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四季の歌

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現在も存在しているのかは知らないが、
自分が子供だったころ、
「ママさんコーラス」というのがあった。

小学校などに子供を通わせている「ママさん」たちが集まり、
コーラスグループを作ったのだ。
同じようなもので、バレーボールチームを作る
「ママさんバレー」というのも存在していたが、
これらはPTAたちの、一種の懇親会をも兼ねていた。

現在の感覚からすれば、
どうして「ママさん」に限っているのか
不思議に思う人もいるかも知れない。
例えば「パパさん合唱団」や
「パパさん野球」なんていうのがあるのなら
それなりにバランスもとれているのだろうが、
自分の知る限りでは「パパさん」たちの集まりは
1つも存在していなかった。
(自分の周りが「そう」だっただけで、
 他の学校も同じだったのかは、分からない)
自分が小学生だった当時は、
「両親共働き」というのは、意外に少なく、
世の中には時間を持て余している「ママさん」が
そこそこ居たということだろう。
そういう「ママさん」たちの、親睦会と暇つぶしを兼ねて、
「ママさんバレー」や「ママさんコーラス」が
活動していたのだ。
うちの母親にしても、運動神経は皆無だったために
「ママさんバレー」にこそ参加していなかったが、
人が足りないということになれば、
人数合わせということで「ママさんコーラス」には
顔を出すこともあったようだ。
……。
ただひとつ、疑問がある。
かつて、自分は音楽の成績で
5段階評価の2以上を獲得したことがないことを、
書いたことがあるが、
これは間違いなく、この母親の遺伝であった。
詰まる所、母親にしても音楽のセンスは0に等しく、
歌を歌わせれば、自他ともに認める音痴であった。
運動神経皆無の人間が、
「ママさんバレー」に参加しないというのは
これは極めて理屈に適ったことである。
音楽のセンスがなく、自他ともに認める音痴の母親が
人数合わせであったとしても
「ママさんコーラス」に参加していたというのは、
なんとも腑に落ちない話だ。
存外、コーラスならば、
本当に歌わなくても、口をパクパクさせておけば
どうにかなると考えていたのかも知れない。
母親は高校時代、演劇部だったということなので、
歌を歌っているように演技をすることくらいは、
朝飯前だったのか。
小学生時代、似たようなことをやって先生に見破られ、
ひどく怒られた経験があるのだが、
(そういうことをしていたから、
 音楽の成績が「2」だったのだろう)
うちの母親は、これを上手くやりきったということだろう。

さて、この「ママさんコーラス」。
小学校で行なわれていた「音楽会」に
毎年参加していた。
その他にも、市主催の音楽イベントなどに
参加していたであろうことは、容易に想像できるのだが、
当時の自分が目にしたのは、
小学校主宰の「音楽会」だけであった。
そして、この「ママさんコーラス」の歌う歌の中で、
定番中の定番が「四季の歌」であった。

「四季の歌」というタイトルを聞いても、
どんな歌なのか、ピンと来ないという人も多いだろう。
しかし、その歌詞を聞けば、
あー、あの歌か!と、膝を叩く人も多いだろう。
その歌詞というのが、

「春を愛する人は、心清き人
 スミレの花のような 僕の友達」

というものである。
歌詞としては非常に短い。
この後、「夏を愛する人」「秋を愛する人」
「冬を愛する人」と続いて、最後の5番の歌詞が
「らん、らら、らららら、らんらんらん」と、
ただリズムを取るだけのものとなっている。
歌としては、音程の上り下がりが少なく、
かなり歌いやすいので、
その辺りが、「ママさんコーラス」で
良く歌われていた理由だろう。
「春」「夏」「秋」「冬」と、四季に対応して、
それぞれ「友達」「父親」「恋人」「母親」と
言い表している。
歌詞的にみれば、上手くまとまっている印象だ。
特に感動的なことを言っているわけでもなく、
ただ季節の風物を、自分の周りの人間に例えるだけの歌である。
メロディが非常に物悲しいトーンなので、
何か哀しい歌のように思えてしまうが、
歌詞の上では別段、何も哀しいことはなく、
自分の周りに居る人間を「季節」に例えるようにして、
紹介するだけの歌である。

「ママさんコーラス」では大人気だったこの歌だが、
小学生時代の自分は、この歌が嫌いだった。
理由は簡単で、あまりにも辛気くさいメロディだったからだ。
歌詞を聞く分には、特に哀しい歌でもないのに、
歌のイメージは非常に物悲しい。
友達が死んだとか、恋人と別れたという歌詞なら
まだ理解できなくもないが、
ただ、自分の周りの人間を紹介するだけで、
どうしてこんなに哀しい雰囲気を醸し出すのか?
この歌に出てくる「ぼく」というのは、
ちょっと性格が暗すぎるんじゃないのか?
子供ながら、そういう風に感じていたのだ。
そしてこの感想は、いい大人になった今でも変わっていない。
物悲しく、哀愁を感じさせるメロディ自体は
良く出来ていると思うが、
いかんせん、この歌詞に合わせるのであれば、
このメロディは辛気くささが過ぎている。

この「四季の歌」は、作詞家・荒木とよひさによって作られた。
彼は作詞家ではあるものの、
この「四季の歌」に関しては、作曲も彼自身が担当している。
彼自身が作曲した曲は驚くほど少なく、
この「四季の歌」を含めて、数曲である。
荒木がまだ、大学生だったころ、
彼は骨折し、その入院期間中にこの曲を作った。
そして退院時に、看護婦に教えたとされる。
端的に言えば、お世話になった君に歌を贈るよ、ということだ。
まるでひと時代か、ふた時代前の少女マンガのようだが、
当時はそういう時代だったのかもしれない。
この歌は口コミで広がり、
作詞・作曲者は不明となっていた。
口コミで広がった、ということなので、
歌詞の方はともかく、曲の方は楽譜にしたものではなく、
口伝えに伝えたのかも知れない。
だとすれば、曲自体が短く、
覚えやすいメロディであるのも納得できる。
この「四季の歌」は口コミのまま人気が高まっていき、
ついにレコード化されることになる。
民間で、さらに口伝えで広がっていった曲が
レコード化されるということ自体、現在では信じられない話だ。
当時はインターネットも何も、存在していない時代なのである。

「四季の歌」がレコード化される際、
荒木は友人の勧めで名乗り出て、
これが実質のデビュー作となった。
調べてみると、このデビューが1970年、1971年、
1972年と、3通りの説がある。
当時、各社が競るようにしてレコードを出版したが、
その中でも、特に良く知られているのが、
1976年に芹洋子が歌ったものである。
この芹洋子盤はミリオンセラーを達成している。

こうしてみると、この「四季の歌」の誕生と、
その広まり方、作詞・作曲者である荒木とよひさのデビュー、
さらにレコードの競作、ミリオンセラーと、
すべてが1つの物語の態をなしている。
出来すぎていて、
仕込みではないかと疑いたくなるほどだ。
今から40年以上前、
「歌」には、かくも数奇な運命と、ドラマチックな物語が
存在していたのである。

現在、誰もがインターネットを使い、
自分の「歌」を世界に発表できる世の中になった。
その中から、「四季の歌」のように、
物語を背負うような「歌」は、生まれてくるのだろうか?

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