7月7日は、七夕である。
当たり前に、分かり切った事実だが、実はそうでもない。
子供のころ、幼稚園の時や、小学校低学年の時、
イベントで行なわれる「七夕」は、たしかに7月7日だったが、
実際に家で飾り付けをするのは、8月7日であった。
世間一般の七夕と、我が家の七夕は、一ヶ月ほどずれていたことになる。
調べてみると、七夕の中には月遅れで行なう場合もあり、
これは旧暦に関係している、ということであった。
そういえば、中国などでは、旧暦の正月、「旧正月」を祝ったりする。
アレと同じようなものであろうか。
「正月」がひと月ずれれば、結構大ごとだが、
「七夕」がひと月ずれていても、そうそう生活に影響は出ない。
やることといえば、そこらの笹ヤブから、手頃な笹を一本切ってきて、
短冊を結びつけるだけである。
他にも諸々の飾り付けをしていた記憶もあるが、
長く飾るものでもなかったので、それほど気合いを入れた飾り付けはしなかった。
とくに「七夕」に何かを食べたりする、習慣もないので、
結局、我が家では「七夕」というのは、笹を飾るだけの祭りであった。
「七夕」は中国から伝来してきた、行事である。
奈良時代に伝わったとされる。
「七夕」といえば、牽牛織女の伝説が有名である。
わかりやすくいえば、織姫と彦星の伝説である。
1組の男女が、いちゃいちゃしすぎたために、
1年に1度しか会えなくなった、という話である。
この話を聞いて、可哀相と思うか、ザマーミロと思うかは、個人の自由だ。
この7月7日は、もともと「乞巧奠(きっこうでん)」と呼ばれる、
針仕事の上達を願う祭りであった。
機織りをする織姫と、針仕事。
妙な符号を感じさせる。
「乞巧奠」もまた、中国から伝えられたものだ。
この針仕事の上達を願うという点が、短冊に願い事を書くという習慣へと、
変化していったと考えられる。
織姫・彦星の伝説では、あくまでも織姫は、機を織る、
つまり布を生産する者である。
「乞巧奠」の針仕事とは、微妙にその職掌が違っている。
が、ともに衣料に関わる仕事ということで、習合化されたのかもしれない。
現在の七夕は、その多くが7月7日の晩に飾られているが、
本当は、7月6日の晩から、7月7日の朝にかけて飾るのが正しい。
この夜に、天の川、牽牛星、織女星が天頂に登り、もっとも見頃になる。
牽牛星はわし座のアルファ星、アルタイルと呼ばれている。
織女星は、こと座のベガである。
天の川は、夜空を横切るように存在する、雲状の帯のことである。
早い話、太陽系も含む、銀河の一部が見えているのである。
もっとも、現在の日本では、人工の光源があふれているので、
天の川銀河を観測できる場所は、ほとんど無くなってしまった。
一般的に、夏は光が強く観察しやすく、冬は光が淡く観察しにくいといわれる。
「七夕」は、とくに何か特別なことを行う行事ではない。
具体的にいえば、笹飾りを作る程度である。
それ以外には、神輿が出ることもないし、山車が出ることもない。
もちろん、踊りを踊ることもない。
一部では、そうめんなどを食べることもあるが、それ以外では、
特に何かを作って食べるということもない。
一部の神社などでは、七夕にちなむ神事を執り行っている所もあるが、
一般的とはいえない。
「七夕」というのは、かなり形骸化してしまっているといっていい。
今年の七夕は、台風接近の影響で、曇天の七夕となった。
かなり強烈な台風が来ているらしく、気象庁もさかんに警戒を呼びかけている。
今年の短冊には、
「台風が、どこかよそへ行きますように」
とでも書きたい気分だ。