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ベジータ

更新日:

「ドラゴンボール」といえば、
知らない人がいないといっていいくらいの、大人気マンガだ。
特に現在30代~40代の年代の男性にとっては、
マンガといえば、とりあえず「ドラゴンボール」というほど、
絶大な人気のあったマンガである。

この「ドラゴンボール」、アニメ化もされており、
こちらもまた絶大な人気を誇っていた。
途中、タイトルを「ドラゴンボールZ」と変えながら、
11年以上も続き、
この後にはアニメオリジナルの
「ドラゴンボールGT」も製作された。
全てを合わせれば、実に13年9ヶ月にわたる
長期のアニメシリーズとなった。
水曜午後7時は「ドラゴンボール」というのは、
当時の子供たちの常識でさえあった。

この「ドラゴンボール」は、
原作終了後もアニメ、ゲーム、映画、おもちゃ等で、
頻繁に取り上げられ、
劇場版については実に19作も作られていて、
最近では「ドラゴンボールZ 復活のF」が
現在上映中である。
2009年には、ハリウッドにて
実写映画「ドラゴンボール エボリューション」が
製作されたが、こちらは……まあ、
ファンがっかりの残念な映画であった。

このアニメ版「ドラゴンボール」は、
世界70カ国以上で放映されており、
そのほとんど全ての国において、高い人気を博している。
特にフランスでは、最高視聴率87.5%という、
ワケのわからない数字をたたき出している。
日本でのシリーズ最高視聴率は29.5%なので、
実に3倍近い数字を出していることになる。
一体、「ドラゴンボール」の何が、
フランス人をここまで熱狂させるのだろうか?
逆に「ドラゴンボール」を持ってしても
30%以上の視聴率をとらせない、
日本の他の番組が凄いのだろうか?
実に興味深い現象である。

ベジータというのは、この「ドラゴンボール」に出てくる
キャラクターの1人である。
主人公・孫悟空と同じ、サイヤ人という戦闘民族の1人で、
このサイヤ人の王子でもある。
王子、という身分のためか、非常にプライドの高い性格で、
「ドラゴンボール」を読んでいる限りでは、
彼はプライドを満足させて、高笑いしているか、
逆にプライドを傷つけられて、
悔しがっているかのどちらかであることが多い。
元々はドラゴンボールを狙う敵として地球にやってきたが、
その後、徐々に主人公たちと共闘するようになり、
いつの間にやら、主人公の仲間の1人になっていた。
主人公・孫悟空と同じく、
「強いものと戦いたい、強くなりたい」
というスタンスの非常に強いキャラクターであり、
あまり他人とは協調しない。
この点、ストーリーが進むたびに性格が丸くなっていった
ピッコロ大魔王と、相反しているといえる。
調子に乗ると、「やらかして」しまうことも多く、
かなりのトラブルメーカーぶりを発揮していたが、
子供が出来てからは、やや落ち着いたようだ。
その特徴的なヘアースタイルとともに、
「ドラゴンボール」の中では、
屈指の人気キャラクターであった。

ただ、先に書いたように、
ストーリーの中では「やらかして」しまうことも多く、
また、余計なことを……と、眉をひそめる読者もいた。
こいつがいなければ、話がすっと進むのに……と、
非難がましい意見を言っている人を、見たこともある。
確かに人造人間編では、
17号、18号の復活を阻止しようとしなかったり、
セルの完全体化に協力したりもした。
魔神ブウとの戦いでも、忠告を無視して
その復活の一助となってしまった。
こういう場面を見ていれば、
先のような意見が出てくるのも、当然といえる。
だが、これを逆に考えてみればどうだろう。
17号、18号の復活にしても、
セルの完全体化にしても、
魔人ブウの復活にしても、
「ドラゴンボール」という物語の重要なポイントである。
その後のストーリー展開に大きく関わる場面で、
いつもベジータが関わっているのである。
極端な話をすれば、「ドラゴンボール」のストーリー展開は、
主人公である孫悟空ではなく、
ベジータを軸にして回っていた、ともいえる。 
思えば、わりと中盤から、そのような展開は多かった。
主人公である孫悟空は、
物語の要所要所(ラスト)にしか出てこず、
それ以外では、息子の孫悟飯やクリリン、
ピッコロやベジータによって物語が展開していたのである。
中でもこのベジータは、物語を転がしていく上では、
必須のキャラクターであった。
主人公と同じ、「強い相手と戦いたい」という行動理念を持ち、
それについては、主人公よりもしっかりと貫かれていた。
まさに、中盤から終盤にかけて、
ベジータは主人公よりも、主人公らしく、
ストーリーを転がしていったのである。

思えば、ベジータというのは
「言い訳」の出来ない立場である。
他のマンガのライバルキャラたちは、
主人公と「本質」の部分で違っていることが多い。
例えば、血筋の違い、種族の違い、などである。
これは主人公に「特別さ」を付与することによって、
その活躍の、一応の理由づけになっている。
アイツは「特別」だから、活躍できる。
アイツは「特別」だから、
他のキャラクターと差があっても納得できる。
しかし、ベジータの場合、そういう「言い訳」ができない。
数多くいる仲間の中で、主人公と同じ「サイヤ人」は、
彼しか出てこない。
(孫悟空の息子や、ベジータの息子など、
 純粋なサイヤ人でないキャラクターは出てくるが、
 孫悟空と同じ「純粋」なサイヤ人はベジータだけである)
主人公に出来ることは、ベジータにも出来る。
いや、出来なくてはならない。
事実、彼はストーリーの中で、涙ぐましいまでの努力をして、
主人公の強さに追いつき、追い越そうとする。
その姿は、主人公・孫悟空の「それ」に比べると、
かなり深刻で、痛々しいものだ。
主人公・孫悟空の強くなるための修行は、
明るく楽しく描かれるのに対し、
ベジータの特訓はどこか陰鬱としている。
修行の結果、強くなった悟空はさして自慢もせず、
終始、飄々としているのに対し、
特訓の結果、強くなったベジータは、
これでもかというくらい自慢し、増長し、高笑いする。
特訓中のストイックさが、まるで嘘のようだ。
昔、「ドラゴンボール」を見ていたときは、
飄々としている悟空に「かっこよさ」を見出していたが、
現在、見直してみると、
むしろ、思い切り自慢し、増長し、高笑いするベジータの方が、
なんとなく憎めない感じがして、好ましく感じる。
現実世界でやれば、顰蹙必至のベジータの増長っぷりだが、
むしろそこまでやるベジータの方が、
見ていて「スッキリ」する所がある。
そう、この一瞬のために、
あの辛い特訓があったんだなぁと思えば、
なんとなく、カタルシスさえ感じてしまうのである。

そんなベジータだが、作中では
強さ以外でもしっかりと成長が描かれている。
そう、父親としての成長だ。
地球のことなど何も知らないような、宇宙人だった彼は、
いつの間にか遊園地をダシに、
息子のやる気を出させることまで、出来るようになった。
息子・トランクスにしても、
父親のいなかった未来世界のトランクスの「暗さ」に比べ、
全く屈託の欠片もないほど、のびのびと成長している。

「強さ」については、
ついに悟空に1歩及ばなかったベジータだが、
意外に「父親」としては、
悟空の1歩も2歩も、先を行っていたのかもしれない。

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