズレている」としかいいようがない。

しかしそこまで不評ではあるものの、
なんとか折り返し地点に至るまでは、このドラマを見続けてきた。
上記のようなキャッチコピーで製作されている以上、
この先も、劇的に面白くなることはなさそうである。

残り半年。
良い意味で、「期待」を裏切ってくれることを、期待する。

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