雑学、雑感、切れ味鋭く、思いのままに。

Falx blog 2

書籍 歴史 雑感、考察

1300年の時を超えて。写本「播磨国風土記」

投稿日:

自分の書いている記事の中には、
たまに郷土史的なものが含まれている。

地元の歴史的なものをメインに書くのは、
図書館などに行けば、資料がかなり自由に読めることと、
疑問などが浮かんだ際、気軽に現地を見に行けるからだ。
自分の地元の龍野図書館には、
近在の歴史的資料を集めた「郷土資料室」がある。
一般書架の本では、わからないことがある場合、
そちらの方に入って資料を漁ることも多い。
結構、立派な資料室で、中の資料も面白いのだが、
利用者数は、恐ろしく少ない。
自分もかなり資料を漁ったが、
今までに自分以外の人間が「郷土資料室」にいるのを、
見たことがない。
確かに歴史資料としても、かなりニッチな分野なので、
利用者数が少ないのはわかるのだが、
ここまで誰にも会うことがないと、
この部屋を利用しているのは、
自分だけなのではないかと思ってしまう。
もっとも、利用する上では、誰もいない方が、
資料を机の上に盛大に広げて、調べものが出来るので、
ありがたいのは事実である。
……図書館の人には怒られそうだが。

ただ、古い資料といっても、
数百年以上前の播磨地方の記録ということになると、
その数もかなり少なくなってくる。
「播磨鑑」や「峰相記」などの名前は、
郷土史について書かれた本でよく見る。
そのような古い郷土資料の中で、
もっともよく目にする名前が「播磨国風土記」である。

「風土記(ふどき)」というのは、まさにその字のごとく、
各地方の「風土」について「記」したものである。
「風土」とは、土地の気候、地味、状態などをさす言葉だ。

奈良時代が始まってすぐの和銅6年(713年)、
元明天皇から各令制国の国庁に対し、
風土記編纂の詔(官命)が出された。
律令制度を作り上げ、全国を統一した朝廷は、
自らの支配のため、各地方の様々な情報を知る必要があった。
そのため、朝廷は次の5つについて書き記したものを、
提出するように命じたのである。

・郡郷の名前(好字を用いて)
・産物
・土地の肥沃の状態
・地名の起源
・伝えられている旧聞異事

最初の郡郷の名前というのは、基本中の基本だろう。
ただ、それに好字を用いて、という条件がついている。
そのため、この時期、
旧来あった地名の多くが、変更されている。
例えば銀山で有名な「生野」は、
もともと「死野」と呼ばれていた。
これを不吉だとして、このとき「生野」へと改名した。

産物というのは、その土地の収穫物のことである。

土地の肥沃は、土が肥えているかどうかだ。
これを基準にして租税が定められたため、
どこもこれを低く見積もったといわれている。

地名起源については、当時、伝えられていたものを
書き記したものだ。
現在でも、地名起源の由来は、
この「播磨国風土記」に求める場合が多いので、
その点で貴重な資料となった。

伝えられている旧聞異事は、
まさにその土地に伝えられている伝説や神話の類だ。

郡郷の名前から土地の肥沃までは、
まさに土地を支配する上で、必須の情報だ。
だが、地名の起源と旧聞異事については、
全く政治的な意図は感じられない。
恐らく、失われつつあった言い伝えなどを、
資料として記録しておくのが、目的だったと思われる。
これが、後の時代にどれほど役に立つものになるのか、
見通していた役人がいたのだろう。

この詔を受け、各国の国庁では、
それぞれに風土記の編纂を始める。
もちろん、日本全国でそれぞれの
「風土記」が書き記されたはずだが、
現存しているものはたったの5つである。
「出雲国風土記」が完全な状態で、
「播磨国風土記」、「肥前国風土記」、
「常陸国風土記」、「豊後国風土記」が、
それぞれ欠損のある状況で残されている。
「播磨国風土記」では明石郡と赤穂郡が全て、
加古郡の冒頭部分が欠落してしまっている。

伝えられる所によれば「播磨国風土記」は、
霊亀元年(715年)に仕上がって、提出されたという。
わずか2年での完成は、全ての「風土記」の中でも、
もっとも早い完成であった。
ちなみに同じ「風土記」でも、
「出雲国風土記」の場合、
完成したのは天平5年(733年)となっている。
実に20年もの月日を費やしている。
恐らくは当時の播磨に、
よほど文筆に長けた人物がいたのだろう。

しかし「播磨国風土記」も、長らくその所在が明らかでなく、
世に伝わっていたのは、わずかな逸文のみであった。
「逸文」というのは、わずかに残った文章、という意味で、
現在のものに比べれば、ほんのわずかでしかない。
この状況が変わったのは、
江戸時代後期に、公家・三条西家に所蔵されていた
写本が発見されてからである。
その後、明治時代ごろから、
「播磨国風土記」の研究が進められることになった。
この研究によって、様々な地名起源や旧聞異事などが、
現代に蘇ることとなった。
野見宿禰にまつわる、龍野の地名起源などは、
この「播磨国風土記」の発見によって、
初めて明らかにされたものだ。
それまでは、龍野の名前の由来も、
野見宿禰が龍野に葬られていることも、
誰も知らなかったのである。

はるか1300年も昔、
朝廷が地名、産物、土地の肥沃だけでなく、
支配には関係のない、地名起源や旧聞異事を
「風土記」に書き残させたことが、
1000年以上の時を越えた現在において、
自らの土地の歴史を知る、大きな助けになっている。

「播磨国風土記」は、記録というものの大切さを、
しみじみと教えてくれるのである。

Related Articles:

にほんブログ村 その他生活ブログ 雑学・豆知識へ
にほんブログ村

スポンサーリンク
スポンサーリンク

-書籍, 歴史, 雑感、考察

Copyright© Falx blog 2 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.